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当たり前のように側にいるその人と、また明日も100%会えるとは限らない。

こんにちは。

随分ご無沙汰してしまいました。

今月は何かと気持ちが落ち着かなくて

どんな文章を書いてもまとまらないし

なんかつまんないし

少し遠ざかってしまいました。

でも少し整理がついたので、
また戻って来ました。


これもまとまってるかわからないけど

最近人との別れを何度か経験した事で

改めて見えてきたことがあって、

書き留めておきたいなって

ここに残します。


先月、祖母が亡くなりました。

そして続けてある方の訃報を受け取りました。

その方は私と歳も近くて

お会いするといつも明るくて元気で

器用で多彩な才能を持っていて

視野も広くて気配りもできて

いつもすごい人だなと思っていました。

何年も闘病されていたことは聞いていたけど

どんなに辛く苦しい治療を受けても

弱音も吐かず

ぶつけようのない想いを人に向けることもなく

常に周りの人を大切にして

生きる事を最期まで諦めない人でした。

その様子を近い人から聞く度に

何度も涙が溢れたし

本当にこんな人いるんだと驚かされました。

だからみんな、

「どうしてこの人が?」

って、周りがやりきれない想いを抱えていたのかもしれない。

私の大切な人たちも

この人に沢山救われて愛を与えられてきて

今でもまだ信じられないままだけど

少しずつ受け入れようと

それぞれの日々を歩いています。



人って本当に死んじゃうんだな


分かってたことなんだけど

それをなんか

真正面から突きつけられた気がします。

これまでも何度か経験してきたことだし

誰もが必ずそうなるんだけど

それがいつなのかは誰にも分からない。

本当に分からない。

今健康に生きてる人だって

明日事故や災害に遭うかもしれない。

数年後には病気になっているかもしれない。

絶対に明日元気で生きている保証なんて

本当は誰にもないのかもしれない。

だったら今こうやって自分が元気でいられて

大切な人が元気で隣にいてくれて

一緒に笑えたり

美味しい物が食べられたり

好きなことができる

それってとても幸せなことで

これがもっと続いていくためには

どうしたら良いのか?  

あの人がどうしても生きたかった今日を

私は今生きている

その分何ができるのか?

そんな事を考え続けました。


そしたらやっぱりね、

当たり前のことなんだけど

・今この瞬間を大切にする

・後回しにしない

この2つが出てきました。

それは日常のあらゆる場面にあるんです。

例えば、

忙しいとつい後回しにしてしまいそうな

我が子の「抱っこ」も「見て」も

「今は無理、忙しい」って聞き流すのか、

その時受け入れられなくても

用事を済ませたら
必ず聞きに行くようにして

後からでも我が子を抱きしめるのか、

ちょっと夫にモヤモヤした後に

夫が出張に行く背中を見送る時にも

そのままモヤモヤを引きずって

無愛想で目も合わせず見送るか、

笑顔で「頑張ろうね」ってハグして見送るか。

どちらの自分を取るか。

もし2度とこの場面に出会えなくても

2度とこの人に会えなくても後悔しないように。

一日一日を大切に生きるって

明日死んでも後悔しないように生きるって

そういう選択の繰り返しと積み重ねなのかなって

思ったんですよね。

そういう選択ができるようにするには、

自分が元気で余裕がないといけないし、

そのためにはどういう生活をすれば良いかも

分かってくるし。

そうすると自分に必要なもの

必要ではないものも

見えてくる気もします。

抱え込みすぎてるものは手放したり

誰かに委ねたり

人間関係も情報も

自分に本当に必要なものは何か

自分が本当にしたい事は何か

もう一度考えさせられました。


ずっと引っかかっている事はありませんか?

ずっと会いたいと思っている人はいませんか?

それに向かって今できることはありませんか?

人は変えられないけど

自分は変えられます。

私はこの2人の最期に出会って

自分の損得ではない

見返りを求めない

無償の愛を与えられる

そういう人にしか見えない世界がある。

そう思いました。


私もまたいつかこの2人に会った時

恥ずかしくないような

まぁこれで上出来だよな

思い残すことはないなって

それなりに良い人生だったなって

納得できるような

そんな人生を送れたら良いな。

あなた達が大切にしてきたものは

私も大切にします。

絶対に忘れない。

本当にありがとうございました。


またいつか。


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