
20歳が0歳 最終話
電車に乗り花火会場まで行く。電車を降りた瞬間に強い湿気と熱気に包まれた。ホームは人で溢れかえっていてより蒸し暑く、帯で包まれたお腹から汗が吹き出しているのを感じた。
駅から出るだけでも一苦労で、駅から出ても人、人、人。
そこから会場までなかなか進まない道を進む。カルロも私も、そして周りの人々も夜でも暑いこの都心の夏と人々が作り出した熱気でイライラしはじめていた。
人から人へイライラが伝わり、人々の表情がっている。もうすぐ花火が始まるのに、全然会場付近まで行けない。
もう開始時刻だ…ここはこの日のために歩行者天国になっているけど、高いマンションが立ち並んでいて空が見えない。このクソ暑い中ここまで来たのに....
その時、一つの光の筋が大して暗くないこの大都市の夜空を、日本人なら皆知っている夏の音色で駆け抜けた。
不機嫌な顔をしていた人々が空を見上げる。ビルよりも高く高く昇った光の筋は、東京の夜空でまん丸の火華になり、人々の視線を奪った。
その大輪の華は街も皆の顔も、そして私の心も一瞬で夏の赤色に染め上げ、眼下の東京の街に夏を告げていった。さっきまで漂っていた不機嫌な空気は、花火の音と共に吹き飛び、人々の表情は明るかった。
左を見ると、カルロはまだ煙になった花火を見つめていた。私は「どう?」と声をかけると、煙を見つめたまま「きれい」と呆然と答えた。
一瞬にして人々の心を奪っていった花火は、さらに人を集め、あたりは地獄のような光景になっていたが、花火に照らされた人々に不機嫌な顔をしてる人はもういなかった。
しかし夏の風物詩である屋台のかき氷なんかを楽しむほどの余裕はなく、今の言葉で言えばオーバーツーリズムだと思う。
メガホンを持った警察官が必死に案内して、花火が弾けるたびにその声をかき消す
それからの1時間半、私たちはあまり言葉を交わすことはなく、ただ逸れないように手を繋いでいた。
花火も終盤になり、次々と彩とりどりの花火が打ち上げられる。スターマインだ。
私の視界には、東京のビル、そして左側に彼の肩が見えていた。彼の肩越しに打ち上がるいくつもの花火を見ていた。
あれから6年、26になった今でも彼の肩の高さを正確に覚えているし、湿気のある夏の日に目を閉じると、まだあの花火の音が鼓膜を揺さぶるのを感じる。
あれから墨田ではないが、何回も花火大会に行った。何度も何度も美しいと思った。でもその美しいという感情の中には言葉にできない違和感があった。
月日が流れ、数年ぶりに隅田花火大会に行った。
数年のうちに日本の花火大会は日本国民だけでなく世界みんなの一大行事になり、あの時よりも多くの人々で賑わっていた。
あの時のように、茹だるほどの熱気の中、空に打ち上げられた光の筋が大輪の花火を咲かせる。
違う。なんで、でも絶対に違う。あの突き抜けるような花火の音が響いてこない。聞こえているのに聞こえていない。それになんだろう、人が多いのに花火がよく見える。こんなに東京の空は広かったっけ?
「どうしたの?」「暑くて気分悪くなっちゃった??」
彼氏だ。
「ううん〜なんか綺麗すぎて笑」
手を繋ぎながら花火を見続けた。なんだろうさっきよりもずっと強く、今までにない違和感が体の中に湧き続けた。
それから程なくして、この彼氏とは別れてしまった。私の一方的な違和感のせいだ。
ピンときた。いや、ピンときたという表現は正しくない。マンホールの蓋が取れて水が溢れ出すかのような感情。水が心の隅々に行き渡る感じ。
私が見ていたのは6年前のあの花火。20歳にして0歳の初めてのあの花火。耳の中で何度も繰り返したあの花火。
空が広かったのは、花火がよく見えたのは、、、きっと、左に彼の方が見えなかったから。
あの時からずっと「あの日」というフィルター越しに花火を見ていたんだ。
今年も暑くなってきた。湿気も出てきて刻一刻と夏が進むのを感じるし、6月前なのに、男性社員はエアコンを22度に設定している。社会人しんどいなぁ
窓の外を見ると、少し早めの積乱雲が薄ピンクに染まっていた。
そのまま、目を閉じる。
そして聞こえてきたのは、火花の爆ける「あの日」の音だった。