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2023.11 / 移住をしたいと思っている

移住をしたいと思っている。
朝窓を開けたら、緑が見えるような地に。


「自分が住む場所は自分で決めたい」という気持ちが芽生えたのは八歳の頃だったと思う。
自分の家族は、祖父が仕事の関係で京都から神奈川に出てきて、その後も東京の職場に通うために住居を選んだ、典型的なサラリーマン家庭だ。
私が八歳のときに父の仕事の関係でオランダに転居することになったのだけれど、当時私はそのまま日本に住みたかった。でも叶わなかった。

オランダから帰ってきた後も、職場や学校への通いやすさを考えて家族で住んでいたベッドタウンには何の思い入れもなかった。
オランダで住んでいた町は閑静で、運河が多く、少し自転車を走らせると牧場で牛がのんびりしているような場所だった。
その自然の豊かさが懐かしかったのか、家と学校の間に流れていた多摩川の河川敷によく通った。空が広く感じた。


自分の住む場所を考える上で転機となったのは、社会人二年目になって実家を出て、神楽坂に一人暮らしをしたことだった。
実家から職場に通えるにも関わらず、社会人二年目で一人暮らしを始めることは、給料に対しての税金の比重が重く経済的な合理性はない。
当時は「家から通えるのになんで実家を出るの?」「もっとお金貯めればいいのに」と周りから色々言われた。

でも私は神楽坂の一人暮らしのマンションが大好きだった。
マンションの部屋は防音がよくされていて暖かく、ベッドで作業しながらテレビが見れるように、私の生活すべてが六畳間に収まった。
一歩マンションの外に出ると、神楽坂の商店街の優雅な音楽が流れ、周りにはお寺や路地、そしてどこに行くのも最強な五路線が通っていた。
仕事で辛いことがあっても、神楽坂の商店街で降り立って、お祭り、買い物、食事を目当てに行き交う人々を見ると、「自分はこの生活を自分で支えているのだ」という誇りが生まれた。
今振り返っても、人生の中で一番価値があった自己投資だったと思う。


結婚したときに泣く泣く神楽坂の一人暮らしの家を出た。
住む場所を考えるにあたって、自分の職場に加えてパートナーの職場という条件が新たに追加された。
どうせパートナーの職場を考慮しないといけないのだからと、自分の職場は少し離して、好きな多摩川に少し近い町に住んでいた。
このときに気づいたことは、東京で自分が住みたいような街がほぼないこと、そして東京に住みたい街がないのに、住む場所は仕事に引っ張られるという違和感だった。


住む場所について考え直すきっかけになったのが、アメリカへの留学だった。
留学も大学院がある場所という条件ではあるが、自分が住みたい場所を選び直すという行為だった。
自分はハーバードとコロンビアとペンシルベニアに合格してハーバードを選んだが、選択するにあたってかなり大きな理由になったのが、それぞれの大学院の立地だ。
コロンビアがあるニューヨークと、ペンシルベニアがあるフィラデルフィアは、Google Mapで眺めていても格子状の大きな街だった。
対して、ハーバードがあるボストンは、チャールズ川を起点に町がくねくねとしており、古い町ならではの地形を活用してできた町であることが読み取れた。
自然も多そうだし、一年間ここに住んでみるのもいいかもと思った。

実際に住んでみて一番衝撃的だったことは、「旅に出たい」という気持ちが一年間ほぼ湧かなかったことだった。
日本にいたときは47都道府県30ヶ国を制覇するほど長期休暇があれば旅行をしていた。
週末も好んで山手線内に入ることはなく、多摩地域を中心に川沿いや暗渠沿いをうろちょろしていた。
でもボストンにいたときは教授や同級生と毎日話すのが楽しく、窓の外からも緑が多く見えていて、他のアメリカの街を見に行く動機がなかった。
自分は色々なところに行って新しいものを見たり、人の話を聞いたりするのが確かに好きだが、同じくらい自然を求めていたからわざわざ外に出ていたのではないかと仮説が立った。


ボストンでは暖かい時期は暇があればカヤックに乗っていた。
最後二ヶ月住んだ部屋から見えた、空と緑。


もう一つ大きなきっかけになったのは、パートナーの転勤だった。
私自身は八歳から「自分が住む場所は自分で決めたい」という思いが強く、仕事も東京にはいないといけないものの、転勤はない仕事を一貫して選んできた。
そのこともあって、留学が終わって日本に戻るときに、パートナーの転勤先である名古屋に縛られることに強い嫌悪感があった。

実際に日本に戻って名古屋に住んでみて驚いたことは、自分がその地を選んでいないという他責な部分はありつつも、名古屋に住むこと自体はとてもエンジョイしているということだった。
名古屋は街がよくメンテナンスされていて綺麗だが、車社会で道に人通りが少なく、広々とした印象を与える。
モーニング文化があり、お金をたくさんかけなくてもこうしてnoteを書いたり、考えごとをしたりする空間が設けられている。
極め付けは、日本の物理的中心にあるため、どこにでもすぐ行ける。
三日間あれば、愛知→滋賀→福井→石川→富山→岐阜→愛知と車で回る旅ができてしまう。
東京や大阪にも新幹線を使えばあっという間に出れる、夢のような世界だ。
東京に戻ってくると道は狭く、人に溢れ、街や電車は広告で埋め尽くされていて、圧迫感を感じるようになってしまった。


名古屋はそれなりにエンジョイしているのだが、ボストンに行ったことで、自分の中で後もう一歩どうにかしたい部分が芽生えている。
朝窓を開けたら、緑が見える生活が送りたいのだ。
机の前で座る時間をもっと減らして、自然の中で作業をしたり、色々な人とお話したりしたい。
だから、移住をしたいと思っている。


この一週間は、移住も考えつつ、愛知→岐阜→東京→京都→滋賀→愛知と移動し続けた。
今まで自然があっていいなと思っていた東京の多摩地域や京都市の北部も、ボストンと名古屋を経てもう一度体験してみると、思ったより人が多くて人酔いしてしまうということに気が付いた。
渋谷の高層ビルから関東平野を見下ろして、もうここに通う日々には戻れないことを痛感した。


さらには、自分の父方のルーツである京都の山奥の村にも行ってみた。
三府県境の山間にあり、普通の人から見たら何もない。
おそらく日本人のほとんどはこの地を訪れることないまま一生を終える。

でも自分にとっては色々な宝物の発掘があった。
その村は川の水源地域にあり、家の前には水路、家の中には井戸と、自分が普段街歩きで探すようなものが自分のルーツにあったのだ。
例えば自分のルーツが京都市にあったら、多分東京23区の煌びやかな生活でももっと満足できたし、色々な土地を回ろうとは思っていなかっただろうと思う。
自分は同じ京都府の中でも、京都市ではなく、この山奥がルーツなのだなと妙にしっくりきた。


こんな山奥がルーツなのだから、どうりで自然がないとしっくりこないはずだ…


最後に自分の中で、希望する地の条件を整理してみた:

・朝窓を開けたら、緑が見える
・空が広くて、近くに川がある
・フラットでオープンな風土がある
・暖かい
・色々なところに移動しやすい
・作業できるカフェや図書館がある

自分の中では正直、一、二番と三番を両立することが難しい。
それを乗り越えたら、オンラインで人と繋がりつつも、対面でも広い自然の中で何か創っていけそうなのだ。
そのような生活にトランジションするにあたって、かなりいいところまで来ているのではないかとワクワク半分、ドキドキ半分。
もし「こんな地あるよ!」というオススメがあればぜひ教えてください。


ときめき候補①岐阜県岐阜市:ぎふメディアコスモスの近くに住んだら作業が捗りそう
ときめき候補①岐阜県岐阜市:濃尾平野のどこからでも岐阜城がお出迎え、名古屋からも近い。


ときめき候補②滋賀県高島市:移住者も多く、スズノイエというカフェが感動的だった。
ときめき候補②滋賀県高島市:カフェからこの景色が見えるのは、学校デザインの授業で描いた教育施設のイメージとぴったり…!


↓自分で住む場所を選ぶところから自分の人生を一緒に選び直してみたい方は、コーチングのセッションでぜひお待ちしています。


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