ライブハウスでの性被害
Twitterのタイムラインに無力無善寺というライブハウスでの酷い話が流れてきます。
私はライブハウスで歌っているので間接的に知ってる方々があれこれ言ってらっしゃいます。
いつもなら華麗にスルーして触らぬ神に祟り無しということで毎日を過ごすのですけども、ただ今回の話題は“性被害”なのですね。
胸糞が悪い話題です。
中央線、ライブハウス、パンク、アングラ、サブカル…私の好きなものの上で畜生共が踊っている。なのではっきりと、
無力無善寺側の意見には賛同しません。
と、SNSに載せておきます。(気になるかたは“無力無善寺”“ライブハウス”とかの単語で検索していただければ事の次第がわかりますが、あまり気分の良いものではないのでダウナーな時はおすすめ致しません)
誰がどのように悪いかとか、あれをしたとかこれをしたとかは全て司法にお任せします。(私は断罪して裁きたいわけじゃない)
私としてはそこにある問題を無視してあたかも軽い出来事かのように、またはよくある事のように、ないし存在していないかのように扱うのは優生思想にしろ戦争にしろそう言った事に黙ってきた道と同じだと思うので書いておきます。
こう書いたのも、バンドの先輩がしっかりTwitterにその旨を書かれていて、私もやらなくちゃと思ったからです。
いつだったか、FBのタイムラインにライブハウスに遊びにくる小学生の男の子が過激な下ネタ連発、お姉さんの胸を揉む、AVを見たと話すというのを笑い話として書いている投稿を見てみぞおちの辺りがズズっと重く気持ち悪くなることがありました。グロテスクだなと。
その小学生をライブハウスにて一度見ることがありました。
周りの大人は笑っています。男はそういうもんだとか、小学生だからな。なんて言いながら、誰もとがめません。その時は関わらずすぐ帰ったはずです。
その少年は自分の性的好奇心を肯定されたと感じて周りの大人も楽しそうだし、より過激で小学生らしからぬ性的発言をしていくんでしょう。それを大人は微笑ましいと言って見てる。そこにある危うさについては誰も伝えない。大人はその少年に対してどれだけ無責任でいるつもりなんだろう。などと考えたりしましたが、結局そこで何も言わずに帰った私も共犯だと思いました。(彼が何となくこういうのは違うなと今は気付いてくれてたらいいな)
私は性的なものが悪いとは思わないんです。
性的なものの中にある支配や差別や暴力が嫌いなんです。
どうしても性的なものとそういった加害性は重なる部分が多い。
だからこそ性的な話は慎重になるしスリリングな面白さを感じさせるのですが、それがセンシティブな空間や信頼関係のある人々の仲で行われるのはいいんです。
それが不特定多数の人が集まるところで大っぴらになされているというのがいかがなものかと思うのです。(この意見に落ち着くまで紆余曲折ありました)
ライブハウスで何やったっていいよ。でも隠れてやってるんでしょ?だから私はスルーしてるんだよ。
誰かを巻き込んだり、傷付けたり、貶めたりしていないから、スルーできる。
でもそれが性的なことに関しては全然隠さない。
最初は「それすらも許される許容範囲の広い場所がライブハウスなんだ」と思っていました。
でもこの数年で考えが成長しました。
性的なことを大っぴらに隠そうともしないことは暴力と変わりません。私は暴力という、強者が弱者を圧するための行為は正当化されるべきじゃないと思っています。
ライブハウスでは許容されていたのではなくて、“許容せざるをえなかった”だけでした。(もちろんライブハウスだけではない)
それは自由から一番遠いものでしょう。
何がロックだ。何が平和だ。そういうことを言ってるほとんどのバンドマンがこの自由から一番遠いものを後生大事にしているというのが情けないです。
そろそろそこに含まれる加害性と向き合いましょう。
ライブハウスにいるみんなで向き合いましょう。
見て見ぬふりしてきた人と、傷付いてきた人と、傷付けてきた人と、みんなでどんな時にどんな気持ちになったかって話をしましょう。
誰が良い悪いの話じゃなくて、起こっていた出来事を知っていきましょう。
人は変わっていく生き物ですから、あの時の正しさと今この時の正しさは真反対だったりするものです。だから、あの時わからなかったことが今ならわかるかもしれません。
あの時の違和感が今なら言葉にできるかもしれません。
私達は変われますよ。
芸術に感化されて何かを表現したくなった人間達なんだから、時代とか社会なんて関係なく成長できるはずなんです。
いつもロックスターは愛と平和を歌ってきました。あの人達はあの人達なりの仁義を通して、愛と平和に向き合ってきたんです。
だから私達も、私達なりに向き合って考えていかなきゃいけない。
前時代の遺産にすがりついていちゃいけないんです。あの頃は良かったとかじゃなく、今を、そして未来を語りましょうよ。
人は善も悪も兼ね備えているし、誰かに比べて悪い人も善い人もいません。どの人の姿もいつかの自分の姿です。
だからムカつくし殺してしまいたいし、愛おしいし守りたくなるのだと思います。
行いを罰することと人間を蔑むことは似て非なるもののはずで、その違いをみんな知ってるはずなんですが、私達は弱いから激しい苛立ちや衝動的な怒りに飲み込まれてしまいます。
それを感じて冷静に動いていかなくちゃいけません。
それは、被害を受けた側に加害した側を許せと説教することとは全く違います。(また、加害した側を断罪することでもありません。)
私達の立場、当事者ではなくコミュニティを共有している人間が出来ることを冷静に考えて少しでいいからアクションを起こすことです。
私なりのその一つが、SNSに意思表示することでした。
被害側と加害側に手を取り合って仲良くしろなんて微塵も思いません。
どうか、善悪や優劣に苦しむことなく、関わり合うことなく、心穏やかになれる日が来ることを祈るだけです。