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景色が変わる
観覧車に最後に乗ったのはいつだろう?
登って行く時
頂上付近
降り始めた時
出口。
一周回る短い間に色んな景色が見えてきます。
元の位置に戻ってきた時に
どちらに進もうかって感じることができて楽しいです。
今、どこにいますか
自分がいる場所って
人の生活圏にいれば住所があって
相手に知らせることができることが多いです。
郊外に出てもスマホのGPSで
伝えることができやすくなりました。
それでも社会という考え方の世界の中では
自分の位置を見失います。
僕だけですか?
どこに行こうとしているの?
自分の位置がわからないと感じてしまうのは
周りの景色が見えなくなるからです。
どこかを目指して進んでいるときは
体に慣性が働いているので進む方向と
進んできた方向がわかるので
自分の位置がわかります。
目の前が闇になったとしても
歩みを止めなければ
目的地の方向に近づいて行けるはずなんです。
自分の位置を知るために
進めなくなると他の情報を
取り入れる方法を考えるしかありません。
今までやってこなかった方法が
きっと自分を知るために必要だから
進めなくなったんだと思うんです。
進むべきではないから
進めなくなったんだと考えるようになりました。
体調を崩して今までできていたことが
できない時は無理して進む必要はないと思うんです。
今までと違う刺激の取り入れ方を
考える期間なんです。
みんなと同じように進まない
観覧車に乗るみたいに
景色の見え方をリセットするのも一つです。
生きている中で順調に進んでいれば
見え方をリセットする必要がないのかもしれません。
それでも旅行に行ったり
本を読んだり
スポーツ観戦したり
日常の生活には無くても問題ない行動なのに
したくなるのは
色んなものの見方を知るためなのかもしれないですね。
真面目に一つの方向に進み続けていたからこそ
僕は自分の位置がわからなくなることがありました。
最近は興味を持ったことなかった
写真や読書に時間を取るようになりました。
noteに書いていることも
情報の収集場所を増やしたからです。
景色が変わった
景色が変わるのは季節などで実際に変化することと
自分の情報の捉え方で変わって見えることがあります。
僕が今感じていることは
僕の景色の捉え方が変化している過程です。
まだまだ変化の途中ですけど
気づけていなかった多くのことが
見え始めたんです。
一番変化しているのは相手側から見た僕のことです。
相手からどう見られているかは
以前は想像で判断していただけで、
僕のことを見ようとしていませんでした。
何が変わったのかというと
他人から見た想像した自分の後ろには
景色がありませんでした。
他人の目から見た僕には
薄利の景色が存在するんです。
僕が見ている相手には
深くしれば知るほど
相手の家族や生い立ちや
抱えている仕事などが見えてきます。
着飾った相手だけではなく
相手の考え方も見えてきます。
想像している僕自身は
よそ行きの僕だけしか写っていないので
僕の本質を隠して無理をしていたんです。
本当の景色を感じるのはそういうことですよね。
目に映るものだけでなく
本質を見られるようになってきました。
景色もそうだし
あなたのことも。
あなたに寄り添うために。