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ミスマッチ?

ビルと樹々とお城。

当たり前の景色だけど
時代を切り取ると時代が混在してる風にも見えます。

なんで?


普通って?

基準になることが社会の中であるはずなのに
微妙に個人個人が違うことを感じています。

家族の中では常識だけど
友達の家族では非常識ってありませんでしたか。
コロッケにかけて食べるのはソースか醤油みたいなもの。

僕とあなたの考え方は違うかもしれないのに
大勢の中で多数派の意見を聞き続けていると
多くの意見が正しいように感じてしまいます。
時間が経つと多数派の意見が間違っていたとしても
その意見が普通になってしまいます。

違和感が好き

僕は普通の意見を聞きながら
違和感を感じることがあります。

この違和感が好きなんです。
生きているって感じがします。

統制された感覚は社会を維持するために
必要なのは理解しています。
日本は統制が取れている人が多いから
住みやすいのかもしれません。

でも僕は統制がみんなが同じことをすることだとは
思いたくないんです。

僕は全体として整っていても中身がバラバラなのが
日本の良さだと思うんです。
みんなの個性の長所と短所を補うように
支え合っているから全体として強固になっているはずなんです。

お城の石垣は同じ形の石だけで積み上がっていません。
形も大きさも違う石が隙間なく合わさることで
大きな城の礎になっています。

形の揃った石だけでも石垣は作れます。
でも整っているからこそ
崩れる時は支え合いが効かなくなってしまいます。

違和感を感じるものの方が

大きな力を発揮できる人は
規格外ですよね。

人は普通を意識した時
普通の限界を越えることができなくなります。

違和感の原因を追求したいと思う時
普通の概念が希薄になると感じるんです。

誰かと同じじゃないといけない。
誰かと別じゃないといけない。

もうすでに自分の存在がすごく後回しになています。
違和感を自分のことだと認めて感じられている時
すごく生きやすくなれます。

僕だけの感覚だけでもいいって。
何かをできなくても。
誰にも理解されなくても。
この時代に生きているというだけで
自分に何かの意味があるのだから。

自分を認められれば周りが同じことを
していることに面白さを感じます。
自分が同じことをできない理由も
わかります。
理由が分かってもなお同じことを
したくなったらやればいい。
でもできないことが生きてはいけないに
繋がらないことも感じられます。

一緒じゃないことを楽しんで。


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