自由意志を殺して生き延びる人たち
従順、真面目、実直、自己犠牲、滅私奉公、勤勉、努力。これらは決して悪いことではないはずだけど、ああ、なんという気持ち悪さなんだ。この気持ち悪さがどこから来るのか思い当たった。これは全て、自由意志を持たないで生き延びようとする「奴隷」に要求される特徴だからだ。
自由がないところで自由の価値を説いてみても無意味だ。自由なんていう概念がない世界でしか幸福に生きられないのだから。もし自由に目覚めてしまったら、苦しくて適応しきれず発狂するか出ていくしかない。奴隷とはそういう運命を持った存在である。
リンカーンが奴隷解放を行ったときに、多くの奴隷たちが自由に戸惑い、途方に暮れて、奴隷に戻してくれるように要求したという。奴隷でいる限り、保護と保証が約束されるからだ。ご主人に忠実に使えている限り、そこそこ幸せな人生が望めるというわけだ。21世紀の日本でも、まだその名残が多くのところで見られる。大企業や政府や、一見自分たちを守ってくれるように見える(それも幻想だと薄々気が付き始めたようだけど、それでもなお)ご主人様の言う通りに生きようとする習性がなくならないのは、長年培われた世界観と慣習だからだろう。わかっちゃいるけどやめられないって言うか。
奴隷には人権がない。自由意志が認められてないと言うことは、つまり、人として認められていないと言うことである。日本人の人権意識が低いのは、人権を大切にされた経験がないから当たり前のことかもしれない。経験がないものが教育しても、言葉だけの概念で実際には身に付かないのも当然だろう。グローバル化が進み、人権思想を高らかに主張する人たちも増えてきたけれど、一向に自分を大切にしない人たちが減らないのはそう言うことなのではないだろうか。
危機の時代にあって不安になれば、当然のことながら皆安泰を求める。「無事」を求めるのだ。解放ではなく、従順に従い留まる方向をよしとするのだ。殺されるのでなければ辛抱している方が良いと思うのだ。いや、殺されたってご主人様に仕えている方が美徳だと言う考えすら、真面目に捉えられるのだから。封建社会そのままではないか。やってられない。
これだけITが進んで近代的な技術も開発されているにもかかわらず、と言うか、だから余計に?人類の奴隷化が進んでいるのに危機感を覚えるのは少数の奴隷ではない人たちだろう。権力や組織に盲目的に従わない人たちは当然のことながら、ご主人様に従わないのだから、ご飯をもらえなかったり鞭打たれたりするリスクを負っている。それを見るにつけ、ああ、奴隷でいてよかったと傍観者たちの奴隷化がますます進む。
311の東北で津波がやってきたときに、決まりだからと避難してきた校庭に車を入れさせないで、生徒を整列させて逃げさせなかったために多くの犠牲が出たケースを思い出して欲しい。津波がきた!と言われても、ご主人様の意向を伺って逃げない奴隷たちは、どれだけ哀れなんだ。命をかけてまでも従うべきご主人様とはいったいなんなのだ?
従順、真面目、実直、自己犠牲、滅私奉公、勤勉、努力。これらの素晴らしい性質は、何を基準に何に従うのかによって悪魔的様相を帯びてくる。悪魔とは、天使の顔をして忍び寄る巧妙な罠なのだから。
悪魔よ、立ち去れ!イエスキリストの名によって命じる。