あなたが決めるならどっちでもいい
ずっと考えていた
安楽死の良し悪し
アメリカで動物看護師として働いているから
日本との考え方の違いにはすぐに気づいた
まず最初に思ったのは
まだ生きられるのに
安楽死を選択するのは人間のエゴだ
というもの
だけれど
緊急病院で看護師として働いた数ヶ月で見えてきたのは
延命治療の終わりはどこなのか
誰がどうやって終わりを決定するのか
ということ
もうほとんど生きる気力をなくして
ただただゆっくり家族と時間を過ごしたいのに
病院で
話が理解できない見知らぬ人間たちに囲まれて
数時間ごとに
ケージをガチャンと開けられ
体温計を肛門に入れられたり
鼻に入れられた管から内容物を吸い出された後に
流動食を与えられたり
交通量の多い病院の外の通りで散歩させられたり
飼い主さんはこれをわかっているのかなと
ふと思った
旦那にそれを話したら
「飼い主たちは、ただただ、彼らのペットを失うのが怖いんだよ」
といった
そうだった。
私が、緊急病院で働き始める1週間前。
1年半ぐらい餌をあげていた野良猫のタイガーを
自分が働き始める予定の緊急病院へ連れて行った。
タイガーに出会ったのはおととしの秋ごろ。
裏庭によく来る野良猫がいるなあと気付いた。
試しにキャットフードを置いてみたら
3日ごとにふと現れて、食べて行くようになった。
冬は寒いだろうからと、越冬できるように
我が家のテラスに 二階建ての猫小屋をつくった。
二階にはヒートマットも敷いて
常にあたためておいた。
けっきょくその冬には一度も
そのファンシーな小屋を使ってくれなかったけれど
あたたかくなってきたころ
時々タイガーが小屋で寝るようになった。
夜中にやってきて、朝方まで二階で寝ている。
朝になると、6時ごろ外に出てきて
テラスから窓の内側に向かって
独特の鳴き方をして
ごはんちょうだい、今日も来たよ という。
絶対に近寄らせてくれない。
もちろん触らせてもくれないけれど
窓の外にちょこんと座って
家の中の様子を見ていた。
我が家の猫とは顔見知りになり
窓を挟んで見つめあって
お腹をのばしてくつろいでいることも時々あった。
出会ったころから真冬にかけて
タイガーはどんどん丸くなっていった。
「冬を越すために、いっぱい脂肪を溜め込んでいるんだねえ」
と話していた。
きっといろんな家でご飯をもらっているんだろう。
かわいいタイプの猫ではないけれど
わたしたちのように放っておけない人間が
何人かいるんだ
夏になって
今度はタイガーがどんどん痩せていった。
「夏になると痩せていくねえ」と話していた。
だけど秋になり、出会った頃と同じ時期になっても
タイガーの体はどんどん小さくなっていく。
太ったおじさんみたいだったタイガーは、
すっかり子猫のように弱々しくなっていた。
ある日、朝方になっても猫小屋の二階からタイガーが降りてこなかった。
二階に仕掛けたカメラには、ずっと寝ているタイガーの姿が映っている。
体調が悪いんだ。
歩けないんだ。
数ヶ月前に購入してあったトラップを
猫小屋にふたつある出口のうち、
タイガーがいつも使う出口側に置き
反対側の出口は塞いだ。
どう刺激を与えたかは忘れたけれど
警戒心の強いタイガーは
異変を感じてすぐに猫小屋から出てきて
問題なくトラップの中におさまった。
予想よりもはるかに小さく
不健康な毛並みになってしまっていたタイガー。
威嚇をし、硬直している。
病院に連れて行くと
腹水、貧血。血液検査は異常値ばかり。
FIPだと診断された。
それが不治の病だと知っていた。
初めて飼った猫は、FIPで亡くなっていた。
わたしは、その時まだ緊急病院での経験はなかった。
腹水を取り除いて欲しかったし、
脱水症状も治療をして欲しかったけれど
ドクターは安楽死の話を持ちかけた。
治療するにはもう一度鎮静が必要だと言われた。
わたしは、最初に与えた鎮静剤がまだ効いているうちに
腹水の除去も、脱水の治療もして欲しかったのに
野良猫にたくさんお金をかけて治療する人間はいないと
決めてかかられていたのではないかと腹を立てた。
FIPが不治の病だとは知っている
だけど今回は諦めたくない
アメリカではまだ合法化されていない治療薬を
その場でネットで注文し、翌日から自分の家で治療をすることに決めた
タイガーは野良猫だから警戒心が強い
旦那はずっと仕事をしている
ドクターの方針にも従わなかった私は
ガレージで、たった一人、
体調の悪いタイガーと向き合っている気分だった
治療薬は翌日の夜から開始。
屋外用の大きなケージを買い ガレージに設置し
栄養満点の子猫用のウェットフードも買った。
脱水状態のタイガーの皮膚はほとんど弾力がなく
初回の皮下注射は皮膚の反対側に貫通してしまった。
タイガーが威嚇するので、
体をトラップの板で押さえつけるようにして固定し
顔にタオルをかけ、一人で注射をした。
もうほとんど動けないと気付いてからは
タイガーをケージの外に出して
自分の胸に抱いて
シリンジで子猫用の高カロリーの食事をあげた
最初の2日はそれを飲み込んでくれたけれど
3日目には、もう飲み込んでくれなくなった。
あんなに食いしん坊だったタイガーが
もういらないって言っている。
もういい、いらないって言っている。
その時わたしは
生きていてほしい、っていうわたしの願いに
もういらない、っていうタイガーの気持ちが
かえってきたことがショックで
初めて一人で大泣きした
旦那が慌てて駆けつけて、一緒に泣いてくれた
ぼーっとした目でわたしを見つめるタイガー
飲み込めなかったご飯が口の中に溜められたまま
1年半、ずっと餌をあげ続けてきて
ようやく抱っこできたのに
別れが近づいていることを悟った
タイガーは野良猫だったから
ガレージのケージにいるより
外にいた方が気持ちいいよねと
テラスにおいていた猫小屋の
屋根を外して
吹き抜けにした二階に、そっとタイガーを寝かせた
寝ているようにもみえるタイガー
その日は秋も半ば
ずっと肌寒かったけれど 久々にあたたかくて
太陽がキラキラしていた
もうすぐタイガーがいなくなるんだなと思った
そのまま私は 隣に腰かけて
タイガーとの静かな時間を過ごしていた
もう少し早くタイガーの異変に気がついていれば
もっと早く薬を入手できれば
もっと早く
もっと早く
何か別のことができていたら。
タイガーは時々もがくような仕草をした。
苦しいのかな。
それとも動ける元気が出てきたのかな。
わたしには、そんなことも分からなかった。
突然、そのもがく仕草が大きくなって
これは痙攣だ。と思った。
「もう一度病院に連れて行かなくちゃ!!」
急いでタイガーをキャリーバッグに入れて
病院に連れて行く準備をした。
旦那を呼び、
車のドアを開け
ふとキャリーバッグにのせたタイガーを見たとき
痙攣がおさまって
落ちついていたタイガーが
後ろ足で首元をかきむしるような仕草をしていた。
まるで元気な猫がするかのような、しっかりとした動作だ。
いのちが叫んでいた
燃えつきる前の火が いったんボウっと力強さを増すのと似ていた。
そのすぐ後
タイガーの魂が、すうっと体から抜けていったのがわかった。
生ききって、燃え尽きた
楽になったタイガーの顔。
「タイガー、死んじゃっちゃよーーーー!!!」
と仕事中の旦那に向かって叫んだ。
一緒に戦ってくれてありがとう。
安楽死か、延命か、どっちでもいい。
たぶんあなたの目の前の動物は、
あなたが決めるならどっちでもいい、って思っている。
あなたには感謝しかしないと思う。
それくらい、あなたのことを愛していて無欲。
あなたが、その動物と、どういう思い出を作りたいのか。
あなたがその動物に、どういう生を与えたいか。
終わらせるか、戦うか。
どっちでもエゴ。
だから、精一杯の答えを見つければ、それでいい。
安楽死を選択し、自分の選択に自問しながら今後 生きるあなたが、
他の場面で、もっと誰かにやさしく、
もっといのちを意識して生きてくれるなら
それでいい
延命を選択し、ともに戦うことを通じて
あなたが自分のいのちももっと大切にしてくれるなら
それもいい
最後まで見届けてくれるなら
わたしももっと頑張るよ
そんなふうに言ってくれているように感じた
だけどもう疲れた
体には限界があるからさ
もういくよ
でもこれからも見ているよ
テラスの外からさ
時々は思い出してね
最後に抱っこしてくれてありがとう
一度は触れてみたかったんだ
人間に