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自分を理解してもらうために。

誰かのことを調べることは難しいです。
数個の資料だけでは本質に辿り着くことができないから。
資料は多ければ多いほどいいですが、
本質が資料の中に書いているとは限りません。

それよりも難しいのは自分のこと。
学生時代の成績表で自分のことを評価してもらっているのは
あくまで評価対象のものが出来ているかいないかだけです。
もちろん参考にはなるけれど
自分でもうまく評価されてないと感じることはありました。
大人になってからの上司や会社からの評価は
もっと違っていると感じていました。

自分の主観が入るから違ったのか
そもそも自分が評価基準にとって相性が悪かったからかもしれません。


自分を評価する

多くの人から見る個人は何かの物差しの目盛りの上で評価されます。
そこには人の感情は反映されません。
人の感情が反映されると評価の偏りが出るからそれでいいのかもしれません。
だからこそ物差のない評価を別で持たないといけないんです。

性格だったり考え方だったり、
骨格だったり柔軟性だたり。

変えられる「モノ」と変えられない「コト」

自分の中で目に見えようが見えなかろうが
存在として理解でき「モノ」は変えることができると思うんです。

それに対して自分で感覚的に理解できない「コト」は
周りの人がどんなに教えてくれたり
自分のために準備してくれたとしても変えられないんです。

習慣と癖

行動の中の習慣は生きてきた中で積み重ねてきた「モノ」なので
変えることが難しくても何を自分がしているか理解できていれば
変えられるんです。

行動の中での癖は無意識にやっている「コト」のでなかなか理解できません。
何かのフィルターをかけてやっと理解することが出来ます。
見えなかった「コト」が「モノ」に変えることができるんです。

知ってもらいたいからフィルターをかける

今は人伝いだけで情報が伝わるのではなく
SNSなどの色んなフィルターがかかっています。

自分が知って欲しいフィルターがかかっていることもあれば
全く別物になってしまうフィルターがかかっていることもあります。

でもそのフィルターは情報の受け手じゃないと
外したり再変換したり出来ません。
僕は色んなフィルターを感じてきました。
後天的にかかっているフィルターだけじゃなく
先天的にかかっているフィルター魔あると言うことを知ったんです。

自分自身にもフィルターがかかっているのは感じるけど
相手をまず受け入れることで自分のフィルターを
弱めることができるんです。

相手が何を望んでいるのか。
相手が何を見間違えているのか。
自分が見えているものが
勘違いだと気づくこともありました。

自分を知ってもらうには
相手が何をどう感じているのかを知る必要があります。
相手が僕を理解しやすい言葉や見え方行動で向き合っています。

貴方にも僕を感じて欲しいんです。
貴方が何をどう感じているか知って生きづらさを減らして欲しいから。

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