私の身体の中にあった山の記憶
今年の初夏に長野県の山、守屋山に登ってから
すっかり山登りに火がついてしまった。
実家暮らしだった頃は
夏は登山、冬はスキーとひたすら北アルプスに通っていたまさに山ガールだった私。
山暮らしにサヨナラして都会で暮らしそれから島へ来て
山歩きはほとんどしてなかったんだけど
本当に呼ばれるようにとはこういうことで
山のことばっかり考えている(恋愛かw)
計り知れないブランクをなかったことにして、北アルプスに行く気満々なんだけど
さすがに体力まるでなし。
ということで、てくてくてくてく島の中を歩き回っている最近。
とは言え最高標高38メートルの佐久島では山歩きとして物足りず
昨日は本土の里山にひとりで登ってきた。
標高はぜんぜん低いけど結構急登もあって里山らしい山。
そして山頂からみえる遠くの山の稜線や眼下に広がる街。
ひゃーー!気持ちいい!
山の中は道もわからなくなって、めっちゃ怖い洞窟に出ちゃったり
最近の雨で歩いてた道が沢になってきてこれはやばいと引き返したり。
なかなかにアドベンチャー(笑)
それがまた楽しい!
山の中。
子どもの頃は家の裏の山で遊んだり、そもそも家が里山の中。
そこがそんなに好きじゃないって当時は思っていたし、山登りも父に連れられていってただけだと思っていたのだけど
私の中の奥の方に刻まれた感覚
身体は知っている感覚。
身体の本来の力が蘇ってくるような感覚があってそれがなんかうれしい。
自然の力は偉大。
幼少期を海辺で育ち、小学校の途中から父母の地元である長野県に暮らすことになった私。
始めの何年かは、そこが辛くて海に帰りたいと、逆ハイジのようにどんよりしていた私。
悲しかった、辛かった記憶ばかりが私の中にべったりとはりついて残っていたけれど
本当はその記憶はとうに癒されていて
山をこよなく愛する信州人の父母に存分に味わわせてもらった山の素晴らしさが
私の身体の記憶にはしっかりと残っていた。
だから私の身体がよろこびだしたのかもしれない。
ねじれていた何かが
解けていっているような感覚を感じている今日この頃。
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