【小豆島旅行記プロローグ③】3度の延期を経ていざ小豆島!
愛媛に帰って日常に戻った我々。それぞれが小豆島への再訪の思いを温めていた。
Twitterを眺めては妖怪美術館の動向を見つめ続ける毎日。リーダーがパーソナリティを務めるラジオ番組「宮崎ユウのラジオに帰ろう!」では、愛媛の話題そっちのけで小豆島のことを話してみたり、生配信のコメント欄に現れる妖怪美術館公式や国民宿舎小豆島のコメントにリスナーの皆さままでが盛り上がった。
Twitterでは、妖怪美術館だけでなく国民宿舎小豆島をはじめとしたホテルの皆さんや島の方々までもが面白おかしくやり取りをしていて、見ているだけで微笑ましい。そしてまた、再訪の思いを掻き立てられるのだ。けしからんw
しかも、妖怪美術館はチョーケシの唄なるオリジナルソングを作り、小豆島全体を巻き込んで動画を配信するなど、もしかして妖怪美術館とは仮の姿で、実はNHKか何かなんじゃないかと思う程の動きをして見せたのだ。
真面目にふざける彼らの姿からは、島への切実な愛を感じた。多くの人に小豆島に足を運んで貰うための、興味をもってもらうための努力のカタチだと感じた。
なにそれ、愛おしすぎる。
居てもたってもいられなくなった我々。キャンプの時に焚き火を囲んでチョーケシの唄を歌い踊るまでになっていた。
年が明けたら小豆島に行こう。
再訪の計画を立てた矢先、2020年の年末に私が倒れた。脳梗塞だった。
少し重たい話にはなるので、苦手な人は読み飛ばして欲しい。ここから先に書くことは旦那にも話していない。
救急車に乗せられるまでは意識ははっきりあった。隊員の方とも会話が出来ていた。しかし、救急車が走り始めてすぐに安堵の気持ちからか、強烈な眠気に襲われた。抗うことが難しい眠気。隊員さんの問いかけに答えるのも億劫なほどだった。
「寝たらいかん!帰って来れんなるぞ!」
隊員さんが私の肩を叩いてこう言った。
死ぬかもしれない。
そう意識した瞬間に、私の脳裏を過ぎったのは旦那の顔とあの楽しかった妖怪美術館での時間だった。
嫌だ。死にたくない。
旦那に会いたい。皆に会いたい。
また小豆島に行くんだ。また腹を抱えて笑うんだ。
嘘みたいな話だが、自然とそう思った。そして、マヒがなくまだ動かせる右手の甲を何度となく寝台に向かって叩き下ろしていた。痛みで目を覚ますために。
こうして私は緊急入院をした。
そのせいで、年明けの小豆島再訪計画は消えてしまった。本当に申し訳ないと思っているが、左半身に麻痺が残った私に「おんぶしてでも連れて行く」と言うメンバーからのメッセージが嬉しかった。
桜が咲く頃に小豆島に行こう。
入院から3ヶ月近く経ち「自分の足で小豆島再訪」という具体的な目標を持って取り組めたこともあって、私のリハビリは順調に進み、杖なしで歩けるようになっていた。退院が見え始めた頃、再び小豆島再訪の計画が立った。
しかし、県内でコロナが猛威をふるい始め、まん延防止等重点措置がとられるようになった。もちろん、県をまたいでの移動は自粛となる。
そして、桜の小豆島再訪計画も流れる事となり、小豆島再訪はゴールデンウィーク頃に延期となったが、まん防が延長されてしまったため、これも流れてしまった。
そして、今回、晴れて小豆島再訪が叶うこととなったのだ。
再訪が決まってからというもの、我々はお祭り騒ぎだった。
やっと行ける。やっと小豆島の人達に会える。ついに妖怪美術館に入館できる。
あの国民宿舎小豆島の素敵なロッジに泊まろう!
我々闇チーム悲願の小豆島再上陸に向けた計画の日々については、また次回書こうと思う。
最後にこれだけは言わせて欲しい。
あの時に妖怪美術館に行ってなかったら、私は強烈な眠気 にやられてここに居られなかったかもしれない。もう一度自分の足で小豆島に行くという具体的な目標がなければ、今のように自分の足で歩いたり、自分の手でモノを持ったり出来るまでに回復しなかったかもしれない。
旦那やキャンプ仲間の存在はもちろん、嘘のような本当の話だが、妖怪に助けられたと思っている。あの時点ではまだ入館はしてなかったけどね。