20歳が0歳 4
右足を踏み出した私に1秒前までの恥ずかしさはもう無かった。大きな一歩とはまさにこのことで、20の私は生まれ変わった。世の中にこんな楽しいことがあるなんて知らなかった。
ダンスの経験は小中学校であったけど、そんなのは全く関係ない。ただほろ酔いの頭の中に響いてくる音楽のままに体を動かす。
クラブでみんなが開放的になって踊っているのは彼らが明るい性格だからではない。クラブという場所が皆を開放する。
すっかり解放された私は嘘のように体を動かしていた。
隣にカルロの女友達のソフィアが来る。さっき話せなかったけど、クラブの前にいた子だ。たしか同じスペインの出身の子だったよね。
その場のノリで一緒に踊って顔を見合わせて笑う。
長い足にホットパンツ、ウェーブのかかったブロンドっぽい茶髪が頭を振るたびに揺れていた。
笑い声を遮るほどの音の中でその子が、耳元に来て「まなみだったよね?さっき会ったときからずっとかわいくて素敵な子だと思ってた!」と言ってくれた。
すかさず私も耳元に行き「ソフィアも!ほんとにきれいで羨ましい!」と叫んだ。
しばらく一緒に踊っているとカルロが来て「ほんとに初めてきた?笑笑俺より楽しんでるね」と笑いながら言った。
「…いてない?」
「え?!なに?!聞こえない」と笑いながら聞き返す。
「のど渇いてない?」
「渇いた!!」
「さっきのレシート持ってる?」
鞄の中からくしゃっとしたレシートを取り出すと「さっきも言ったけど、これでお酒飲めるからね!」と言われてバーカウンターの方に引っ張られた。
バーカウンターには黒いシャツを着た日本人ぽい男性と外国人と思われる男性がいて、目にも止まらないスピードでドリンクを作っていた。
日本人の方が音に負けないよう声を荒げてぶっきらぼうに注文を取ってきた。え、私こんなところで飲むお酒なんてわからないな。カルロはすでに注文を済ませていた。私待ちだこれ、、、
その隣で女性がサラッとドリンクを受け取る。かっこいい。メッシュのたくさん入った長い黒髪にタイトなワンピースがよく似合っていた。
こんなことを言うのは生まれて初めてだけど「あの人と同じやつください」と言った。店員はやっとか、というようなちょっとトゲのある返事をした。
私にとって0歳のクラブで初めて飲んだ、あのグレープフルーツっぽい味のお酒。その名前を覚えていないのが少し悲しい。
でも、みんな自分が0歳のときのことなんて覚えてる?
踊って熱った体を冷やすように勢いよくお酒を飲む。濃い!!でも口に広がる甘みと酸味が最高だった。
少し休みながらカルロと話していると「別のクラブも行ってみる?」と言ってきた。そこにソフィアが加わり「いいね!まなみも行こう?」と言った。
「うん!行こう!」私は考える間もなく返事をした。さっきまでの私とは違う。こんな楽しいことを知っているんだから。この感情は恐れなど1%もない純粋な好奇心だけでできていた。
カルロが先を歩き、私とソフィアは腕を組みながらその後ろを歩いた。2件目のクラブは1件目よりもこじんまりしていた。お立ち台にポールがあること以外はさっきとそんなに変わらない。
私はピンクのスミノフを飲み、カルロが何を飲んでいたのかは覚えていない。ソフィアは同じものを頼んでいたと思う。
飲みながら話をする。ソフィアは私とカルロの関係がとても気になるみたいだった。私は逆にカルロとソフィアの関係が気になる。スペイン出身同士気が合うだろうし、ソフィアは本当に綺麗で明るくて素敵だから。
私は「友達みたいな感じ」と答えた。濁したわけでも曖昧に答えたわけでもない。これが私の中の正直な関係だったから。
「そうなんだ、でもカルロはまなみのこと気になってると思うよ!私、カルロがくる前にかわいい子連れてくるって連絡もらってたし、ほんとにまなみは綺麗!」
こんないい子この世にいる?ほんとに優しくて泣けてくる。
「でもさ、ソフィアはカルロのこと好きじゃないの?出身地も同じだし、」と言うとソフィアは笑いながら「私彼氏いるよ!同じ国の人だと安心感はあるけど、私アジア人が好きだから!カルロも知ってるよ」と言った。
ソフィアはカルロのこと好きじゃないんだ。てか白人好きのアジア人ってイエローキャブって言われるけど、この場合は何?白タク?違法じゃん?てか彼氏いるのにこんなクラブ来てるの?踊りに来るためだけ?淫乱なのかな、、、
そんなこと思ったら失礼だよね。その後私たちは踊り続け、気づけば朝の4時になっていた。
時間を忘れて楽しんでいた私にカルロが声をかける。「ここ、5時で終わりだよ!あと1時間楽しもう」
「うん!てかソフィアどこ行ったの?」と聞くと
「さっき男の人と抜けて行ったよ!」と言われた。
いや、彼氏いるって言ったやん淫乱。私のことおいて男のところ行くの草すぎる。
ソフィアが男と淫行している間、残りの1時間を思いっきり踊り続けた。
途中から彼と片手を繋ぎなら飛び跳ねていた。ヒールであることも忘れながら。
いつのまにか両手を取り合いワルツのように向き合きあっていた。もちろんワルツなどではなくクラブで男女が何も考えず踊っているだけ
残り30分、20分、10分と1日の終わりが迫ってくる。
1日が終わらないで欲しいと願ったのはいつぶりだっただろう
手を握り合い、見つめ合って踊っているうちに、2人の上半身はどんどん近づいていた。
残り5分
レーザーと光と煙の中で2人はさらに近づく
2人ともわかっていた。わかっていたけど言葉で確認していないから不安になっていて踏み出せなかった。
勇気を出したのはカルロだった。近づききった私にキスをした。
20歳が0歳。付き合っていない異性とのクラブでのキス
無言でお互い見つめ合う。この瞬間もう私には揺さぶるような音は聞こえていなかった。
もう一度、今度は私からキスをした。
DJが大きな声で「営業終了です。ありがとうございました!」と叫ぶと音楽が止まった。1日は終わってしまった。おとぎの国のシンデレラならここで服はボロになり靴以外はダメになってしまう。
でもここは21世紀の日本で、私はシンデレラではない。
20歳にして0歳の日々。今日は終わりではなく始まりで、全てが魔法のように消えることはない。
私はシンデレラじゃない。
だから王子様を待たなくていい。私は王子様を迎えに行ける21世紀の人間なんだ。
「一緒に帰る?」私から聞いた。
「そのつもりだったよ」と彼。
静かになったクラブの中で、私の血液はまだ揺さぶられていた。頭に響くあの音ではなく、彼によって。