子どもを測定する
今日の学び
19世紀から20世紀初頭にかけて、人体を測定し、そのデータによって人を区別化する動きが始まった。
一人一人を測定することによって、適正を調べ、非行や虚弱、貧困に陥らないことを目的としていた。また、戦地に送るにあたって、どのような人を作り上げたらより国家として強くなれるかを調べるために行われていた。
最初は、肖像画に描かれている人を見て、精神病を把握しようとした。見た目から特徴づけて、○○があったら精神病にかかりやすい(例えば、鼻が低い人は精神病者)などと判断していた。
そこから、早期発見のために人体測定は子どもへとシフトしていった。
1) ダーウィン
自分の息子の観察記録をとる。
例)
父親の手を自分の口に入れようとするが、自分の手が邪魔で入れられない。そのため、彼は自分の手を少し動かして入れようと試みた。
*ちなみに、当時の子どもたちは男女同じ服を着ていたため、息子もドレスを着ている写真が残っている。
2) ホール
幼少期の子どもに焦点を当てて研究した。また、性別・階級・人種などにも興味を持ち、その違いを把握しカテゴライズしようとした。
人種の違いに関する研究をすることで、当時は白人が支配する理由づけをおこなっていた。
3) ピアジェ
知能や感情の規範化を始めた。年齢に応じて何ができないといけないか、視覚化された表を作り、その年齢の時にその項目を満たしていないと「異常者」として扱われる。
ピアジェは、ノートベースで研究を行い、表やグラフに落とし込む研究をしていた。
4) ゲゼル
研究用ドームを作成し、ドームの中にはゲゼルと赤ちゃんだけが入り、外で研究者たちが観察していた。
ドーム内では、子どもがどのようにブロックを積み上げるかなどを観察していた。
ゲゼルは、全て映像や写真で記録していたのが特徴。
ただし、研究対象はごく限られていて、ゲゼルの知人の範囲での調査だった。
常に、白人の中流階級の男の子が通常として君臨していた。
5) テナースケール
養護施設を定期的に訪問し、子どもたちの発達を観察していた。
現在の社会における「測定」
形を変えて、今も子どもたちは測定をされている。
成績をつけられたり、身長体重を測られたり、IQテストを受けさせられたり。
20世紀初頭までは、ごく限られた子どもたちの測定であったが、現在は社会全体でモニタリングしているといってもいい。
現代における測定は、「普通」に対して子どもがどれほどなのかを個人レベルで知るためとされている。例えば、テストの平均点より上か、下かなどはまさにこれ。自分の位置を把握するための測定とされている。20世紀までは研究者が比較研究をしていたが、現在はその任務が親に委ねられている。
また、子どもたちの状況把握を、国家レベルでも必要とされているために測定をしているともいえる。例えば、OECDのPISA調査など。国として把握することで、政策を打ち出す必要があるからである。
子どもの年齢に応じて、何に注目して測定するかも変容している。
幼少期だと、子どもの感情や発達。もう少し大きくなると学習や認知能力へとシフトしていく。
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自分の中での不明点
・一人一人の研究者が、具体的にどのような調査をしたのか。
・思春期の女の子たちに関する性的な調査もあったらしいが、その内容と、調査結果がどのように使われていたのか。
・beingとしての子どもじゃなくて、becomingとしての子どもの違いと意味。
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個人的見解
人体の測定って聞くと、ナチスのユダヤ人の人体測定を思い出す。ルワンダのツチとフツもそうだけど。
「自分達とは違う異質な存在」とするための測定であったため、子どもの測定に関してもマイナスイメージむんむん。
でも、自分も気づかぬうちに、自分の尺度で人を測定してカテゴライズしていると思う。
よく学習についてこれない子どもがいると、個人面談で保護者に、発達障害のテストを受けるよう促す事もしていた。発達障害ってラベルを貼ることで、ある意味「できなくても仕方ない」「コンサータ(発達障害の薬)飲んだら「普通」になれて楽だよ」とか思っていたと思う。
他にも、この人賢いなとか、この人経済的に大変そうだなとか、自分の価値基準からカテゴライズしてしまうのは人間の心理かもしれない。ただ、そのカテゴリーに対してどう接するかが大事な気がする。