環境問題と子どもたち
今日の学び
自然×子ども
自然豊かな場所でのびのび遊ぶ=子どもらしさというイメージが植え付けられている。
→空気汚染・大人からの支配のない、「平和」の象徴。
(余談)
黒人の子どもはそのイメージに含まれず、奴隷として「自然の」綿を摘む。
→子どもの範囲の指定
その自然・子どもの繋がりの表れとして、絵本が挙げられる。
プーさん、ピーターラビット、ジャングルクルーズ、バンビetc
全部動物を主人公にしていたり、自然の中に子どもがいたりする。
その一方で、テクノロジーの進歩によって、子どもと自然の関わりは薄くなり、子どものレジャーが少なくなっている。
→Richard Louvは、肥満・孤立・鬱など、全ての問題は外で遊べば解決すると主張している。
絵本も、最近はリサイクルを促すものや、マイクロプラスチックの内容について描いてあるものが増えている。
自然とは?
そもそも自然とは何か。
例えば、家に置いてる観葉植物は自然か?
→人が毎日水をあげているから人工的だというなら、道に生えている雑草に、毎日人が水をあげていたら、それも人工的になるのか?
「自然」に含まれるかは、社会が決めている。
学問的にも、人類学・心理学など「人」について研究する分野でも、自然との関わりについてのリサーチが進んでいる。
(余談その1)
昔、チコちゃんを見ていた時に、「ねぇねぇ、岡村。森と林の違いって何?」と聞いていたのを思い出した。
答えとしては、森=自然。林=人工。
森の語源は、「盛り」上がったところから来ていて、林は「生やす」から来ている。ただ、最近ではその区別も難しくなっていることから、森=「原生林」林=「人工林」などと区別しているらしい。
その一方で、明治神宮みたいに元々は、林だったけど、150年間手をつけてはいけないというルールが敷かれて、森と化としている特別な場所もある。
(余談その2)
さらに昔、あいのりのメンバーに林業の仕事をしている方がいて。その時に「日本の森はほとんど死んでいて、手入れをしていないから、災害が起きている。木を切らないといけない」みたいなことを言っていて、「木を切るから災害が起きるのでは??」と中学生ながら疑問に思っていたのも思い出した。
改めて調べ直したら、50年前と現在とで森林面積は変わっていないらしい。ただ、本来人工林は、植林をした後に間伐をして、木の密集による日光不足・根の縮小を抑える必要があるが、林業に携わる人の減少により、日本の森林は密集状態。それにより、土がやせ細り、土砂災害が起きやすくなっている。
つまり、程よく木を切らない(間伐)と、土がやせ細り、災害が起きやすい。(しかも、災害が起きた時に被害が大きくなる!)
➡︎そうなると、より、「自然」とは何か分からなくなるね!!
自然と子どもたちの関わり
プラスチック技術により、おもちゃの大量生産が可能となり、自然破壊にもつながっている。
また、環境問題に関する広告を見たときに子どもが使用されることが多い。
→イノセントな子どもとその未来を示唆。
その一方で、子どもも環境に関する教育を受け、責任を持つ存在でもある。
→子どもが環境問題に積極的になっても、社会からは真摯に受け取ってもらえない現実。
「南」の子どもの方が、環境破壊の影響を受けやすい。
→水不足・食糧不足・病気など
また、同じ国に住んでいても自然へのアクセスへの不平等が起きる。
→貧困家庭には庭がない・遊びに行く余裕がないことから、貧困家庭とそれ以外で20%も外で遊ぶ時間の差が生まれている。
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自分の中での不明点
・グローバルとローカルの関わり
・子どもの責任とグレタさんの関わり
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個人的見解
「子どもは外で遊ぶのが仕事」って言って、宿題多少放置して遊ばせに行かせたり、週に1回学級遊びという名目で、全員半強制的に私と一緒に外で遊ばせていたぐらい、私も、「子ども=外で元気に遊ぶのが幸せ」。みたいな方程式持っていた。
しかも、教えていた学校は都会で人工芝だったし、グラウンド一周200mぐらいしかない小さいスペースだったから、なんとなく「かわいそう」って思っていた自分もいて。自分の幼少期は田舎で、木登りしたり、どんぐりでおもちゃ作ったりしていたのと比較して、(しかも自分の思い出を美化して)教え子たちは土いじりも、虫触ることもできなくて、なんだかなぁと思っていた。でも、そもそも自分の触っていた「自然」も「自然」ではなかったかもしれない。
大学時代から「知ってしまった責任」っていうのを大事にしていて、環境問題についても知っている責任を取れていないなと改めて感じた。その一方で、こういう社会問題と自分の生活をどこまでバランスを取るのかってすごく難しいなと思う。
結婚式場から、風船が飛んでいくのを見てため息をついたり、ご祝儀袋を買いながらなんて無駄なんだろう(自分がもし結婚式をするならペイペイを導入してやろうと密かに企んでいる)って思ったりしているけど、川にペットボトルが落ちていても泳いで取りには行かないし、ケータイや今これを打っているiPadなどの電化製品もガンガン使っている。どう折り合いをつけて、バランスを取るのか。。そもそも「よりよりモノ」を求め、手に入れたら離せなくなってしまう人間が、持続可能な開発も可能なのだろうか。。