『mid90s』
午前中は出社して書類作業。十四時ぐらいに帰宅して残りをリモートワーク。夜になって雨が降りそうな気配がある中を再び渋谷に向かう。時折雷が光っていて、風が涼しげだった。
パルコ渋谷リニューアル後にできたホワイトシネクイントに初めて足を運ぶ。上映まで時間がだいぶあったのでパルコの地下からそれぞれの階を見て回る。地下の飲食街は金曜日の夜ということもあってか多くのお客さんがいて、飲んだり食べたりしていた。それはとてもいい光景に見えたし、コロナを気を付けるというのが頭にあっても人はやっぱり対面で会って話をするというコミュニケーションへの欲望は抑えきれない。
五階まではファッションフロア、六階は任天堂とかカプコンとかゲーム会社系のショップ、七階がホワイトシネクインとパルコ劇場、上の八階ではスーパードミューンの会場(この日は公開日だったので『mid90s』特集だった)、さらに上にいくと屋上というか公園みたいに芝を引いたエリアに出れるので夜の渋谷の風景が見れるのでパルコで食事したりや映画観たあとに時間があれば行くのもありかなと思う。
ジョナ・ヒル監督『mid90s』を鑑賞。A24制作で予告編からして観たいと思っていた。監督は僕より一歳下なので日本とアメリカの違いもあるし、環境も全然違うが同世代の90年代という少年時代を描いた作品を見て自分がどう感じるかを知りたかった。
主人公・スティーヴィーを演じるサニー・スリッチの眼差し、その表情の変化、少年として眩しく悲しみもあってすごくいい。この映画見たらこの役者がこの先どんな役者になっていくのか追いかけたくなる。歳の離れた兄のイアンはルーカス・ヘッジズ。彼は同じくA24制作『WAVES』にも重要なキャラクターを演じていたが、今回は暴力的で弟へのコミュニケーションがうまくできない青年を演じている。その理由の多くは母にあるのだが、それものちに二人が近づくための共通の痛みになっていく。と言っても兄弟を巡る物語ではなく、スティーヴィー少年がスケボーと出会い、スケボー仲間たちと過ごした時間を描いている。
兄のように歳の離れたプロスケーターを目指す青年や将来をふわふわと今を楽しむことだけを考える青年、ほとんど離さないがハンディカムでみんなを撮り続ける青年、そして、スティーヴィーより少しだけ年上の少年の四人がスティーヴィーのよき兄であり仲間であり友になっていく。タバコに酒にドラッグに女にとなんでもありか90年代のLAはと思うんだけど、僕らぐらいの世代だと日本でもタバコも酒も買えたし、塾帰りに自販機でお酒を調子こいて飲んでたり、誰かの家にいけばタバコがあって吸っていても親たちもそんなに怒らなかった。見つかるなよぐらいで。映画みたいにドラッグも女もなかった日本だったけど、背伸びをしたかった少年時代の雰囲気はよくわかるし、伝わる。
自販機で酒もタバコも子供は買えなくなったのは僕が高校出たぐらいだったか、そうなると禁止されればその欲望はどこに向かうのか、背伸びさせないで抑圧する社会、酒もタバコもやっても合わない人はすぐにやめるし、こんなものかとわかっているほうがリスクは少ないように思える。監視社会のように人々の欲望を逸らしたり禁止すると結局のところ目に見えない部分でそれらがいびつに深化して事態はより悪くなっていく気しかしない。ドラッグ系問題が増え始めたのと酒タバコ買えなくなった問題はリンクしているように個人的には思う。
そんな悪い仲間たちといる時のスティーヴィーは自由であり、家での抑圧やなにか嫌な雰囲気から逃げ出している。スケボーは地面から、地上から少しだけ浮くように滑っていける。自分の足で加速をつけるから地に足もついている。でも、速度を増していく、風と一緒に進んでジャンプを決める時、重力から刹那解き放たれる。その可能性はスティーヴィーだけではなく、他の四人のそれぞれの人にはあまり言いたくない環境や自分の悩みなんかから唯一自由になれる瞬間でもある。だから、彼らは時間を忘れたようにスケボーをして、遊び続ける。だからこれは現実逃避だ、しかし、絶対的に少年期に必要な現実逃避だ。世界の距離を知るために、自分の小ささを計るための、未来を考えれない日常におけるそれらから逃げるように追いつかれないように加速する。しかし、やがて、その手を掴まれてスケボーから転げ落ちていく、一部の夢を叶えたものだけがスケボーに乗り続けてそれで生活はできるだろうが、多くの人間は乗ることすらしなくなっていく。
劇中で裁判所下の前で多くのスケボー少年たちが練習をしているシーンがあり、ある合言葉を誰かが発したら警備員が来るから一斉に逃げる。スティーヴィーたちも一目散に逃げる。しかし、彼らではない少年の幾人かが警備員に掴まっている。現実に絡めとられてしまう。あのシーンはその後に彼らにやってくる現実のメタファに見える。
スティーヴィーより少し上のルーベンは、彼がレイやファックシットやフォースグレードたち年長者から可愛がられたりするとわかりやすく嫉妬する。仲間内であっても年齢や環境や性格によって、立ち位置があり個々の関係性が出てくる。その辺りの小さなコミュニティにおける人間関係もとてもリアルだし、だいたいコミュニティが小さくても大きくなっても人間はずっとこんな関係性の中で生きていく。あることの後にレイと共にずっとスケボーをし続けるスティーヴィーの二人のシーンはとにかく美しい、それが終わっていくものだとわかるから。
フォースグレードは語らないが、視線としてのハンディカムで撮り続けたものが今で言えばYouTubeで流す仲間のプロモーションビデオのように編集されて、それが流されるシーンがあるが、思い出はやはり鮮明ではなく、鮮明ではない映像だからこそのよさがある。
いつまでも見ていたい五人だった。そういう意味でもすごく好きな映画だった。
あとは福山で撮っていたスケボーの映像を思い出した。この曲が元々好きで検索したら出てきて見たらすごくよくてたまに見返す。
LIVE REASON -あかり ,from here-
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