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何が届いているの?

認知を意識して学ぶようになってから気づいたことがあります。
知識は自分で選んで記憶に定着させているって。

僕はいわゆる勉強は苦手です。
特に記憶するだけの勉強。
でも今は色んな知識を持っていると思います。
記憶をするのが苦手なのに…

僕の知識の源

知識は記憶の蓄積だと思うんです。僕の知識の大半は経験と想像でできています。
たぶん。

その時に必要な情報をとりに行って
行動と連動することで記憶に留めている。
自分が必要と感じているかが重要です。

僕がテスト勉強などで必要だと自分に言い聞かせて覚えたはずの記憶は
全く記憶に残っていないんです。
覚えようとした情報に全く必要性を感じていないから。

生きる中で必要な記憶

現在は情報が簡単に手に入ります。
(でも情報が正しいかは別問題ですが。)
だからあまり覚えておく必要がなくなったのかも知れません。

それでも覚えてしまう記憶があります。
自分の興味に関わること。
楽しいと感じることはもちろんですが、
自分にとって辛く感じることも覚えてしまいます。

記憶は個人にとって関心の高いことが中心になっています。

記憶に残してもらいたい時にしていること

年齢的に後輩や子供たちに色んなことを
伝えることが多くなってきました。
でも上手く僕の持つ情報を届けることができていないと感じることが
多くあります。

特に感じるのはルールを伝えること。

ルールは特定の集団の中で誰かが決めたものです。
基本的に時代が変わっても誰かが時代とのミスマッチに気づかないと
ずっと変わりません。

僕はルールの良いところと悪いところを理解して
ルールを守るようにしています。
時代に合わなければルールを変えるように努力しています。

ルールや物事の成り立ちを理解するから記憶に残っているのですが、
みんなに僕と同じ方法で理解してもらえないのが現状です。

相手の興味の持つことを知る。

相手の興味に記憶をつなげることは非常に難しいです。
情報だけを伝えても相手の中では働けません。
記憶になることで初めて相手のチカラになって働いてくれるんです。

相手に寄り添うことが僕の情報に意味を持たせられる
唯一の方法だと感じています。
情報の何が届けられたかを感じながら毎日行動しています。

どんなに良い情報も必要な人に正しく届かなければ
効果は減ってしまいます。

みんなのために
僕のために
みんなが幸せを感じられる世界に近づくように。


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