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2023.8 / 直感と時間

時間については様々な研究がある。たとえば、時間感覚の研究で有名な社会心理学者ロバート・レヴィンは、「クロックタイム」と「イベントタイム」という考え方を提唱した。
…クロックタイムは、アメリカ、ドイツや日本に多い時間のとらえ方で、「朝8時に起床使用」「昼食は12時」など、時計の表示にしたがって生活を組み立てていく考え方だ。
それに対して、「イベントタイム」とは、南米や東南アジアに見られる時間の過ごし方で、その時々に起こる出来事に対応する形で時間を過ごすという。「お腹が空いたからご飯を食べる」「目的が終わったので会議を終える」というような時間の過ごし方だ。

佐宗邦威『じぶん時間を生きる』p. 259-260


丸一年ぶりに日本に降り立って川崎市の実家に戻った私は、実家の窓から外を眺めながら、浦島太郎気分を味わっていた。
窓の外は見渡す限り建物だらけ、私の隣にはお昼のテレビ番組が節約料理の作り方を紹介している。
電車は広告に溢れ、乗っている人はみんなどこか目的地へ向かっていく。
一年前まではこれが自分の日常だったのだ。



ボストンでの家は大学街のど真ん中にあり、暑い日は隣で大学生のパーティーの騒音が轟き渡り、寒い日は入り口の共用部分をホームレスの方が使い、気を抜くとムカデやゴキブリが出るような大変な家だった。
大変な家だったのだが、同じ教育大学院の友人と一緒にルームシェアをするのは楽しく、毎日教育はどうだ、将来はどうだ、の話に夢中で、家が多少オンボロでも一年間信じられないくらい健康的に生きた。

大学を卒業した後の二ヶ月間は大学のハウジングに移り住んだのだが、この部屋は自分が今まで住んだ中でトップレベルに気に入っていた。
お金も今後の計画も何もないし、キッチンと洗面所は相変わらず共有だけど、窓から緑が見えるだけで自分の部屋で創作できるのだなと気付いた。


ベッドと広い机があれば、自分の部屋でも作業できることが初めて分かった。
窓の外を見ると木の緑が目に入ってくる。
ハウジング全体でジムがついていたので、毎日ストレッチや筋トレをしていた。
窓の外には紫陽花が咲いていた。


国や地域が違えば、流れる時間も違う。
自分はオランダで五年間過ごしたが、当時もとても自由に過ごしていた。
裏の公園の茂みに秘密基地を作ったり、少し遠くまで自転車を漕いで木登りしに行ったり、友達の家に遊びに行ったり。
オランダは平日は夜五時、休日は終日お店が閉まっているので不便だ。
でもその代わり、五時で仕事は切り上げて、家族で食卓を囲む。
夏休みは何週間もあり、家族でキャンピングカーを借りて自然へ向かう。

でも本当に国や地域が違えば流れる時間が違うのを体感したのは、中三の研修旅行で訪れたオーストラリアだった。
ホームステイ先の家族が友達とビーチで会う約束をしていたのだけど、時間になっても全然ビーチに向かう気配がない。
聞くと、オーストラリアでは約束している時間の二時間後にやっと目的地に向かうのが当たり前らしい。
このときのオーストラリアでは確かに、時間がゆっくり流れていた。


冒頭の引用ではアメリカも日本と同じ括りで喩えられているが、私は大学院生だったので、アメリカでも「イベントタイム」を感じることが多かった。
遊ぶ約束は前日か当日に決める。
ルームシェアをしているから相手がいつ帰ってくるかとかいつ共用の洗面所を使うか知っていると便利なのだけど、いつになるかはそのときの気分次第だから誰も事前に申告はしない。

パブリック・ナレーティブの仲間で一度ホームパーティーが開かれた。
ホストがアメリカ人の年齢が上の女性の方で、日本人の感覚からすると礼儀正しい方がいいかなと思い、苦渋の決断で集合時間五分後に到着した。
インターフォンの前で鉢合わせたのは日本人の私とスイス人の同級生だけ。
「スイス人、あんたもか!」と二人で笑ってしまった。
部屋に着くと案の定ホストの女性はまだ準備している途中で、準備が完了する前に着いてしまってむしろ申し訳ない気持ちになる。
パラパラとみんなが集まった後にこの話題を振ってみると、アメリカは三十分、コスタリカやボリビアは一時間、パキスタンは二時間遅れくらいがデフォルトとのことだった。

その国や地域で流れる時間。
それはきっとそこで住む人がどのくらい直感的に生きているか、で決まるのだと思った。
そして周りの直感に対しても「好きなようにすればいいよ」と執着せず、手放せるかどうか。



川崎市の実家から建物だらけの風景を眺めていて、一つハッと閃いたことがあった。
自分はオランダから帰国した直後の中学生の頃から、暇があれば多摩川に通っていた。
とある区間を歩いたり自転車を漕いだりすることもあれば、階段に座ってぼーっと水面を眺めているときもある。
多摩川愛が高じて地図子ブログを始め、水源から大半の区間を歩いて旅したくらいだ。

今まではずっと自然が好きだからとか、オランダのような水が近い場所を探しているからだとか思っていたけど、アメリカでの一年間を経て分かる。
私はきっと多摩川に流れる余白の時間を探していたのだ。
学校や部活の合間に、仕事がひと段落したときに、多摩川に行くことをやめることはなかった。多摩川は自分の大事なB面だったのだ。
でも多摩川に流れる時間が日常になったら…?もし多摩川がA面になったら?もっとずっと自分らしくなれる可能性を感じている。



そのことに気づいたので一年ぶりに多摩川を訪れてみた。
ニュースで熱中症の注意喚起を繰り返すような暑い日で、こんな日に多摩川の土手に来る時間と元気があるのは何人かのおじさまたちと私しかいない。
久しぶりに多摩川で自転車を走らせ、土手の上の風をかっさらってみた。

多摩川はやっぱり最高だ。

日本もアメリカもそれぞれ良いところと悪いところがあるけど、多摩川だけは自分の中で最高だと確信を持って言える。
それはここには自分が自分らしく生きようとした思い出が詰まっているからだ。


多摩川は最高だ。


違う国に住むというのは、観光では得られない、大変で、貴重な経験だ。
その国や地域で流れる時間は観光では感じることができない。
そこに住んでいる人と話してみて、相手がどう直感と時間を捉えているかで私たちの時間の流れ方も変わってしまうのだ。

日本、オランダ、アメリカに住むことで、自分の心の願いが少しずつ見えてきたような気がする。
さぁ、この後自分はどう直感を信じて生きようか。

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