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22歳という年齢の話

22歳になったらしい。おめでたいことだ。22歳になっても、祝ってくれる友人がたくさんいることは、本当に嬉しい。各種SNSにいろいろ振り返りやらなにやら書いてみたので、noteではもうちょっと違う側面から22歳を考えてみたい。

22歳は、僕のような敷かれたレールの上を走ってきた人間にとって、大きな人生の岐路になることが多い。浪人や留年、休学などを経なかった人間は、このタイミングで就職して、いわゆる会社員というものになる。

モラトリアムを伸ばしたい人とか、なにかしらの覚悟がキマってしまっている人は、まだ大学に通い続ける。後者の場合は、5年くらい大学に通ってたりする人もいる。僕の場合はと言われると、明確に言語化するのは難しいが、とりあえずあと2年は大学に通い続けることだけは確かだ。

大学生(あるいは、それよりもっと若い子供も含めて)を「社会を構成していない」というと大きな語弊があるが、この際ざっくり、会社員になる人たちのことを「社会人」と呼んでみる。身の回りの同級生が社会人になっていく、というのは、なかなか感慨深いものがある。高校を卒業して、あるいはそれより早い段階で会社に勤めている人が案外少なくないことに、成人式で気付かされたが、依然自分の周りの人たちのマジョリティが学生であることには変わりなかった。

いつも提出物を出し忘れて先生から目をつけられていた友人が、看護師になったり、文字通り道草を食っていた友人が、エンジニアになったりするらしい。他にも、商社に行ったり、官僚になったり、良くわからないカタカナの会社に勤めたり、進路は様々だ。電車に乗ったときに、スーツを着て、四角い鞄を持って、少し眠そうな顔をしていたり、なにやら緊張していたり、そういう「自分とは違う場所」にいる人たちの一員に、彼らはなる。十年も二十年も経てば、社会のうち、彼らがいないとまわらない部分が出てくるのかもしれない。ぼくもいずれその一部になるんだろうが、これからぼくたちが回していく社会は、うまく回っていくんだろうか。なんとか、できれば今までよりもスムーズに、回していきたい。

そんな中で、僕はまだ大学に残り続ける。親戚からは、「いつまで学生をやっているんだ?」と(嫌味ではなく、フラットに)聞かれる。自分でもわからない。ただ、周りのマジョリティが学生であったのが、(依然、周りのマジョリティが学生であることに変わりはないかもしれないが、)少しずつ変わっていく。

何一つ具体的なことを言っていないが、いまの大学に残るという選択、もう少し遡ると、今所属している大学を選んだ時点での、卒業した中学校、高校(厳密には中等教育学校だけど)を選んだ時点での、それぞれの自分の選択を正解にできるように、日々を意識したいと思った。

まだ若いけど、もう若くない、そんな瞬間を精一杯に楽しんで、まっすぐ歩いていきたいと感じた。



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