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寿命の28倍生きた弟から与えられた使命 パート2
これは毎日を一生懸命に生きて寿命を全うした弟が、私に使命を気がつかせてくれるお話です。パート1はこちらをご覧ください。
世界へ目を向ける
大学卒業後、新卒で3年勤めた会社を退職し、私は25歳で世界一周の旅に出ます。
いきなりなぜそんな突拍子もないことをと思われるかもしれませんが、
それまでには3つの転機がありました。
一つ目の転機は弟が生まれる1年前。3歳の時に親戚が住んでいたアメリカのシアトルへ1ヶ月ほど遊びに行ったのです。
想像力豊かだった子供の頃の私は、地球=日本だと思っていたので、アメリカ=他の惑星。つまり宇宙に行くから間近でお星様が見られる!と思っていました。小さい頃から星が好きだったのです。
しかし、飛行機に乗っている間全く地球から出る様子はありません。
宇宙に行った様子もないままアメリカにたどり着きました。この時の頭の上にハテナがたくさん出てきたことは今でもはっきり覚えています。
さらに驚くことに、アメリカには目や髪、肌の色、そして話す言葉が違うお友達がたくさんいました。この世の人間は日本人だけだと思っていた私はものすごくびっくりしました。
そして地球儀というものに出会い、初めてこの地球には日本以外にいろんな国があり、日本人以外に様々な人が住んでいるのだということを初めて知りました。そしてこの時初めて夢ができました。
「世界中にお友達を作りたい」
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2つ目の転機
それは小学校2年生くらいの時の国語の時間での出来事です。国語の教科書に海外のお話が書いてありました。
物語の舞台はインド。やせ細った病気の子供が、誰にも看取られることなくバナナの葉の上でなくなっていくというお話でした。
この頃まだ日本とアメリカしか知らなかった私。心にぐさっと刃物が突き刺さるような衝撃でした。世界には、私よりも小さな子供がこんな状況下で暮らしているの???戦争とか貧困って、私のおじいちゃんが子供だった頃で全て終わったんじゃなかったの。
そこから世界で起きている現状について、地元の図書館に通ってたくさん調べるようになりました。
「私は毎日学校にも行けて、家族がいて、お家があって、蛇口をひねれば水が出て、毎日美味しいご飯も食べられる。これが当たり前じゃない国が世界にはたくさんある!そして日本では過去の出来事の戦争が世界各地で未だに起こっている」
この現実を知うった時、ものすごい疑問と違和感を覚えました。
ここでもう一つ夢ができました。
「世界の平和に貢献したい」
3つ目の転機
大学生4年生のときにおこります。大学受験勉を始めた高校2年生くらいから大学4年生まではこの2つの夢を心にしまい、下記に邁進していました。
・いい大学に行くための勉強
・人を笑顔にするチアリーディング
・いい企業に入るための就活
リーマンショックによる不況から就職氷河期と言われていましたが、なんとか内定もいただき、大学の卒業旅行で部活の同期でサイパンに行きました。
三日三晩現地の人たちと歌って飲んで踊ってのそれはそれは楽しい旅行でした。
そしてサイパン最終日、ホテルを出ようとした時、ホテルのドアマンがふと私を指差してこう行ってきました。
「YOU HAVE A BIG HEART」
パッと心の扉が開いたようでした。そして心の奥底にしまいこんでいた2つの夢のことを思い出しました。
「世界中にお友達を作りたい」
「世界の平和に貢献したい」
この二つは、イコールで繋ぐこともできるのではないかと思いました。
世界中に友達を作ることが、世界を平和にしていく上での最初の一歩になるのではないかと思ったからです。
世界を変えるには世界を知らなくてはいけない。友達になるということは相手を知ること。人を知ることから世界を知れる。
今はインターネットなどで情報は溢れているけれど、自分の足で現地に行って自分の目で見ることの中に真実はある。
そんな思いがぶわっとこみ上げてきましたが、4月からは内定を頂いた会社で働くことが決まっている。
そこでまずは3年間会社で成果を出しながら一生懸命働こうと決めました。
旅立ちの決意
世界一周するなんてすごいね、と良く言われますが、私からすると、新卒の会社を辞めることのほうが何倍も大変でした。
新卒の会社はとても安定した大企業です。お給料だって安定しているし福利厚生も良いし、同期も上司たちもお客様も大好き。やめるという決断をすること、それを会社に言い出すことが一番大変でした。
悩みすぎて身体中に蕁麻疹ができるほどでした。
しかし、
「世界中にお友達が作りたい」
「世界の平和に貢献したい」
この思いは募る一方です。安定を手にし続けることよりも、自分のやりたいことの方にチャレンジしよう、自分の可能性は自分の手で広げていこう。と決意し、やっとの思いで会社に打ち明け、3年働いた職場を後にし、世界中に友達を作るための世界一周の旅に出ることにしました。
高校生の頃から留学したいという夢もあり、その夢も同時に叶えようと、最初の4週間だけニューヨークで留学をしてから世界中を回るというかなり漠然としたプランを考えました。
事前にプランを入念に練るよりも、現地での直感を大事にしながら行動したいと思ったからです。
ただ1年間弟と離れるのは初めて。両親と離れること以上に弟と離れることが寂しかったです。私が海外に行っている間は弟のサポートができないので、介護士の方々やお医者様、看護師さんたちが家に来てサポートしてくれるような体制を家族と一緒に作りました。
そして、2014年春、家族や友達に見送られる中、ニューヨークに向けて出発しました。
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留学そして世界一周
留学先はキャンパスが大きくて、世界中から生徒が集まってくるEFに決めました。
世界約100カ国から1000人近い学生たちが一つのキャンパスに集まります。
そこはもう、小さな地球のようです。3歩歩けば世界各国に友達ができるようなワクワクが溢れる素晴らしい環境で、自分からどんどん声をかけてキャンパス内に友達をたくさん作りました。
ここで出会った友人に、この後は世界平和の第一歩として世界中を周りたいと伝えると、「僕のおうちおいで」「私の家にも泊まりに来て」といろんな友達が言ってくれてたのです。
ここの写真にいるほとんどの友達の家に世界一周中お世話になりました。
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留学先で出会った友人だけでなく、世界を回っている間、現地でできた、たくさんの友人の家にお世話になりました。まるで世界中がホームステイ先のようで、毎日が突撃世界ウルルン滞在記です。
ほぼ突撃で現れた異国の女性に対して、どこで出会った方も本当に心から暖かく迎えてくれました。
そこで受けたたくさんのおもてなしの心で、私の心は今も満ちています。
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エジプト・ラクダ使いのお家
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世界一周での気づき
このように、世界を自分の足で周って世界中の人と触れ合って人として大切なことを一つ一つの経験から学びました。
その中で、特に印象的だったエピソードがあります。
舞台はエチオピア。
エチオピアでは、80の民族の方が暮らしています。
私はそのうちの一つの民族、ムルシ族の村に訪問しました。
唇にお皿をつけている民族です。奴隷制度が盛んだった頃、村の大切な女性を少しでも醜く見せることで奴隷として連れて行かれるのを防ぐために唇を切ってお皿をはめたのが始まりと言われています。
彼女たちと触れ合っている時、私はたまたま持っていた口紅を彼女たちの唇に塗ってあげました。持っていた鏡で、その姿を見せてあげると、とても目を輝かせて喜んでいました。すると、次々と村の女性の方がやってきて、「私にもつけて」と言ってきて、私はすっかり村中の女性の方々に囲まれました。この時思いました。
「女性が綺麗になりたいと思う気持ちは、みんなみんな、同じなんだな」
無知ゆえの愚かさですが、日本でテレビの中で彼らのことを初めて見たときは、見た目も文化も全く違うから、私とは全く違う人達だと思っていました。
その考えがものすごく恥ずかしくなりました。どんなに住んでいる場所、宗教や文化、目の色や髪の色が違くても、持っている心はみんな、おんなじ。
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このように、世界中のお宅にお世話になりながら、世界中の人とお話ししながら、どんどんこの思いは深まって行きました。
女性が綺麗になりたいと思う心みんな同じ。女性が一番盛り上がる話題は恋バナだし、男性は綺麗な若い女性が好きだし、新しいお友達ができれば嬉しいし、家族が病気や怪我をしたら悲しい。
どんなに肌の色や言葉・文化、宗教が違くても、みんなみんな、同じ心を持っている。
当たり前のことかもしれないけれど、この当たり前に、気がつくことができた。これが世界を自分の足で周った中で得た一番大きな気づきでした。