人生フルーツを観て。この思いを残しておきたくて
思い立ってnoteに綴ります。
今日、ドキュメンタリー映画『人生フルーツ』を観ました。
何年か前にテレビで観たことはあったけれど、自分が大人になったからかな、前見たときよりもリアルに、生き方について考えさせられました。
建築家夫妻が、雑木林に囲まれた家で、全てを自分たちの手でつくり、毎日を丁寧に生きていく姿を映したドキュメンタリー。あっという間です。
二人合わせて171歳の青春。
90歳になっても尚、ずっと青春時代を過ごしているかのような、泥臭さと、甘酸っぱさと、眩しさを感じる生き方。
お互いを「さん」づけし合って呼び、ふたりで補いあいながら暮らす夫婦の形にはとても憧れるし、
わたし自身つい1ヶ月ほど前から畑を持ち始めたので、すべてを自産自消する生活にも感化される。
けれど、一番考えさせられたのは、「時間」について。
私はこの限りある時間の中で、泥臭く、けれど甘酸っぱく、丁寧に生きているだろうか。
「人生=青春」だったと思える時を過ごしているだろうか。
たくさん本を読もうとか、人の講演を聞こう、You Tubeで勉強しよう、SNSで発信しよう、仕事を頑張ろう、畑生活をはじめよう、朝活をしよう、丁寧に暮らそう
たくさんたくさんもがいて、どうにかこうにか「自分」を探っているけれど、
なにか本当の豊かさを見逃していないだろうか。
自分ひとりでできることは限りがある。
人と生きていくこと。
煩わしいこともたくさんあるだろうけど、生きていく上で大切なことを教えられた気がします。
『天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん』
比翼の鳥・・・雄鳥と雌鳥が隣り合い、互いに飛行を支援しなければ飛ぶことができない
連理の枝・・・根元は別々の二本の木で幹や枝が途中でくっついて、木理が連なったもの
ふと白居易の詩を思い出しました。
じぶんで何かを成し遂げたいという気持ちと、
誰かと寄り添って生きていきたいという気持ちが
今、せめぎ合っています。
こんなもやもやした気持も
青春と呼べる日がくるのかなあ。
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