私はまなものへもちゃんです。
こんにちは。
私の終身名誉推しメンである宮田愛萌さんに関する記事になります。
かれこれ一ヵ月ぶりくらいですかね。
ここ数日、不本意な粗相の仕方をしていたので若干の恥を忍びつつ綴る記事にはなると思うのですが、そこはご愛嬌でお願い致します。
結論から申し上げると、やっぱり宮田愛萌さんのことが好きなんですよね、自分って生き物は。どうしても頭の隅から追い出すことの出来ない存在、と言うと語弊を孕んでしまいそうなのですが、常に脳内のメインストリームを占めている存在と例えるのが適当でしょうか。
この記事の骨子みたいな部分で言うと、ここ一か月でため込んだ想いや、数日間少しばかり"推し"について葛藤してきた部分みたいなところの発露になると思っています。記事と言うより書き殴りですね。
宮田愛萌さんが卒業を発表してから早1ヵ月半
本人を推しているファン各人に積もるものがあると思います。
それは勿論フラストレーションであるとか、ここでオタクとしての人生を添い遂げてしまおう、と言う感情もあるでしょう。
自分としても静観を貫きつつも、凪の続く日々に何処かわだかまりを感じる部分が少なからずありました。
そんな中で自分をいつも正気に戻してくれるのは"自身のファン"と"自身の言葉"を誰よりも愛して、それを大切にする宮田愛萌さんの発信一つ一つ。
そこには多少の含みを感じつつも、額面通りに言葉を信じ抜くことの大切さについて、ふと考えさせられるものがあると思っています。
余談なのですが、オタクをやっていても、仕事をしていてもそうなのですが、誰かを信じ抜くって恐らくもの凄く難しいことなんですよね。
本来日向坂46の一員である宮田愛萌さんに対するマネジメントサイドの扱いであるとか、そこに対して幾何かの不信感を抱いてしまい、それが愛萌さんとファンである自分との溝に直結して、本人の発言を100%信じ切ることが出来ず、ズレを感じてしまうこともありました。
「~でした。」の過去形に終始していますが、今その感情がないか、と聞かれたら、ない。とは断言できないでしょう。(特にマネジメントサイドに対して)
そういった負の感情を抱えつつ、紆余曲折がありながらも、愛萌さんに対する愛情を如何に堅持できるか、と言う命題に関しては、やはり前述もしたのですが"推しメンを最後まで信じ抜く"ことに尽きるのではないかな、と思っています。自分が言うと多少説得力には欠けますが・・・笑
その説得力の部分に関しては、こうして言語化して質を高めたアウトプットをしていくことや、最後に向けた自分の在り方の一つ一つで取り戻させてくださいな。
noteの記事は殆ど消去してしてしまったのですが、この記事を皮切りにしてまた1から、リミットまで残り少ない時間ではありますが愛萌さんに関する愛情を言語化したものを積み重ねていきたいと思っています。
最後に少しだけ
『Dilige et quod vis fac.』
訳:「愛しなさい、そしてあなたが望むことを行いなさい」
最近ハマっているラテン語の説法の一つです。(聖アウレリウス・アウグスティヌスの著した一節)
この言葉の背景をひも解いていくと「敬意、賞賛、歓喜」みたいな宗教チックな部分に辿り着いていくのですが、既にリミットを提示された状態の、限りある推しと過ごす時間の中で体現化していきたいものばかりであることに気づかされました。
多少気取った、それこそ衒学じみた締めの文章になってしまってはいますが、言いたいことは至って単純で、各自が愛萌さんに抱えている愛情な感謝、はたまた敬意を残された時間で、望むべき形として残していきましょう。
と言う自分なりの意思表示です。
今一度愛萌さんの提唱する「みんなのためだけ」の"みんな"の輪に入り込みつつ、一員を担っていることを強く再認識していきたいと考えています。
最後に
私はまなものへもちゃんです。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
文責:いんた