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20歳が0歳 6

それからの1週間。思ったより長くもなかった。長かったといえば長かったんだけど、この頃の私は学校も本当に楽しくて大体のことはうまく行っていた。待ち遠しいというよりも週末を待ちながら浮ついている感じだった。

インスタのストーリーを見た友達からは質問攻めにあったし、まんざらでもなく楽しく答えていた。

思えばこの年の夏が人生で最高だったし、26になった今でも最高の夏を更新できないでいる。

それから金曜日になった。
この頃の私は毎週金曜日は飲んでいて本当に元気だった。友人たちと大盛り上がりの飲み会の後、彼と新宿3丁目で待ち合わせになっていた。

みんなと解散した後に1人で駅に向かう。変な男たちと目を合わせないように進み、伊勢丹前の約束の改札についた。5分もしないうちに彼が手を振りながらやって来た。

ZARAで買ったような奇抜めな色の服を着ていた彼と並んで歩く。以前とは違って手を繋いで歩いていた。

地上へ出て、そのまま前と同じクラブ前のコンビニへ向かった。初めてではないけど、新しく覚えたばかりのこの遊びに私はどっぷりとハマっていた。ここにいる人たちのする薄っぺらいコミュニケーションが何よりも楽で、その薄っぺらさに酔っていた。

先週会ったソフィアとも抱き合って「おはよ〜!」というこの感じ。

「また会ったね」と英語で男性に話しかけられた。先週カルロにニヤニヤしながら話しかけていた黒髪の白人男性だ。

ちょっと影が薄いけど、悪い人ではなさそうだった。

カルロが他の友達と話している間に私はこの黒髪の白人とお互いの話を始めた。

彼はカルロより何歳か年上に見えたけどカルロより一歳だけ歳上で名前はアディル。エンジニアとして日本で働くペルシャ人で髪も黒だし、着ている服も黒だった。カルロとは友達だけど一緒にいてもペラペラ喋る関係ではないそうだ。

カルロが戻ってきて3人で話し始める。でも本当にアディルは口数が少ない。お酒も飲まないし、クラブに来るときはいつも1人で来てふらっとみんなの前に現れてふらっと消えるらしい。

ソフィアを入れて4人で向かい合って踊っているときも、アディルは1人で謎のステップを踏んでいた。

クラブに何度か出入りしコンビニの前にいるとき、私は新しいアプリを入れた。What’s upというアプリで外国人がラインのように使っているアプリだった。

コンビニの前で少し話すと「連絡先交換しよ!」と外国人も日本人もよく言ってきた。この頃まだインスタでの連絡は主流になり始める少し前だったし、そのためにこのアプリを入れた。

あっという間にわたしのWhatsAppはたくさんの連絡先が登録された。意外なことにアディルもわたしが他の人と交換する姿を見て無言で連絡先交換を要求してきた。かわいいところあるじゃん笑

またクラブに戻って踊って飲んで、そんな感じで今日は過ぎていった。本当に7月の週末はカルロとクラブにいるってだけの日々で読んでくれてるみんなからしたら、つまらない変わり映えしない毎日だと思う。でもわたしはその頃それがなぜか楽しくて仕方なかった。

そして7月ということは、あと数週間で試験を終えて夏休みだった。学生にとって夏休み以上に心ときめく言葉があるだろうか?

夏休みに韓国へ友達に会いに行く予定もあったし、カルロがいる。ソフィアや変わり者のアディルのような友達もできて、大学のみんなとも楽しくやっていた私の人生はまさに日本史で表すのならバブル期だった。

「まなみ!」と自分の人生にも酒にも酔っている私にカルロが声をかける。え、もう5時?クラブ終わり??
「もう帰るの?」と私が言うと「違うよ。君知ってたの?今月末にすごい有名な花火大会があること」

何の話だろうと思ったけど隅田の花火大会のことかなと思った。この頃の隅田の花火大会は世界中で有名になったときだった

「隅田花火大会?」

「うん、一緒に行こうよ!」

「うん、行こうよ!楽しみ!」

行かないわけがない。後から知ったけどカルロは日本で花火を見たことがない。花火大会で日本人の彼女が浴衣を着て現れたら彼はどう思うかなと想像しながらニヤニヤもお酒も止まらなかった。

5時になりクラブは終わり、また彼と一緒にタクシーに乗る。

幸せを噛み締めて私は天下を支配したような気分だった。

「なんか機嫌いいね笑」とカルロが私の肩を抱きしめながら言う。

私は笑い返しただけだった。でもそれでもきっと幸せなのが彼に伝わったと思う。

ずっと憧れだった。好きな人と一緒に花火を見に行くことが。

数週間後の私はきっと夢を叶える。きっと最高の1日になる。 

待ってろ数週間後の私。

20歳で初めての好きな人との花火大会を

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