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フェンス越しに
見えているけどいけない場所
いく必要がないから遮られているって
なんとなく感じませんか?
フェンスの向こうに世界があります。
向こうのほうが自分が成長できるのかもって
最近感じるようになりました。
人が作った境目だから
何かの理由があって
越えるべきではないのかもしれません。
その理由を調べることで
自分の可能性を減らされていることもあります。
誰かの思いに守られているから
フェンスの向こうを気にしない方がいいですか?
自分で生きる
自分で判断しながら生きていく時に
自分の世界からそとへ出ていくのは怖いです。
フェンスは僕自身が作っているのかもしれません。
日常の違和感は行動範囲の外からの刺激かな。
囲われた世界だから感じにくい。
でも何か知った方がいいことだと思っているから感じているんです。
きっと。
フェンス越しに覗いて
すぐには行けないけど、
行きたい世界なのかも知れません。
自分で作っている壁だからこそ
見える世界なのかも知れません。
誰かが作った壁なら
存在自体にも気づけていないはず。
進むためにしたいこと
フェンスは今までの経験だと思うです。
身を守るために無意識に作ったんです。
全く知らなかったことで
経験したことのどれにも関連性のないことは
怖さを感じないですよね。
連嶺を重ねると関連性を感じないことって
ほとんどないか
関連を気づいていなかっただけです。
途中で気づく方が幸せな気がします。
途中で気づくと逃げられないから
割り切りが効きます。
戻ることもできるけど
僕は進むことを選びます。
深みにハマるために進むんじゃなく
何をできるかを考えることが
楽しいからです。
一歩目を踏み出すのが一番怖い
怖さを越えられればあとは
楽しむだけです。
体が動いていれば
慣性を利用すれば動き続けられます。
行動をし続ければ転けそうになっても
起き上がれます。
(これはバイクの動きから取り入れた感覚です)
無の状態から始めることは
とても大きな力が要ります。
自分一人では難しいから
何かの力を借りたり
誰かの後押しをもらったりします。
進み出したら
その勢いを消さない行動は必要です。
自分以外の力は助かることですが
その力を推進力に変えられないと
自分の中で力が止まってしまうと
心身に大きな負担がかかってしまいます。
助けたいという思いも
相手の行動の方向も知っていかないと
助けたつもりが苦しみを増やしてしまうことに
なるんですね。
行動に対するフェンス
自分で作ったフェンスは
スタートラインだったりするのかもしれません。
どこへ行きたいかを日々感じながら
見える景色を自分の進んでいい世界に
していきたいです。
あなたにもきっと心のフェンスがあります。
上手く使えるように
フェンスの存在を感じてみてください。
僕は行動をすることの怖さが減ったから。