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いのちというものを教えてあげよう

最近、自分が興味があるのは
「死」の本質

そして
この体を生かしているものは何なのか
ということなのだと気づいた

5年前の
飼い猫の死 という経験が
わたしを動物看護師に導いたのも

すべては
「生」と「死」を
もっと身近に感じたいと
どこかで思ったからだろう


わたしは小さい頃
動物が苦手だった。
どう接したらいいか分からなかったからだ。

双子として生まれ
生まれた瞬間から
比較対象となる存在と常に生きてきたことで
否応なく
「ああいうことを言えば、相手はああいう反応をするんだな」
「ああいう態度は、大人にはあんなふうに映るんだな」
という視点で物事を捉えるようになり

奔放な双子の妹の一挙一動と
それに振り回される大人の反応を観察してきた。

その結果
ごく自然に、
周りに迷惑をかけない行動を心がけたり
相手が喜ぶことをするようになり
物心つく頃には
すっかり他人軸のわたしが出来上がった。

今でも父親は、
わたしは全く手がかからない子だった、という。

そりゃあ、そうだ。
手がかからないように振る舞ってきたんだから。


ところが
動物相手となると、
相手が考えていることが全くわからないから
何をしてあげればいいかわからない。

動物が大好きで
とにかく触りに行き、
無惨に引っ掻かれても
まるでへっちゃらな双子の妹を見て、
心から信じられなかったものだ。


それが5年前のある日
わたしの運命を変える猫との出会いがあった。

当時わたしはタイで会計士として働いていた

タイでは道端に
野良猫や野良犬をふつうに見かける

メイン通り沿いの
とある公園では
夜は多くの人が
ジョギングをしたり、筋トレをしたり、散歩をしたり
各々好きなことを満喫している。
昼は暑くて外では何もできないので
夜の方が過ごしやすいのだ。

そこで
当時 婚約前の旦那と散歩をしていると
黒い野良猫がふと私たちの目の前に現れた

さすがに35年も経てば
動物に対する苦手意識も
ほとんど薄まっていたし
「動物は、怖がっている人や、嫌いな人を見抜く」
ぐらいのことは知っていたので
「あ、猫だ〜」と言うだけ言って、
触れたり、近寄ったりせず
何気なく近くのベンチに腰掛けた。

そうしたら
その黒猫が、
自らわたしの膝の上に乗ってきたのだ。

人生初。
動物に選ばれた。

どんなに可愛らしい声を出して
好きぶって名前を呼んでも
その時に一緒にいるもう一人の連れの方に
必ず動物たちは行ってしまっていたのに。

人生初!


それはもう
愛しくて愛しくて。

タイでの仕事は
毎日朝9時から夜10時まで、
数字とパソコンと睨めっこ。
間違いを指摘され、反省文を書いたり
新しい基準がなかなか理解できなくて無力に感じていた日々に
甘くて
優しい
潮流のような感情が
流れ込んできた気分。

わたしの中の
母性が一気に復活した。

わたしって、こんなに愛に溢れてるんだ!


数日後
また公園に戻った時に、
その黒猫をジジと名付けて飼い始めた。


ジジは、4ヶ月で亡くなってしまった。
FIPという、当時は治療方法がない不治の病だった。

わたしをあっという間に幸せにして
だのに しっかりとお母さんにならせてくれないまま
フィリピンに語学研修に行っている間に
病院であっけなく呼吸を止めて
地球を去ってしまったジジ。

ジジは幸せだったかな。
あの公園でも十分に幸せだったんじゃないのかな。
病院は、寂しかったんじゃないのかな。
私たちと家族になった意味はあったのかな。

そう考えて
苦しかったけれど
今ならわかる気がする。

ジジとの出会いはギフトのようなものだった。

自分の死をもって
自分の死を見せつけることで
わたしに、死や、生、
人生というものに向き合うきっかけをくれた。

もともと弱い体で
すぐに死んでしまう運命だったけれど

この人間に
いのちというものを
教えてあげよう

それには4ヶ月あれば じゅうぶん。

そう思って
わたしのところに送り込まれたんでしょう。

思惑どおり
十分だったよ。

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