見出し画像

砂場で見つけた冒険の鍵

【タイトル】砂場でみつけた冒険の鍵

【作者名】なつの真波(@manami_n)

宇宙と町の交差する、子供たちのサマー・SF・アドベンチャー!

【紹介文】
夏休みのある日、ぼくらは砂場で金色の鍵を拾った。
それが不思議な『キィ』との出逢いでもあり、
ぼくらの大冒険の始まりでもあったんだ――

砂場の鍵が運んできたのは、一夏の冒険と淡い初恋、
それから、永遠の友情だった。
これはぼくらの、夏休みの冒険記。


第一章【はじまりのカギ】

第1話 砂場から出て来たもの

「ひろと! なんか出て来たぞ!」

 ぼくはその声に、ゆっくり顔を上げた。

 たけるは顔を赤くして、スコップで必死に砂を掘っている。ぼくはたけるほど夢中になれなくて(あたりまえだ。たけるは二年生。ぼくはもう六年なんだから)、ちょっと面倒くさくてスコップを適当に動かしていただけだった。

 砂場から出てくるものなんて、くだらないガラクタばっかりだ。

 ぼくもちょっと前までは集めたりしてたけど。四月に同じクラスの久野にバカにされてから、もうやってない。久野は女子の学級委員で、へんに大人ぶった可愛くない女。「男子はそういうバカな遊び好きだよね」なんて言われてカチンとこないはずもないけれど、久野の言うことももっともかもしれない。

 砂場で拾えるものなんて、つまらないもんばっかりだ。

 ぼくももう六年だし、そんなの集めても仕方ないって思ったから、最近は見つけたものは全部、たけるにやっている。

 たけるは、まだ集めるのが好きだ。

 隣の家に住んでいるたけるは、ぼくにとって弟みたいなもんだった。ようするに、子守り、だ。たけるの面倒をみてやるために、ぼくは時々こうやって、砂場でたけると一緒に「宝探し」をやる。

 ――久野の言い方をかりれば「がらくた探し」だけど。

「ひろと! ひろと! 手伝ってよ!」

 たけるが興奮したようにそう言ってくる。ぼくはたけるに気付かれないようにこっそりため息をもらして、プラスチックのスコップを握りなおした。

 さくっ。さくっ。さくっ。

 茶色の砂をスコップで掘って、乱暴にまきちらす。

 金色の何かが、奥でのぞいてる。ずいぶん深いな。

 さくっ。さくっ。さくっ。

 気付くと、ぼくもたけるも無言になって、一生懸命に砂を掘っていた。

さくっ。さくっ。さくっ。

 ――さくっ!!

「でてきたー!」

 たけるが顔中を真っ黒にしながら、そう叫んだ。出て来た金色のそれをぎゅうっと握りしめて、うれしそうにかかげてみせる。

 真夏の太陽に、金色がきらっと反射した。まぶしい。

 ちょっとだけ目を細めて、手で影をつくってみた。

 ――鍵だ。

 金色の、鍵。自転車の鍵とか、家の鍵とかと、ちょっと違うみたいだ。

 なんだろう、そう――あれだ。体育館の鍵に似てる。

 頭の部分が円くて、そこから下が長く伸びている。

「うわぁ……かぁっこいいー」

 たけるが、きらきらした顔でそう呟く。バタバタと両手を振り回して、ぼくに顔を寄せた。

「これ、何の鍵かな! たから箱とかかな!」

 宝箱なんて、あるわけないじゃん。

 そう、思ったけど。

 でも、たけるのきらきらした顔を見てると、言えなくなった。

 ぼくは久野とは違う。そうやって笑ってるやつの顔を、しょんぼりさせるのは好きじゃない。

 だからぼくは、知ったような顔をして、たけるのくちびるに人差し指をむけた。

「しっ、大声だしちゃダメだよ」

 ぱふっ、と慌てたみたいにたけるが両手で口をおさえた。

 ぼくはそれをみて、わざと声を小さくする。

「それがホントに、宝箱の鍵だったら、まずいぜ。ばれたら、大変だ」

「ほうまふいの?」

 たけるは口をおさえながら、ぼそぼそと聞いてくる。たぶん、「どうまずいの?」だ。

「本物だったら、危ないぜ。わるもんに狙われるかも」

「わるもん!? 海賊とか!?」

 たけるはぼくの言葉も忘れたみたいに、大声で叫んだ。

 ……うーん。素直な奴。でも、角野町には海賊はいないぞ、たける。海はあるけど。

「しずかに」

 ぼくはわざと声を落として、そっとあたりに視線を向けた。誰も聞いてないか、確認するみたいにね。

「――たとえば、そうだな。マフィア、とか」

「マフィア、ってなに?」

「うーん……黒い服着てて、サングラスかけてる、やくざみたいな人のこと。拳銃とか、もってンの」

「あの人みたいなの?」

 たけるがきょとんとして、指を公園の入り口に向けた。

「へ?」

 そこにいたのは――

 黒い服着てて、サングラスかけてる、やくざみたいな人だった。

 …………え?

 そしてその人が、ジャケットの内側に手をいれて――

 ぼくはその瞬間、わけもわからずたけるの手を引いて、スコップを放り投げて、立ち上がっていた。その人が一歩、ぼくらに歩み寄る。それがなんだか背中にぞぞっときて、ぼくは叫んだ。

「にげるぞ、たける!」

 たけるの手を引いて、砂場の砂をけって走り出す!

だけど同時に、マフィアもぼくらを追いかけて走り出した!

『うわああー!?』

 ぼくとたけるは悲鳴を上げて、走るスピードを速くした。

 全力全開猛ダッシュだっ!

 一体、なんだっていうんだ――!?

第2話 いきなりだけど、逃げろ!

「ねぇ、ねぇ、ひろと、ひろと!」

 ぼくに手を引っ張られながら、ぜえぜえ息を弾ませて。顔も真っ赤に染めながら、それでもたけるは口を閉じようとしなかった。開いているほうの手は、無意味にバタバタ空気をかき回している。

「あの人たち、わるもんなの? 海賊? これ、これ、本物のたから箱のカギなの? ひろと!」

 たけるは、本当に「なの?」が多い。口ぐせみたいなもんで、いっつも聞いてくる。いつもだったら、ぼくはちゃんと答えてあげるんだけど(時々てきとうなこともある)、だけど、だけどさ。

「知るかよおー!」

 ぼくはわけも判らず叫んでいた。っていうか、判るわけないってこれ。こんな状況で、たけるの「なの?」になんて答えてられるか!

 ――と、そこまで頭の中でぐるぐるしてから、ふとたけるの言葉をもう一度リピートする。

 ……あの人たち、わるもんなの?

 ……あの人――「たち」?

「……たち?」

「たち」

 セミのせいでミンミンうるさい並木通りを一生けんめい走りながら、思わずぼそりと呟いたぼくの言葉に、たけるがなんのためらいもなくこっくりした。

「ほら」

 そう言って、後ろを指さす。ぼくは振り返って――

「……」

 振り返らなかったことにした。

 見たくない。見たくない。ってか、見てない。見てないぞ。同じ顔と格好のマフィアが三人も追いかけて来ているなんて!

 ミンミンミンミン、セミがわめきたてる並木通り。とりあえずぼくは、こう決めた。

 考えるな。今はとりあえず、逃げ切れ。

 一瞬、たけるの握っている鍵を渡す、って考えも出たけど、即行二重線で取り消した。

 ヤだ。絶対、絶対、いやだ。なんか理由はないけど、とりあえず――いやだ!

 スニーカーなのがもどかしい。いつもみたいにブレイブボードをもってたら、ずっと速く進めるのに。いや、その場合、たけるどうしようも、ないんだけど。

 真夏の太陽がじりじりぼくらを焼いてきて、汗がぶわってふきだしてきた。どれくらい走ったかわからないけど、百メートルくらいは全速ダッシュしている気がする。足とおなかが痛くなってきて、ぼくもたけるもそろそろ限界になってきた。みるみる速度が落ちていって――

「うわぁっ!」

 後ろで、たけるの悲鳴が聞こえた。あわてて振り返ってみたら、たけるの服のフードに、マフィアその一の手がかかったところだった。たけるがあわあわしながら両手を振り回している。

気味の悪いひび割れた声で、そいつが言う。

〝鍵を渡して貰おうか、坊や〟

「こ……のっ!」

 ぼくの全力チョップは、マフィアその一の手をゆるめさせた。その隙に、ぐいっと強くたけるをひっぱって、なんとかマフィアたち(同じ顔。ついでに無表情。気持ちわるい)から逃れる。ついでに、マフィアその一をけっ飛ばしたら、上手く決まった。バランスを崩したマフィアその一はすっ転んで、他の二人を巻き込んだ。

 ざまあみろ!

 少しだけ、マフィアたちとの距離がひらいた。でもそれも、時間の問題だ。走りながら振り返ってみたら、もう全員起き上がっている。まずい。

 息をはずませながら、ひたすら並木通りを直進する。と、ふいに通りがきれて、目の前には角野第二公園の緑のフェンスが見えた。

 どうする。右に行けば学校、左に行けば図書館だ。どっちにいく!?

 そう考えて、ぼくはあることを思い出した。――いちか、ばちか、やるっきゃない!

「たける!」

 へろへろになりながら、たけるがぼくを見上げてくる。

「お前、あそこのフェンスの穴、通れたよな!」

 そうなんだ。第二公園のフェンスの下のほうに、小さい穴が開いている。第二公園の入り口はこっからちょうど反対側なんだけど、その穴をくぐれば中に入れる。

 もっとも、たけるくらいならともかく、ぼくは通れない。穴が小さすぎるんだ。

 たけるがよく判らない顔で、それでも頷いた。ぼくはそれを確認してから、ぐいっとたけるの背中を押した。

「くぐって、通りぬけろ!」

 たけるは半分言われるがまま走り出して、フェンスの穴に飛び込みかけて――それから、気付いたように振り返った。

「ひろとは!? ひろとは大丈夫なの!?」

「いいから、早く!」

 ぼくの言葉に、たけるは一瞬だけためらったみたいだった。だけど、ぼくが頷いてやると、決心したみたいに穴に飛び込んだ。

 たけるの姿が見えなくなる。

 それを確認してから、ぼくは足を止めた。

 目の前にはフェンス。後ろには、マフィアたちが迫ってきている。

 絶体絶命?

 ――まさか。

 誰も見ていないのは判っていたけど、なんだか楽しくなってきた。

 フェンス確認。その下の花壇確認、隣の郵便ポスト確認。障害物、なし!

 ぼくは少しだけ下がって、フェンスから距離をとった。すう、は、と深呼吸。

 それから――だっと走り出して、地面を強く蹴った!

 まず、花壇に足をかける! ――成功! さらに強く、蹴る! 反対の足をポストのてっぺんに――成功! もう一度――ポストの赤い頭を、蹴った!

 ガシャン――!

 フェンスのてっぺんに手が届いた。あっつ……! 太陽のせいで、焼けて熱くなっていた。とりあえずガマンして、フェンスをよじのぼる。太陽がきらりと、眩しかった

 フェンスのてっぺんに上ると、マフィアたちがぼくを見上げる姿が見えた。視線をずらすと、大口開けて見上げているたけるの姿。

 ぼくはきゅっとくちびるを結んで、たけるのほうへ向かってジャンプした。

第3話 シャレにならない状況です

 一瞬、ふわりとシャツの裾が舞い上がって、心臓が置いていかれるような感覚。それからすぐ、緩めたひざに――だんっ、と大きな衝撃。

「ひっ……ろと、かっこいー!」

 わあっとたけるが興奮して叫ぶのが聞こえた。たぶん、腕もバタバタ振り回してるはずだ。

 ぼくは顔を上げて汗をぬぐった。にやり、と笑ってみせる。すると――ふいに、顔がかげった。

 びくっとしてそっちを見てみたら、一人の女子が自転車にまたがりながらぼくを見下ろしていた。

 キャミソールにシースルーシャツを重ね着していて、下はハーフのカーゴパンツ。きれいに切られたショート・ヘアにピンクの縁取りメガネ。

「……久野」

「何でそんな嫌そうな顔すんのよ」

 久野は、むっとした顔でぼくにそう言った。久野の「む」がうつって、ぼくも思わずむっとしそうになったけど、その前にたけるのわめき声が空気をかき乱した。

「ひろとひろとひろと! 海賊、やってきたよ!」

 海賊じゃなくてマフィア――と内心で訂正しながら、それでも焦ってぼくは振り返る。そしてそのまま、0・5秒くらい動きを止めた。

 海賊だった。

 同じ顔の三人の海賊。青いバンダナに、汚いボロ服。腰には銃。まんま、漫画とかに出てきそうな海賊の格好をしていた。でも、顔はさっきのマフィア。

 は、はや着替え……?

「ひろとひろとひろとひろとひろと!」

 たけるがぼくの名前を連呼した。

 その声にぼくはようやく我にかえる。あわてて立ち上がりながら、今さっきのぼくと同じように――なんだと思った、たぶん――呆然とマフィア改め海賊たちをガン見してる久野を引っ張った。

「久野! 巻き込んで悪いけど、逃げるぞ!」

「ちょっ、な、なによあのヘンタイ!」

 海賊じゃなくてヘンタイというあたりが、女子ってひどいと思う。いやそれはどーでもいいんだけど。

「いーから、はやく!」

 右手にたけるの左手を、左手に久野の右手を握って、ぼくは再度走り出した。

 ぶっちゃけ、久野は関係ないのは関係ない。あいつらが鍵を追っているんだったら、ぼくとたけるが逃げればいい。ただ、あいつらにちょっとでも脳みそがあったら、ぼくらと話していた久野を放っておくかどうか、ってこと。

 人質、なんてとられたら後味悪いじゃんか。別に、久野が心配とかそんなんじゃないけど。

 久野がまたがっていた自転車はがしゃんと音を立てて倒れた。足をもつれさせながら、久野も必死で走り出している。

「ちょっと! いきなりなんなの!? 説明してよ!」

『あとで!』

 ぼくとたけるはハモって怒鳴る。第二公園の入り口を抜けて、団地が立ち並ぶ二番街に飛び込んだ。入り口の駐車場を斜め横断して、風船公園を横切って、四棟の前に差し掛かる。

 その瞬間ぼくは思いついて、こう叫んだ。

「そこ入って! 三階、三○六号室!」

 久野とたけるを引っ張って、階段を駆け上がる。走りながら外を見たら、海賊たちは一瞬ぼくらを見失ったみたいで、足を止めていた。でも、見つかるのも時間の問題だ。

 ぼくは顔を引っ込めて、走ることに集中した。

 三階に辿り着くとすぐ、ぼくは三○六号室の扉を叩く。プレートには『菊地』の文字。

「すみません! 片瀬です!」

 叫んで、ほんの数秒後――扉ががちゃっと開けられた。

 開けたのはぼくと同い年の男子だ。つんつんの短い髪の毛と、ぼくより高い身長。真っ黒に日焼けした顔と、いたずら好きそうな茶色の目。そいつはぜえはあ言っているぼくらを見て、目を丸くしていた。

 だけど次の瞬間、そいつはおもいっきり作り声をあげて、ぼくに抱きついてきた。

「ひろとくーんっ! きてくれたのねー! アタシまってたわーあ!」

「うざいっ、きもいっ、死ねっ!」

 抱きついてきたそいつ――こーすけを殴りつけて引っぺがす。

「痛っ! おま、マジで殴ンなや! ちょっとしたシャレやん!」

「シャレになんない状況なんだよ! いーから、入れろ!」

 当たり前だけどさっぱり状況を考えてくれないいつものノリのこーすけをひっつかんで、ぼくと久野とたけるは菊地家の中に飛び込んだ。鍵を閉めて、チェーンもしめる。

 台所から走ってきたおばさんには、何でもないですとごまかし笑い。何かを言いかける久野の口はふさいでおいた。おばさんはきょとんとした顔をしていたけど、すぐに台所に戻っていく。

 おばさんの後姿を見送って、たけるが鍵を握ってることを確認してから、ようやくほうっとため息をついた。久野の口をふさいでいた手をどけると、ぼそっとした呟きがもれてきた。。

「……ホント、男子ってバカ」

 この場合、バカなのは男子じゃなくてこーすけだと思うんだけど、どうだろう。

第4話 説明しろと言われても

 こーすけ――菊地浩介と会ったのは、去年の四月。こーすけは大阪からの転校生だった。

 一番初めの体育の授業で、バスケットボールをしたとき、いきなりバッチリ気があって、相手チームを二人で負かしたときからの親友だ。

 あのときのわくわくは、今でも覚えている。こーすけのバウンドパスはぼくの手にすいつくみたいに入ってきて、ぼくのチェストパスをうけとったこーすけは、そのまま流れるみたいにツーハンドシュートを決めた。

 ベスト・コンビだ。

 こーすけはいつもパスを渡したい場所にいてくれるし、ぼくもこーすけがやりたいことは何となく、わかる。もっとも、そのせいか最近じゃあんまり、先生たちはぼくらを同じチームには入れてくれない。それでも、楽しい。相手がこーすけだと、どう動くかも判るから、ディフェンスも楽しいんだ。たぶん、こーすけも同じで、ぼくがパスを受け取ってドリブルをはじめようとすると、絶対いつも目の前にいる。

 そんなこーすけの部屋に上がりこむと、ひんやりした空気がぼくらを迎えてくれた。クーラーの冷たさが火照った体に気持ち良かった。ぐったりしてるぼくらを見かねて、こーすけが麦茶も入れてくれる。海賊たちは家にまでは追ってこなくて、少しほっとした。

「……ていうか、おまえら何やねん?」

 こーすけはベッドの上にあぐらをかいて、ベッドのすぐそばに座っていたぼくらに聞いてくる。

 こーすけの部屋は六畳の和室で、縦に細長い。ふすまを開けたら正面に、ベランダへ続くガラス戸。右の壁際に勉強机とベッドがあって、左側には押入れと本棚と、テレビ。テレビゲームもおいてある。

「知らないわよ。片瀬とこの子が一緒で……何かヘンタイに追いかけられて、巻き込まれたの!」

 ぼくとたけるの真正面、クッションに正座していた久野がイライラしながらそう言った。その言葉に、こーすけの目が丸くなる。

「いやん。こーすけ君知らなかった! 亜矢子ちゃんとひろとくんて、そんな仲やったん!? こーすけくん、ちょっとショックうl」

「違うわよ! 大体やめてよね、そういうの。気持ち悪いのよ、こーすけ!」

 全力で久野が(久野って、亜矢子って名前だったんだ。しらなかった)否定する。

……いや、まぁ、いいけど、別に。

 コップに入った氷をがしがし噛み砕きながら、ふと疑問に思ってぼくは顔を上げた。久野が男子を下の名前で呼び捨てにすることもめずらしいけど、それ以上にこーすけが女子を下の名前で呼ぶほうがめずらしいっていうかなんか気持ち悪い。

「――こーすけと久野って、仲良かったっけ?」

『いとこ』

 二人で声をハモらせて即答してくる。ああ、そういうことか。

「じゃあ別に一緒に遊んでたってわけちゃうん?」

「偶然会っただけ」

「ふーん。そっか。よかったわ」

 ぼくの言葉にあっさり頷いたこーすけに、ふと違和感を覚える。

 よかった?

「こー……」

「それで?」

 ぼくの言葉をさえぎって、こほんと咳払いをした久野が改めて言いなおしてくる。その声の冷たさに、思わず氷を呑み込んだ。かけらがちょっとだけ喉に引っかかって、ひりひりした。

「どう事態なのか、説明してよ、片瀬」

「……異常事態?」

「か・た・せ・く・ん?」

 メガネの奥の冷たい目をぎらりと光らせながら、久野がスタッカートを効かせながらぼくにせまる。

 いやでも。ものすごく事実だと思うんだけど。異常事態。事実。だって普通にありえない。砂場の鍵を狙うマフィアだの海賊だの、現代日本で普通にありえていい事態じゃない。普通にありえていい事態じゃないってことはようするに異常事態。これ、正解。それ以外にどう説明しろと。

「あのね、ひろとと砂場でね、カギほっててね、そしたらね、マフィアがきてね、海賊になってね、ひろとはジャンプして」

「たけるお願いだから黙ってて」

 ぶんぶん腕を振り回しながら早口でまくし立てるたけるを黙らせて、ぼくは困って頭をかいた。

 どう、説明するべきか。

「か・た・せ・く・ん?」

「判ってる、判ってます」

「つーかさぁ」

 思わず後ずさりしていたぼくに、黙っていたこーすけが口をはさんだ。

「さっぱりわけわからんのやけど、オレにも判るようにしてくれると、こーすけくん嬉しいなぁ」

「だからね! ひろととカギをほっていたら金色でね、たから箱のカギだからマフィアがきて海賊になってね!」

「いや、たけるはええから。あとで聞いたるから。どないやねん、ひろと」

 ぼくとよく遊ぶせいで、こーすけもたけるとは顔なじみだ。

 じいっとぼくを見ている久野と、黙れ黙れと言われてぷうと頬をふくらませているたけると、なんだか楽しそうに聞いてくるこーすけを見て――

 ぼくは小さくため息をついた。

「だいたい、たけるの言ってることで正解なんだけどね……」

第5話 押し入れの中のひみつきち

 ぼくはそう前置きをして、こーすけ相手に全部説明した。途中で、こーすけのお母さんが入ってこないか、ちらちらふすまを確認しながら。

 たけるに付き合って砂遊びをしていたこと。その最中に鍵を見つけたこと。そしたら、変なマフィアがきたこと。同じ顔で三人になったこと。逃げてフェンスを飛び越えてみたら、今度は海賊の姿になっていたこと。

 全部話し終えると、こーすけはとろんとした目になって、ベッドからおりた。そのまま、ぼくの肩をぽんっと叩いて、

「熱あるときは、外出たらあかんで。もうええ。ほら、オレのベッド貸したるから」

「こーすけ!」

 いきなり病人あつかいはひどいんじゃないか、こーすけ。いや、ぼくも気持ちはとっても、判るけど。こーすけがこれじゃあ、久野はどうだか……と思って、久野のほうを見た。案の定、久野はメガネの奥の目をつめたぁくさせながら、静かに言ってきた。

「……で?」

「ホントなんだって!」

「人を巻き込んでおいて、片瀬はそういう嘘つくの!?」

「嘘だったらぼくも嬉しいよ!」

 膝立ちして叫んでくる久野に、ぼくも膝立ちしながら叫び返す。と、こーすけが割って入ってくる。

「まぁまぁまぁ。亜矢子は? 途中からは見たんやろ?」

 こーすけの言葉に、久野はちょっと膨れっ面になって、腕組みをした。

「まあ……見た目は、確かに海賊っぽい格好はしてたわよ。いかれた変質者ってカンジ」

 女子って、ひどいと思う。

「同じ顔で三人?」

「三つ子なんでしょ」

 こーすけの言葉に、久野はあっさりそう言う。いやだ、あんな三つ子。

「たけるは?」

 こーすけが訊ねると、たけるは久野そっくりの膨れっ面で、ぷいっとそっぽを向いた。

「どーせたけるが言っても、ひろともこーすけも信じてくれないんでしょ!」

 あ、スネた。

 こーすけと顔を見合わせて、苦笑した。

「ちゃうて、そんなんあらへんて。教えてーや。ほんまなん?」

 べしべし、と乱暴にたけるの頭を叩きながら、こーすけが笑う。たけるはしばらくスネてたけれど、こーすけを見上げながら、くちびるをアヒルみたいに突き出した。

「ホントだよ。たける、みたもん」

「ふぅん……そうか」

 たけるの言葉に、こーすけは頷いた。それから、立ち上がったままふすまを振り返る。さっきのぼくと一緒で、おばさんが入ってこないかどうか確かめているんだ。

「来ぇへんな」

「ふすま開けたら一発じゃない」

 久野のつめたい一言に、こーすけはあごを突き出した。

「わぁっとるわ。そやからこないすんねん」

 こーすけはそう言って、部屋にあった押入れのふすまをバシンと開けた。

 押入れは二段式で、上にはふとんが入っていた。下には、冬服とかそういうものが隅によせてある。で、それがなんで隅に寄せてあるか――は一発で判った。

「……男子ってバカ……」

 久野のつめたい呟きが聞こえたけど、ぼくはおもわずにやりと笑っていた。こーすけも同じ、にやり笑いを返してくる。

「面白ぇやろ、ひろと」

「だね」

「かぁっこいー! ひみつきちー!」

 そうなんだ。押入れの一段目は、こーすけが手をつけたらしくって、ひみつ基地みたいになっていた。

 コンセントを引っ張ってきた、ライトスタンド。壁には世界地図がはってあって、ダンボールで作った本棚にはマンガが一杯つまってた。大きい画用紙とスケッチブック、たくさんの色のマーカーペン。バスケットボールとサッカーボール、それからローラー・ブレードとローラー・シューズ。ブレイブボードももちろんある。スーパーウォーターガン(水鉄砲のすごい奴)。懐中電灯に筆記用具、何のためにあるのかは知らないけど、方位磁石まであった。他にもいろいろ、おもちゃが箱に押し込められている。新しいゲームのポスターもはってある。これ、買う予定なのかな。だったら、今度借りようっと。

「たける、ひろと。とりあえずこっち入れや。ここやったら、おかん来ても、ちょっと時間かせげるから、見られへん」

「うん」

 ぼくはたけるの手を引いて、押入れの中に入った。狭いけど、まぁ、三人なら入れなくはない。たけるは小さいしね。

 こーすけも続いて入ってきて、ライトスタンドをつけた。

 どーでもいいけど、すっごく蒸し暑い。あんまり長くいたら、ぼくの蒸し焼きができるかもしれない。

「……バカ。ほんとバカ」

「バカバカひどいわ、亜矢子ちゃん! こーすけくん、傷ついちゃうっ」

「……埋めて欲しい?」

「ごめんなさいもうしません」

 冷たい久野の態度に、こーすけが謝ってから肩をすくめた。

「とりあえず、おかんきたら教えて」

「判ったわよ」

 むすっとしながら、久野はふすまの外から顔だけをつっこんできた。

 薄暗い、蒸し暑い、息苦しい、けどなんだかわくわくする空間で、こーすけがたけるに言った。

「たける、鍵見せてぇや」

「うん」

 たけるは素直に頷いて、右手に握っていた鍵を見せた。

第6話 そして、ぼくらは、彼女と出逢った。

 うわ……汗だらけ。

 ぎゅうっと強くにぎったままだったせいか、たけるの右てのひらには、汗がびっしょりだった。金色の鍵は、その中でもきれいに見える。

「これか、見つけた鍵って」

「そ。体育館の鍵みたいでしょ」

 ぼくは言いながら、そばにあった懐中電灯をつけた。ライトスタンドだけじゃ、ちょっと見えづらかったからだ。こーすけは「サンキュ」と小さくつぶやいて、鍵をまじまじと見つめてる。手で口を覆いながら「ふぅん」と小さく声をあげる。

「ほんまや。細長いねんな」

「きれいね」

 久野も、感心したみたいにそう呟く。

「バカにしてたくせに」

 ぼくがぼそっと呟いたら、久野はメガネのフレームに手をそえながら、

「別に鍵をバカにしてたわけじゃないわよ。男子をバカにしてたの」

「一緒だろ」

「違うわよ。っていうか、なんでそんなケンカ腰なのよ」

「どっちがだよ」

 むすっとして、お互い睨みあう。こーすけが苦笑して、ぼくの頭を引っつかんだ。

「ケンカすんなや、人ん家で」

「悪かったよ」

 ぼくがあやまるうちに、久野はそっぽを向いて、ぼくらがいる押入れに背を向けた。そのまま、硬くなっている。こっちを絶対向かない、って言う意思表示かもしれない。知ったことか。

「それで? この鍵を狙ってマフィアだか海賊だかが追いかけてきたってことか」

「そうなるね」

 こーすけはうーんとうなって、

「ただの鍵やんな。別にめちゃ高そうとか言うんでもないし。つか、鍵が目的ってのは絶対なん?」

「それは確か。一回だけしゃべったのが、鍵を渡してもらおうか、だったからね」

「なるほどな」

「たから箱のカギなんだよ!」

 たけるが必死で両手を振り回している。信じすぎだ。信じすぎだよ、たける。

 べしっ、と久野の手が、後ろ向きのままこーすけを殴る。

「いった、何すんねんお前」

 久野は答えない。やなやつだ。

「……っとに。まぁええわ。それで、なんやろな。これ」

「さぁ」

「たーかーらーばーこー!」

「ええから、そっから発想はなれろや、たける」

 腕を振り回すたけるの頭をこーすけが叩いた。それを見て、ぼくは一瞬動きを止めた。

「……あるいは、たけるのセンもあるかもだよ、こーすけ」

「はあ? なんでやねん」

 べし、と久野の手が再度こーすけを殴った。けど、久野は相変わらずこっちに背中を向けたままだ。

 やなやつ。

「だからさ。鍵だよ、これ」

「見りゃわかるわい」

「だから。鍵なら――鍵穴があるはずじゃん。対となるね」

 ぼくの言葉に、こーすけは目を丸くして、それからそのままにやりと笑った。

「なるほどな。お前、頭ええやん」

「こーすけよりかはね」

「ひどいっ。そんなこと言うのっ?」

 またバカな事をしようとして両手を頬に当てたこーすけの頭をバシッ、と再度、久野の手が殴る。今度は強く殴られたみたいで、こーすけが痛そうに顔をしかめた。

「いったぁ、何すんねんな、亜矢子! さっきから人のことバシバシバシバシ殴りよって!」

 久野は答えない。そのかわり、バシバシバシバシバシ、と連打でこーすけを殴ってる。

「いたッ、痛いっちゅーねん! 亜矢子!」

 こーすけがたまらなくなったみたいで、叫んで押入れから抜け出した。ぼくとたけるも続いて――

 それから、すぐ、久野がこーすけを殴りまくってた理由が判った。

 ベランダに続く、ガラス戸。

 久野の視線は固まったまま、そっちに向けられていて。こーすけの視線も、同じところに向けられていて。ぼくとたけるの視線も、やっぱり同じところで。

 ガラス戸の向こうには――

 海賊が三人、へばりついていた。

 すう……っと誰かが息をすう音が、合図だった。

 ぼくらはそろって、四人でハモりながら――叫んだ。

『うわああああああ!?』

 一番最初に我に返ったのはこーすけだった。こーすけは叫びながら、カーテンをしゃっと閉めて、海賊たちの姿を隠す。久野とたけるはそろってわーきゃーわめきたてて、バタバタとおばさんがあわてて走りこんでくる音がした。

 まずい!

 ぼくはとっさに久野とたけるの口をふさいで、こーすけに目配せした。こーすけはすぐぼくの考えを読み取ってくれて(やっぱり、こーすけはこういうところでやりやすい)、ふすまが向こうから開くより早く、先にあけた。

 おばさんはビックリしたみたいに立ち止まっていた。ふすまを開ける寸前だったみたいだ。

「ごめん母ちゃん、うるそーして! ゲームやってたんやけど、亜矢子がセーブする前に消しよったから、ちょっとケンカしとってん! それだけ!」

「……っとに、なにかとおもったやないの! ケンカせんと仲良うせえ!」

「わぁっとる、ごめん!」

 そう言って、こーすけはぴしゃりとふすまを閉めた。「もうー」とかいいながら、それでも遠ざかっていくおばさんの足音。完全に足音が聞こえなくなってから、ぼくはそうっとたけると久野の口から手をはなした。

 久野もたけるも、そろってがたがた震えている。あたりまえだ。ぼくもそうだ。足がふらふらしそう。

 ガチャ! ガチャガチャガチャ!

「ひっ」

 悲鳴を飲み込んだみたいな音を、久野がもらした。

 ベランダの戸が、大きくなって軋んだ。海賊たちが、戸をあけようと――もしかしたら、壊そうとかもしれない――しているんだ。

 がちがちに固まったまま、鍵を握り締めているたけるの左手を握ってやる。

「おいひろと。お前が言うてたんって、あれか」

「そうだよ。どうみてもそうでしょ。あんなのがそこら中にいたら、すげえやだ」

「まぁ、そりゃそうやけど」

 久野が震えながらへたり込んで、ぼくらを見上げる。

「どどど、どうすんのよ! どうするのよ! け、警察に連絡……!」

「今からしたって、割と無意味っちゅーか手遅れっちゅーか……」

「こーすけのバカあ!」

 さっきよりは少し控えめに(たぶん、久野もおばさん巻き込んだらやばいと判ったからだろうけど)叫んだ。

 ガチャガチャの音が、しまいにはドンドン、に変わって来た。まずい。本格的に、ガラスを割って入ってくるつもりかもしれない。

「どうする、ひろと?」

「……逃げるしか、ないんじゃない? あ。こーすけ、ブレイブボードあるよね」

「あ? ブレード?」

「うん、貸して」

 さっき、押入れのひみつ基地にブレイブボードがあったのはちゃんと確認している。それでいけば、逃げ切れないこともないはずだ。こーすけはマウンテン・バイクがある。ただ、問題は久野とたけるだ。

 こーすけもそれが判ったんだろう、考えるようにまゆげを上げた。口を手で覆って、似合わない真面目な顔をする。

「賭けるか。あいつらが鍵を狙てるんやったら、オレとお前で鍵を持ってるってことを見せて、逃げたら、オレらだけ追いかけてくるかもしれん」

 ドン、ドンドン!

「――あいつらに脳みそがあったら、たけると久野を人質にする、って考えも、出て来ない?」

 ドンドンドン! ――ドンッ!

「……出て来るな。くそ、どないすりゃええねん」

 そのときだった。

「ひろと……」

 弱い音で、呆然とたけるがぼくを呼んだ。すぐに繋がった手をバタバタ振り回す。

「ひろと、ひろと、ひろとぉ!」

「なんだよ!」

「これ、これ何なの!?」

 また、たけるの「なの?」か――と思ったんだけど、それは一瞬だった。

 たけるが握っていた金色の鍵。それが、たけるのこぶしの中で――光っていた。

 最初は弱く、見つめているうちに、光はどんどん強くなる。ぼくらは一瞬、息をするのも忘れたみたいにたけるの右手を見つめていた。

 そして――

 光が、はじける。

「っ!」

 反射的にきつくまぶたを閉じたけれど、そのまぶたの裏側まで焼き尽くしそうな、太陽みたいな熱い光。

 ぎゅっとぼくの腕をつかんだのは、久野か。たけると繋がっていた右手も、ぎゅうっと強く握られる。

 眩しさは一瞬だった。

 眩しさが溶けてから、くらくらしながら目を開ける。目のまわりにちかちかしたいろんな色の光が飛び交っているみたいに見えた。頭が痛い。

真っ白だった世界が、だんだん視力とともに景色を取り戻し始める。

 

 そして、ぼくらは、彼女と出逢った。

第二章【キィ】

第7話 "彼女"

 最初に彼女を見たとき、色を付け忘れたホログラムみたいだ、っておもった。ゲーム雑誌で見たことがある、3D製作途中の絵。そんなかんじだ。

 真っ白だった。別に、髪の色が白いとか、肌が雪みたいに白いとか、そういうんじゃなくて。判りやすく言えば、単純に『人間じゃない』白さ。

 人間だったら、たとえ白髪とか外国人みたいな肌の白さとかでも、ちょっとは日に焼けてたりムラがあったりするもんだとおもうんだけど、そういうのもない。何より、何が変って影がないんだ。顔に落ちる影とか、でこぼこの部分にも前髪がかかっているおでことかにも、影がない。

 全てが、まぶしすぎるほどに真っ白。

 そう、本当に、色を付け忘れた3D映像みたいにね。

 それに、彼女はあんまりにもきれいすぎた。年齢は、判らない。ぼくらと同じくらいにも見えるし、ずっと年上の大人の人だって言われても納得できる。身長は、この中で一番高いこーすけより、少し高いくらい。服は着ていなくて、マネキンみたいに白い裸の体。だけど、マネキンより――なん、ていえばいいのかな。ずっと……そう、生きている感じがする。それが、ちょっとドキドキした。

 そういうのが全部合わさって、彼女はすごくきれいだった。六年の中でたぶん一番可愛い栗原さんより、きれい。TVタレントより、きれい。外国人みたいな顔立ちだけど、映画の女優さんより、ずっときれいだった。

 人形じみた――っていえば、いいのかな。目とか鼻とかくちびるとか、そういうのがすっごく計算されたバランスの上で飾られているみたいに整っていて、ひとつひとつのパーツも、めちゃめちゃていねいに作られたプロの作品みたい。まぶたも瞳もくちびるだって、一切色がついていなくて真っ白なのに、怖いという気は全く起きなかった。不思議と、怖くなかったんだ。

 ただ、ぼくらは吸いつけられるように、その真っ白な瞳を見つめていた。

 ぼくも。こーすけも。たけるも。久野でさえも。

 光が消えた後、いきなりこーすけの部屋の真ん中に現れた彼女に対して、驚くより怖がるよりも先に、見とれていたんだ。

 ――ドンドンドン! ギチ!

「っ!」

 ぼくらを現実に引き戻したのは、ガラス戸が乱暴に叩かれる音だった。

 いつのまにかぼくの腕にしがみ付いていた久野が、また小さく悲鳴を飲み込んだ。たけるが強くぼくの手を握ってきて、爪が手に食い込んでちょっと痛い。

 こーすけはたぶん反射的になんだろうけれど――バスケのときみたいに、構えるポーズをとっていた。

 部屋に現れたその彼女は、ぼくらをじっと見つめて、それからゆっくりたけるに近付いた。白い瞳を、たけるの右手に向けて、今度は左手をたけるに向かって差し出した。

 たけるは、呆然としたみたいに彼女を見上げたまま、まるで夢でも見ているような雰囲気で右手を彼女に差し出して、鍵を――ずっと握り締めていた鍵を、手渡した。

 ぼくもこーすけも久野も、止めなかった。というより、止めるということ自体、思いつかなかった。

 彼女が鍵を手にするのは、あんまりにも当然に思えたから。

 その白い彼女は、鍵を持っていない右手の人差し指を、カーテンへと向けた。一番近かったこーすけが、まるでそうすることを知っていたみたいにカーテンを開けた。

 海賊が、まだそこにいる。

 彼女は海賊たちを見たあと、鍵を持っていない右手の指を空中にすべらせた。

 大きく円を描いて、それからその中にふしぎな模様を描く。彼女の指が通った先は、空中なのに浮き上がるみたいに光りだす。遊園地とかで売っている、夜になると光る、手首につけるブレスレットみたいな、あんな感じに。

 そしてそれが出来上がったと思ったら、彼女は左手の鍵をその絵の中心にさした。光る絵は、まるで吸い付くように鍵に向かって集まってきて、鍵がまた光り始める。その光る鍵を握ったまま、彼女は鍵をゆっくりとまわした。

 再び、光。

 またまぶたの裏まで焼きつくすような強烈な光に、ぼくらは声をあげるひまもなくてきつくまぶたを閉じてうつむくだけだった。久野とたけるは、ぼくの腕で目をかばっているようだ。こーすけは判らない。けどこーすけなら、ぼくより上手に目をかばっているはずだ。

 一秒、二秒……どれくらい、光が続いていたのかは判らない。あんまりにも眩しすぎる光のせいで、時間感覚まで吹っ飛んじゃったみたいだ。

 それでも、ようやく光が消えて景色が戻ってきたとき、ガラス戸の向こうにいたはずの海賊たちの姿は、もうどこにもなかった。

 ただ、ガラスを一枚へだてて聞こえてくるのは、ミンミンゼミが鳴く声だけだった。

 夏の陽射しが、ガラスを通って部屋にはいってきている。

 彼女はその光の中で、それでもやっぱり、白かった。

 六畳の和室、こーすけの部屋。クーラーの音と、ベランダの向こうのセミの声。冷たい麦茶の中にあった氷が溶けて、小さくからんと音を立てた。部屋にはつけていないテレビと、テストプリントとかで大変なことになっている勉強机。ふすまの向こうからは、さっきの光には気付かなかったのか、おばさんの鼻歌も聞こえてくる。夕食の準備でもしているんだろう。カレーの匂いが鼻をくすぐった。

 聞こえる音も、見える風景も、カレーの匂いも、何もかも『いつも』とかわらないあたりまえのものなのに。

 その中で、白い彼女だけは『いつも』とは大きく違っていた。

 海賊たちが消えて、彼女だけが残って。

 ぼくらは、何も言えずにしばらく立ちつくしていた。無表情度では、さっきの海賊たちとあまり変わらない彼女と、面と向かい合いながら。

 しばらくして、ようやく動きを取り戻したのは意外なことに久野だった。

 ピンクのフレームのメガネの奥から、じっと彼女を見つめあげて、久野はぽつりと言ったんだ。

「あなたは、だれ?」

 ――ってね。

第8話 日本語は通じますか

 今度こそ、おばさんに見つかったら大変なことになると思ったぼくらは、彼女をとりあえず押し入れのひみつ基地に押し込んだ。

 さわると、人間よりずっともろい、やわらかすぎる杏仁豆腐みたいな感触がかえってきて、ぼくらはそのことにもおろおろしたんだけれど、とりあえずぼくらのしたいことは察してくれたのか、彼女は何も言わずに押し入れのひみつ基地にはいってくれた。

 でもさすがに、全員が入れるわけがなくて、彼女を押し入れに、ぼくとこーすけでふすまが開けられても一瞬は大丈夫なように壁をつくって、久野とたけるはぼくらの向かいに座って、まるで半円を描くみたいに押入れを取り囲んで座った。

 彼女は、真っ白い瞳をじっと静かにぼくらにむけたまま、まばたきもしなければ呼吸すらしているのかどうか不安なほど、何も言わず、座っている。

 ふすまの向こう、おばさんが来ないことを確認して、ぼくはこーすけと顔を見合わせた。頷く。

「ええと……とりあえず、ありがとう。あの海賊たちおっぱらってくれたんは、あんたやねんな?」

 こーすけの言葉に、彼女は何も答えない。

「……日本語、通じないんじゃない?」

 久野の一言に、ぼくらはうっと固まった。その可能性は、ある。

「じゃあ、どうすればいいんだよ。英語?」

「アキオでも呼んでくるか?」

 クラスで一番英語が上手いアキオの名前を出されて、ぼくははぁと息をついた。

「いまから? アキオにまた説明するの? いちから?」

「……ごめん。オレもちょっと考えていやになったわ」

 自分で提案しておいてげんなりしたこーすけの頭を軽く叩いて、ぼくは頭をかいた。

「どーすればいいんだよ、これ。いつまでもここにいれるわけじゃないし」

 海賊たちはどっかにいって、とりあえず身の危険とかそう言ったものとは(一時的に、かもしれないけど)おさらばできて良かったけど。けど……で、どうすりゃいいんだ? さっきちらっと時計をみたら、五時近くだった。たけるとぼくの門限は六時だから、ちょっとやばいし。

 ぼくと久野とこーすけは、顔を見合わせてうーんとうなった。そもそも、英語だって通じるかどうか、あやしい。どっかの猫型ロボットの持ってる、それ食べたら誰とでも話せる道具とかあったら別だけど。そんなもんあるわけないし。……さて、どうしよう。

「ねぇ、おねえちゃんは、どうしていきなりでてきたの? 名前は何なの?」

 だけど、ぼくらより事情を飲み込めていないらしいたけるは、おとくいの「なの?」をはじめてる。彼女は白い視線を、たけるにあわせた。たけるは、全く動じることもなく、次から次へと「なの?」を問い掛けている。

 ぼくらがハラハラしながら見ていると、彼女はふいに鍵を押入れの床において、両手を空にした。

 その両手を、何も言わずにたけるに向かって差し出した。一瞬ぽかんとしたたけるは、自分の小さなどろと汗まみれの手を、彼女の手に重ねた。

 たけるの目が、吸い込まれるように彼女をみすえている。

「たける?」

 ぼくの呼びかけに、たけるはまばたきを二度、三度。それから、小さく呟いた。

「わかるの?」

〝うん〟

 聞こえた声は、こーすけのものでも、久野のものでも、もちろんぼくのものでもおばさんのものでもなかった。秋の教室みたいな、静かな声。女の人のものだ。

 その声の主が彼女だと、ぼくらは一瞬で理解した。

「……しゃべれるのね!?」

 小声で、だけどするどく久野が言った。心臓が、トクトクと汗を呼ぶように速くなる。

 もう一度、その静かな声で、彼女は頷いた。

〝うん〟

 ぼくとこーすけは顔を見合わせて、思わずお互いでガッツポーズをした。こーすけが身を乗り出し、口を開きかける。と、久野が手のひらでぼくらを止めた。

 冷たい目が「いいから黙ってなさい」と言っているみたいで、ぼくとこーすけはむすっとする。

 たけるの手から自分の手をはなし、だけど相変わらずの無表情で彼女はこっちを向いている。

「どうして今までしゃべらなかったの?」

〝あなたたちの使用している言語情報が、データベースに存在していなかったから〟

 久野の問いかけに、彼女が答える。ぼくとこーすけ、たけるの三人は、一瞬目がテンになった。げんごじょーほーがデータベース。

 ……いや、なんとなく、判るのは判るけど。いいや。質問は久野に任せておこう。

「じゃあどうして、いきなりしゃべったの?」

〝この知的生命種……『たける』の思考データを読み取って、認識、分解して言語情報をくみ上げることが出来たから〟

 ……たぶんよーするに、たけるに触ったから、判るようになった、ってことだ。たぶん。

「じゃあ、あたしたちの言葉は判るのね? いくつか質問してもいい?」

〝わたしが答えられる範囲ならかまわない〟

 相変わらず無表情で、淡々と彼女が答える。久野は頷いて、ぼくとこーすけを見た。

「何から、聞く?」

「……お名前とLINE交換を! オレと愛あふれたおデートを!」

 バカなことを騒ぎ出したこーすけの頭を引っつかむ。そのまま力をこめるとこーすけが悲鳴を上げた。

「イダダダ、い、いだいでふ、ひろとふ……あた、あたまがあっ! いやーっ!」

「バカなことしか言えないんだったら、黙れ?」

 久野は相手にするのも疲れた、というような無表情で、こーすけを無視した。

「次。片瀬」

「いきなりふるわけ!?」

「何よ、文句あるの?」

 冷たい視線のまま、久野が言ってくる。チクショウ、やなやつめ。

 ええと、なにを聞けばいい? とりあえずあなたは何――はいくらなんでも抽象的すぎる?

「じゃあ――あなたと、その鍵の関連について教えてください」

 ぼくの言葉に、彼女は一瞬考えるそぶりをみせた。

〝今現在、あなたたちが相対しているわたしと鍵は、本来同一のものと言って良い関係だ。ただしこの姿は外部投射映像にすぎない〟

『…………』

 ぼくらは一気に沈黙した。

 判るか。判るかこんなもん。たけるから言語情報とやらを組み上げたんだったら、もう少し判りやすい日本語でしゃべって欲しい。だからって、たけると全く同じ調子でしゃべられても、それはそれでいやだけど……

「つまり……」

 久野がこめかみをぐりぐりさせながら、低く言葉を続けた。

「この鍵は、イコールあなた自身。だけど、今あたしたちが見ているあなたは、映像であって、あなた自身じゃない。そういうこと?」

〝うん〟

『おおー……』

 ぼくとこーすけとたけるは、久野の読解力に思わず拍手をした。久野はこんなのあたりまえでしょってな顔で、つんと鼻を上げた。

「なら、本来のあなた自身はどこにいるの?」

 彼女はまた少し、沈黙した。何か考えるような時間を置いて、

〝『わたし』自身はわたしだが――わたし、また鍵と同一のものなら、たけるの記憶、言語情報とあわせて調べると、あなたたちの言うところの『キリン公園』という場所付近にいる〟

第9話 キリンの顔の滑り台は実はけっこう急です

「キリン公園?」

 よく知っているその単語に、ぼくとたけるは顔を見合わせた。久野とこーすけは一瞬首をかしげて、それから思い出したというように手を打った。

「あー、五番街の中にある公園や。キリンの顔した滑り台があるとこやろ?」

「ああ、あそこね」

「うん」

 ぼくは頷いた。こーすけと久野がとっさに思い出せなかったのは、二人ともが五番街に住んでないからだと思う。五番街の中にあるキリン公園は、そのままキリンの顔した滑り台があるからそんな名前を付けられてる。砂場と、シーソーと、ブランコと、滑り台。普通の大きさの普通の公園。角野にはこんなちっちゃい公園がいっぱいあるし、別にそこが特別どうってわけじゃない。トラ公園とかブタ公園とかゾウさん公園とかお馬公園とか、本当にいっぱいあって、その中のひとつだ。久野とこーすけが一瞬思い出せなかった程度の、そんな公園。

 ただ、他の公園と違うはっきりしたものが、ひとつ。

 ぼくとたけるが最初に鍵を拾った公園。あそこが、キリン公園だ。

 ぼくがその事を話すと、久野とこーすけの目が真剣になった。

「そこに、こいつの本体がおるってことか」

「こーすけ、早とちりしすぎ。その付近、っていってたでしょ」

 まさか本体がまだ砂の中にうまってます、ってこともないだろうし。付近、という言葉が気になったのも事実だ。てか、いやだ。人間が砂場から出て来たら、ふるさと新聞どころじゃない。

 そこまで考えて、ぼくはふと思いついた。

「ねぇ、本来のあなたも、その姿なの?」

 ……たけるがうつったかもしれない。

 けど、ぼくの言葉に、久野がちいさく「あ」と声をあげた。

〝違う。この姿はあくまでも映像に過ぎない。あくまでも、そばにいたあなたたちが警戒しないよう、最良の映像をとっただけ〟

「……じゃあせめて、色付けたほうがいいわよ」

 ぼそっとした久野のつっこみに、彼女はまばたきをした。

〝エラー。イロ、の意味が不明〟

「あ、もしかしたら色の概念がないのかな……納得」

 気にしないで、というようにパタパタ手を振って、久野は呟く。

「じゃあ……その、あなたの本来の姿って、どういったものなの?」

 久野にもたけるがうつってきている。

〝返答が困難。本来わたし自身――意思を持つ知性体としては、外観を持たない。あくまで意思のみの存在。ただし、わたしと本来同一のものは、〈船〉の中に搭載されている。そう想定して、わたし自身は『キリン公園』付近にいると発言した〟

 …………だから。

 ぼくたちはそろってげんなりした顔で沈黙した。

「久野、要約ぷりーず」

「ちょっとは考えようとしなさいよ!」

 ぼくの放り投げた一言に、久野がかみつくみたいに叫んできた。それでも、メガネのフレームに手をそえながら、何とか答えてくれる。

「だから、彼女自身は姿とかないけど、彼女の本体みたいなのは船にあるってこと、でしょ。ようするに、船が本体でいいんじゃない?」

 そこまで言ってから、久野は言葉を切った。

「……ふね?」

〝あなたたちの言葉で一番近いものを選択した。違ったか?〟

 違ったか、と言われても。

 ぼくらは顔を見合わせ、そろって天井を見上げた。いや、角野に海はある。海はあるけれど……キリン公園にあるわけじゃない。キリン公園に、船?

「すげぇ! 水陸両用船!? キリン公園最先端やん!」

「いや、とりあえず黙れこーすけ」

「海賊だよ! だから海賊なんだ!」

「ごめんねたけるくん、とりえず、だまっててね」

 久野にまでそう言われ、たけるはむーっとした表情で黙り込んだ。今まで、人の話全く聞いてなかったろ、たける……

 さらに問いただそうとしたとき、彼女の白い体に映りの悪いテレビの映像みたいな、ざざっとした砂が走った。

〝タイム・アップだ。外部投射映像の一定許容時間を超えた。映像を消去する〟

「は?」

 ぼくらが呟いたその瞬間には、彼女の姿はもうどこにもなかった。

「……消えちゃったの? なんで?」

 たけるの質問に、ぼくらが答えられるわけもなく。

「……時間切れだってさ」

「なんで?」

「知るかよ」

 ただ、判ったのは時間切れだったって事と、残されたのは金色の鍵だけだったってこと。他のことは全部、謎のままだ。

「どないする?」

 こーすけの言葉に、ぼくらは顔を見合わせる。

「とりあえず、キリン公園に行ってみるべきだとは思うけど、ただ」

 久野が、困ったように顔をゆがませた。

「ただ?」

「あたし、そろそろ帰らなきゃ時間がまずいの。門限、六時。自転車もとりに行きたいし」

「あ」

 時計をみると、五時四十五分だった。ぼくとたけるも、あわてて帰る用意をする。

「じゃあ、明日? 朝九時くらいに集合していってみる?」

 飲み終わった麦茶のコップを、トレイに戻しながら聞いてみる。こーすけが頷いた横で、久野が待ったをかけた。

「ねぇ、片瀬とこーすけ、宿題はおわってるの?」

「まさか」

「いやぁん、そんな単語、こーすけくんききたくなぁい」

「たけるもまだだよー」

 ぼくらのやる気ゼロの言葉に、久野がいやそうな顔をした。だって、まだ八月に入ったばかりだ。

「……まぁいいけど。だったら、たけるくんはともかく、あたしたちは夜にでも集合できるじゃない」

「夜は無理やって。オレ、おかんうるさいもん」

 こーすけの言葉に、ぼくも頷く。門限を過ぎたら、外へ出してはもらえない。

 ところが久野は、難しい算数の問題が解けたときみたいな、得意そうな笑顔を見せた。くすくす笑いながら言ってくる。

「だから、宿題おわってる? って聞いたの。今夜、みんなで宿題やるからって言えば、外に出られるでしょ?」

「……夜に?」

 宿題ならお昼にやりなさい、と怒られるに決まってる。だけど久野はにこっと笑ったんだ。

 ――そんな顔、今まで見たことないなってくらいの顔でね。

「お昼じゃ出来ないでしょ。理科の宿題、なんだった?」

『あ』

 ぼくとこーすけは、思わずそろって声をあげていた。理科の宿題を思い出す。

 ――夏の星座を見てみよう。

 ぼくらは顔を見合わせたまま、にやっと笑った。これなら、立派な理由になる。

「ただ、それやとたけるが無理やな。二年はまだそんなんやってへんやろ」

「えーっ! やだっ、たけるも行く! たけるがカギ見つけたんだよ!」

 不満の声をあげるたけるに、久野とこーすけは困った顔をする。ぼくはひみつ基地の床に落ちていた鍵を拾って、ポケットに入れた。

「とりあえず、鍵はぼくが持っておくよ。また海賊だかマフィアだか現れても、やでしょ。――で、たけるだけど」

 ぶすっとしているたけるの頭を叩いて、ぼくは言った。

「ぼくにいい考えがあるから。とりあえず、帰ろう」

 ぼくらは夜七時半に、角野第二公園で待ち合わせをすることを決めた。

第10話 わがまま作戦

 その日、たけるがぼくの家に泊まりに来た。

 これ自体は別に、全然めずらしくない。もともと、たけるの母さんとうちの母さんが親友同士だったとかで、ぼくらは小学校に入る前からお互いの家に泊まることが多かった。その関係で、たけるは未だにぼくの家にしょっちゅう泊まりに来ていたし(本当にしょっちゅう、だ。夏休みに入ってからは一週間に一、二回くらい来ている気がする)、今日泊まりに来ても不自然じゃない。

 だけど、今日たけるに泊まりに来いといったのはぼくで、これは作戦のうちだった。

 晩御飯を食べながら、ぼくはさも今思い出した、というように母さんにこう切り出した。

「あ、そうだ。母さん。今日、宿題やるからこのあと外にでていい?」

「宿題? なんの」

 晩御飯のナスのでんがくを食べながら、母さんが首をかしげる。ぼくはおみそ汁を飲み干して、

「理科のだよ。宿題一覧のプリント、渡してたでしょ? その中に書いてたじゃん。夏の星座を見てみよう、ってやつ」

「あー、あったわね。あ、ほんと」

 母さんは自分のすぐ後ろにある冷蔵庫を振り向きながらいった。冷蔵庫には、ぼくの学校関係のプリントがはってある。

「一人で行くの? 夜は一人じゃ危ないでしょ」

「こーすけたちと一緒。たいちの兄ちゃんが来てくれるって」

 たいちはクラスメイトのしっかりもので、その兄ちゃんは高校生だ。こないけど。呼んでないし。

「ああ、こーすけくんと。いいわよ、いってらっしゃい。あんまり遅くならないように気をつけてね」

「わかってる」

 よし、ここまでは成功。もちろん、ここまでは失敗るわけもない。

 問題は、ここから先。

 ぼくは隣でごはんを食べていたたけるに、小さく目配せをした。たけるは、はっと気付いたようにお茶わんを置く。

 作戦、スタートだ。

「ひろと、どっか行くの? たけるも行きたい!」

 よし、上手いぞたける。

 ぼくはたけるの言葉に、嫌そうな顔をしてみせる。

「嫌だよ。なんでたける連れて行かなきゃなんないんだよ。ぼくは遊ぶんじゃないぞ、宿題なの」

「やだ、たけるも宿題する!」

「二年坊には必要ないの」

 ぼくはぴしゃりと言って、食べ終わったお茶わんを重ねて、流し台にもって行く。

 たけるはぼくの後を追いかけて、イスから飛び降りて、お得意の両腕ブンブンをはじめる。

「たーけーるーもーいーくーのー! ひろとずるい!」

「ずるくない! うるさいな、わがまま言うなよたける!」

 ぼくが怒鳴ると、たけるは今にも泣き出しそうに顔をゆがめた。

 う。ちょっぴり罪悪感。……いや、これは作戦のうち。演技、演技。

「母さん、たけるがわがまま言う。なんか言ってやってよ。ぼく、嫌だからね。たけるなんてつれてったら、笑われるじゃん」

「たけるもいくのお!」

 たけるはそう言ってうそ泣きをはじめた。振り回した両腕を武器にするみたいに、ぼくを叩いてくる。ぼくは顔をしかめて、助けを求めるように母さんを見た。

「母さん!」

「いいじゃない、連れて行ってあげなさいよ」

 ――よし、作戦どおり!

 ぼくは内心でガッツポーズを作った。だけど顔はしかめたまま、振り回しているたけるの手を抑える。

「ヤだよ。ぼく、宿題でするんだよ? たけるなんて邪魔!」

「邪魔とか言わないで、ちゃんと面倒見てあげなさい。あんたもう六年でしょ」

「えーっ」

「たけるもいくの、たけるもいくの!」

 母さんと、たけるの二人にはさまれて、ぼくはとうとう根負けしたように、大きくため息をついてみせた。

「……わかったよ。連れて行けばいいんでしょ、連れて行けば!」

 ――作戦、成功。

 ぼくとたけるは、母さんから見えない位置で、こっそりお互い親指を立てた。

 あの時、もしぼくから「たけるも連れて行っていい?」ってきいてたら、母さんはたぶんノーと言ったはずだ。だけど、ぼくが嫌がってみせたことで、「一緒に行く」というたけるのわがままを、「絶対連れて行かない」というぼくのわがままにすりかえたんだ。そうしたら、わがまま合戦。二年のたけると六年のぼくじゃ、ぼくのほうが負けるに決まってる。母さんは自然、ぼくのわがままをダメっていう方向に動いて、結果たけるのわがままをオーケイしたってわけ。

 つまり、これをやるにはまずたけるが「たけるも行く」って言い出さなきゃ出来ないわけで、だから泊まりに来てもらったんだ。

 ばっちり作戦どおり。大人なんて、ちょろいもんだ。

第11話 夜遊びはダメです

 そして、夜七時半。角野第二公園。

 ぼくとたけるが行くと、すでに自転車にまたがった久野と、マウンテン・バイクにまたがったこーすけがそろってそこにいた。

「ひ・ろ・と・くうん! アタシはこーこよーう」

 こーすけがぼくらを見つけて手をふる。気持ち悪いこーすけに近寄って、そのまま一発殴っておく。

「痛っ。……ほんまシャレ通じへんやつやなぁ」

 頭をなでるこーすけに、ぼくはジト目になって低く言う。

「ボケるんなら、もっとマシなボケかたして」

「いやん。ひろとくんったら、わ・が・ま・まっ」

「ボードで殴りつけられるとけっこう痛いって、知ってた?」

「ごめんなさいもうしません。……て、ボードもってきたん?」

「うん。一応ね」

 ぼくは頷いて、こつんとコンクリの地面をボードの端で叩いた。ブレイブボード。地面を蹴らなくても加速できるスケボーで、コツはいるけどぼくの大得意。たけるは歩きだったから、それにあわせてゆっくりきたけれど、本気出せばかなり速く滑れる。

「一応?」

「また、海賊だかが現れたとき、これなら逃げやすいからさ」

 久野の問いかけに答えると、久野は少し迷うような仕草をしてから、

「速いのは速いだろうけど、こけたら、危なくない?」

「亜矢子知らんの? 六年の間やとけっこう有名やで? こいつ、めっさボード上手いねんで?」

 こけるわけがない、とこーすけが笑う。久野は少し目を丸くして、

「そうなの?」

 と問い掛けてきた。ぼくは小さく笑いながら、無言でブイサイン。バスケなら、こーすけと同じくらい……か、こーすけより少しヘタかもしれないけれど、こっちなら負けしらずだ。

「へぇ……」

「そいえば、たけるも来れてんな。大丈夫やったんや?」

 赤いセロファンをはった懐中電灯(星座を見に行くときはこういう風にしたほうが、目が暗闇になれるからいいんだ、ってプリントに書いてあった)を、付けたり消したりして遊んでいるたけるに、こーすけが言う。ぼくらは四人で歩きだして(ぼくはボードで滑りだして)、キリン公園へと向かう。

「ひろとがね、作戦してくれたの。ばっちり!」

 ぼくの作戦を、たけるが得意げに話す。

「さっすが。おまえ、わりと頭いいよな、ひろと」

 こーすけはこう言ったけど久野は面白くなさそうな顔をして、

「頭がいいんじゃなくて、悪知恵が働くだけでしょ」

 とかいいやがったけど、そこは無視。

 キリン公園へと向かう間、あれ以降『彼女』が出て来なかったか、とか海賊は、とか、そういう話にもなったけれど、実はこれは全くなかった。ちょっと、期待していたんだけどね。

 まぁ、いい。その沢山残った謎を解くために、今こうやってキリン公園へ向かっているんだから。

 少しして、キリン公園に辿り着く。五番街の端にあるキリン公園は、ぼくとたけるの住んでる十棟のちょうど対極線側にある。角野第二公園からは、並木道一本。街灯が沢山の第二公園と比べて、キリン公園は街灯が一本、ブランコのそばにあるだけだから、薄暗い。ここに来る途中の並木通りも、街灯は少ないから暗かった。

 夜のキリン公園。

 ぼくらは誰もいないことを確認して、そっと足を踏み入れた。

 ほとんど正方形のキリン公園。真ん中あたりに名前の由来のキリン型の滑り台。顔を地面につけた形で、長い首の部分が滑り台になっているんだ。キリンのおしりがあるほうに、ブランコが四つ。ブランコの隣、公園の端に沿うようにシーソーが二つ。

 問題の砂場は、キリンの頭が向いている先だ。

「ここやねんな?」

「うん」

 昼間放り投げたままだったたけるのスコップが、そのまま残ってある。間違いない。

 たけるが落ちていたスコップを握って、砂を掘り始めた。

「えとね、ここ。ここにあったの」

 自転車とマウンテン・バイクを止めた久野とこーすけが、たけるのそばによる。

「まだ埋まってる、ってわけじゃないわよね」

「船、やろ? ……船の模型とかプラモとか、そういうんかな?」

 久野とこーすけも、そろって砂を掘り始めたけれど、特に収獲はなさそう。ぼくは体を伸ばして見ながら、言う。

「あのさ、砂場とは限らないんじゃない? この付近、って言ってたでしょ。ぼく、ちょっと周り探してきていい?」

「一人で? 危ないわよ」

 久野の言葉に、にっと笑ってみせた。胸ポケットを叩く。

「ヘイキ。すぐ戻るし、ぼく鍵持ってるし、なんかあったら『彼女』が出て来るんじゃない?」

「……そう、かもしれないけど。持ってるからこそ余計に――」

「すぐ戻るよ」

 何かを言いかけた久野をさえぎって、ぼくはボードを漕いで走り出した。

第12話 いやまぁ確かに船ですけど

 右。左。右。左。右。左。

 同じ間隔、同じタイミングで、順番に体の重心をきちんとのせて。そうするとボードはぐんぐんスピードをあげて、ぼくの体を運んでくれる。

 ぼくらが住んでいるここ、角野町は海が近い坂の町だ。山も近くて海も近いから、町中はけっこうな割合で坂道が多い。学校とかは山辺にあるから坂の上、坂を下っていけば海に辿り着く。

 だからかな、時々、砂場からシーグラスが出て来る事もある。シーグラス、は海でよく見かける、角が円いすべすべしたガラスのこと。波に削られて、角がなくなるらしい。風向きによっては、五番街まで潮風が届くこともある。今はほとんど無風だけど。

 キリン公園を出て並木道とは反対に進む。すぐに左に曲がっていくと、学区外になった。この辺りは坂がきついから、ボードも速くなる。横滑りを入れたりして、スピードをコントロールしながら、ぼくは海に向かって進んでいた。すぐに、ぐるっと円をえがく長い坂道に辿り着く。沿岸線の道だ。

 かかとをつかって、動きを止める。カツン、と跳ねたボードを右手で押さえた。

 沿岸線の端、白いガードレールに寄っかかって身を乗り出すと、鼻先に潮の匂いがした。眼下には黒い海が広がっている。この道から先は、急に崖みたいになっている。下には、少しだけ道があって、すぐに海になっている。この沿岸線にそっていけば、遠回りしながら海辺につくのだけれど、まぁそこまで行く必要もないだろう。

 この沿岸線の道にいくのは、大人はけっこううるさい。確かに、崖みたいになってるし、ガードレールは等間隔においてあるだけだから、所々あいてるスペースがあるんだけど。――けど、そこから落ちる奴はいないだろ、いくらなんでも。

「うーん」

 海の辺りには、特に変化はないみたい。船――もなくはないけれど、いつもの漁船だと思うし、探しているのはこれじゃあなさそう。

 さて、と。ぼくは進行方向を変えて、キリン公園のほうを向いた。ここからは上り坂。ブレイブボードのままだと、けっこう面倒だったりするけど、まぁ、ぼくは慣れてる。

 下りよりもっと早く漕ぎながら来たときと同じ道を辿って行く。何気なく空を見上げると、夏の第三角形が見えた。宿題、終了。

 そして、そのままキリン公園の付近まで来て――ぼくは、見た。

 キリン公園のすぐそばの、大きな木。

 その木の枝と枝の間に――

 一抱えぐらいの円盤が、挟まっているのを。

「……」

 思わずボードから飛び降りて見上げていた。銀色の鈍い光りかたをした、ドラ焼きみたいな形の円盤。

 船、っていった。たしか『彼女』は船といった。

 船の形を想像していたぼくらにとって、それはあまりに違いすぎた。だけどある意味では確かに、船。

 ただしその前に――『宇宙』ってついちゃう。

「……」

 どっくんどっくん、心臓がうるさいほど高鳴った。

 まさか。まさかまさかまさか。

 いやでも。でもでもでも。

 頭の中で、そんな声が二重奏して言い争う。だけどしまいに、どっちを信じていいのかぼく自身が判らなくなって――ぼくはシャっと勢い良く滑り出して、キリン公園の中に入った。

 きょとんとしてこちらを見るみんなに、ぼくはちょっとだけ震えながら、こう言ったんだ。

「変なもの、見た」

 ……ってね。

 ぼくの意味不明な報告を受けた三人は、それでもぼくの示す場所まで来てくれて、それから四人そろって沈黙した。

「……確かに、変なものね」

 久野が、呆然とした口調で呟く。あいまいに、こーすけとたけるが頷いた。それから、どうするどうすると言いあって、結局こーすけがそれをとってみることに決まった。

 一番下の枝に、右足をかけて、ゆっくり木を登って行く。下のほうにはあまり枝がなくて、こーすけは少し昇りにくそうにしていたけれど、中間を過ぎれば昇りやすくなったみたいで、すいすい円盤に近付いていく。

 すごい、こーすけ。

 何がすごいって、びびってないのがすごい。

 ……ぼく、怖かったよ? あんな意味不明なもの、見せられて。いや、言わないけど。

 ぼくらが見上げているうちに、こーすけは円盤にたどり着いた。いつものおちゃらけた様子じゃなくて、さすがに少し顔が強張っている。

「どおー? こーすけ!」

「……生きとるみたいや!」

 い、生き……?

 ぼくと久野は、思わず顔を見合わせる。船が、生きている? そんなバカな。

「なんかあったかいねん。生きてるっぽいカンジ。よう判らんから、とりあえず下におっことすで!」

 こーすけはそういって、枝を両手でしっかり握った。そのまま、全力で円盤を――蹴り落とす!

 どん――って音を予測して、ぼくらは身構えていたんだけれど。

 意外なことに、音は全くしなかった。並木道の舗装された地面に、円盤は音もなく舞うように落ちた。

 その後を追うように、こーすけも木から枝を伝って降りてくる。中間を過ぎると、後は飛び降りて、そのままぼくの隣に並ぶ。

 円盤は、一抱えほどの大きさだった。

 表面は鈍い銀色で、まさにドラ焼きみたいな形。上の部分と下の部分が合わさるところに、赤い宝石みたいな光るものが転々とはめ込まれている。大きいのは、大きいけど……船の大きさじゃ、ない。もしこれに入ろうとするなら、三角すわりしなきゃいけないっぽい。

「これ……なのかな?」

「さあ」

 疑わしそうな久野の言葉に、ぼくはあいまいに首を振った。こーすけと顔を見合わせる。こくんとつばを飲み込んで、そっと表面に手を沿えた。

 ふしぎな感触がした。こーすけの言っていたとおり、確かにあたたかい。ちょうど人肌くらいか、それより少し温度が低いくらいだ。かたいようで、やわらかい。やわらかいようで、かたい。そんな感触。そうだな……人の肌がかたくなったら、確かにこれに似ているかもしれない――と考えて、ちょっと気持ち悪くなった。

 表面を少し叩いてみた。中がつまっているのか空洞なのかを確かめようとしたんだけれど、それもいまいち判らない。返って来る反応は、表現のしようがないふしぎなものだった。匂いも全くしない。

「うーん……」

 ぼくらがそろって首をひねった、そのときだった。

第13話 どろどろの親友

 ポウ――

 ふいに、ぼくの胸元が光りだしたんだ。

 胸元? ――ちがう、胸ポケットに入れてあった鍵だ。

「ひろと!」

 たけるの短い叫び声に、ぼくはあわてて胸ポケットを探った。金色の鍵を取り出す。

 鍵は、それ自体が発光体にでもなったかのように、あわく光を放っている。

 光はどんどん強くなっていき、お昼のあの時みたいにまぶしすぎるほどに輝いた。

『っ!』

 夜の角野町を引き裂くみたいな白い光が辺りを覆う。あまりの眩しさに、これはまずい、と思った。

 案の定、あちこちの窓が開かれて、なんだと叫ぶ声がする。ぼくらは身をかがめて、光が過ぎるのを待った。

 とんとん。

 ぼくの肩を、後ろから誰かが叩く。こーすけか?

 光がおさまって、だけどまだ眩しさとくらくら感にやられながら、そっと目を開けて振り返る。あけた目のすぐ前に、こーすけのどアップ。

「びっ……」

 ――くりした。

 無表情のどアップこーすけは、怖い。

「なんだよ、こーすけ。んな呆然としてる場合じゃないだろ、とりあえず――」

「ひろと……?」

 今度は隣から声をかけられて、ぼくはそっちを向いた。

「なんだよ! はやく逃げなきゃだろ!?」

 隣にいたこーすけは、青ざめた顔でふるふる首を横に振る。

「ひろと……オレ、ここにおんで……?」

 ――え?

 隣にいたこーすけの言葉に、ぼくは一瞬頭が真っ白になった。

 隣にいた、こーすけの。

 ……じゃあ、今ぼくの肩を、後ろから掴んでいるのは……誰だ?

「……」

 ぼくは無言のまま、冷や汗を流しながら振り返る。

 無表情の〈コースケ〉が、ぼくの肩を掴んでいる。そしてその〈コースケ〉の顔が――

 いきなり溶けた。

「うわあ!?」

 その溶けた液体が肩と顔に降りかかって、ぼくは思わず悲鳴をあげていた。

「片瀬!」

 久野が叫んで、手に持っていたジュニア星座早見表を投げつけてくれた。だけど、何の効果もない。ぼくはしりもちをついたまま、後ろに下がる。久野の星座早見表はカランと音を立てて地面に落ちた。

〝逃げて、早く!〟

 ふいに声が聞こえて、ぼくは顔をめぐらせた。ぼくのすぐ近くに、白い彼女が立っていた。

 ぼくはとっさに鍵を引っつかんだまま、立ち上がる。逃げる。そうだ、とりあえず逃げないと!

 座り込んでいるたけるを立たせて、叫んだ。

 本物の、こーすけに向かって。

「こーすけ、たける頼む!」

「わぁった! たけるこっち来い! 二人乗りや!」

 こーすけの声に、弾かれるみたいにたけるが両腕を振り回しながら走り出す。こーすけはたけるの手を引っ張って、一度キリン公園の中に入っていく。久野も後を追った。二人がそれぞれ、自転車とマウンテン・バイクで飛び出してくるまでは、ぼくとどろどろになった〈コースケ〉はにらみあっていた。

 白い彼女はぼくをかばうように前に出てくれたけれど、あまり意味はなさないようだ。昼みたいに、空間に絵を描いて追い払うこともしてくれない。もしかしたら、何らかの理由で出来ないのだろうか?

「片瀬、逃げるよ!」

 キリン公園から飛び出してきた久野の声に、はっと我にかえる。

 ぎゅっと唇をかんで、ぼくは走りながらボードに飛び乗った。ジャンプライド! そのまま勢い良く滑り出す!

 マウンテン・バイクに乗ったこーすけと、その後ろにしがみ付いて立っているたける。自転車にまたがった久野。ボードに乗ったぼく。全員一緒にぼくらは全力で走り出した。

 同時に、どろどろの〈コースケ〉も追ってくる。

 白い彼女は、ぼくの隣にぴったり寄り添うようについて来た。走っているようには見えない。両足はそろえられているのに、まるで滑るように速い。ふしぎだけど、この際追求するのは後だ。

「亜矢子、どこでもええ。下り道いけ、下り道!」

「く、下り!?」

「ボードもチャリ機もそっちのが速い!」

 ぼくの前を行くこーすけが、先頭を走っている久野に指示を出す。久野は立ちこぎで、スピードを上げた。

「落ちんなや、たける。つかまっとれよ!」

「う、うんっ……!」

 それに続くこーすけも、立ちこぎでスピードをあげた。たけるは振り落とされまいと必死にしがみ付く。ぼくもその後を追いながら、スピードを上げた。

「何なの!? 〈コースケ〉すごいどろどろできもいんだけど!」

「溶けすぎだよね、〈コースケ〉」

「〈コースケ〉きもちわるいよ!」

「こーすけこーすけ言うなやおまえらー!」

 ぼくらの口々の言葉に、こーすけが怒鳴る。久野は、右に、左に道をたくみに変えながら下り道を選んで進んでいってくれる。ぼくのボードもスピードにのって、うしろの〈コースケ〉との距離が徐々に開きだす。

「ねえ」

 ぼくは走りながら、隣を進む白い彼女にささやいた。

〝何〟

「後ろのあれって、昼間の海賊?」

〝……そう、貴方たちがそう呼んでいたあれね〟

 彼女の静かな頷きに、ぼくは息を吐いた。前を行く三人には聞かれないように声を落とす。

「ぼくが今、鍵をもっている。あいつらはこの鍵を狙っていると見て間違いないよね?」

〝うん〟

「だとしたら――」

 ジャッとローラーが小石をけとばした。

 重心を前に傾けながら、たずねる。

「ぼくが今、鍵を持ったままこーすけたちと違う方向に逃げたら、ぼくを追ってくる? それとも、こーすけたちも追って、人質にしたりとか考える?」

 彼女は一瞬沈黙してから、答えた。

〝後者の可能性は二パーセント弱。あれには、そこまで高度な知能は備わっていない〟

 ――なら、決まりだ。

 ぼくは握っていた鍵をもう一度胸ポケットにいれて、大きくひとつ深呼吸をした。

 目の前の三人は直線を走っている。もう少し行けば、十字路だ。坂道を選ぶとしたら、直線のはず。

 十字路に差し掛かる手前で、久野が叫んだ。

「直進!」

 久野が十字路を過ぎる。たけるを乗せたこーすけも十字路を過ぎた。

 だけどぼくはそれを合図に――

 左へと大きく身をきった。

第14話 キィ、という名前

「ひろと!?」

 びっくりしたようなこーすけの声が聞こえたけれど、後の祭りだ。

 左ひざを緩め、左手を地面につけるほどに急カーブをえがく。ローラーが地面と摩擦する。倒れるぎりぎりの角度で、左に曲がって、曲がりきったら無理矢理体勢を整えて、また漕ぎ出す。

 夏の熱い夜の風が、肺を満たした。

 振り返ってみると、どろどろ〈コースケ〉はぼくについてきている!

 よし、作戦どおり!

「ねぇ!」

〝何〟

 白い彼女は、ぼくについてきたままだ。

「昼間のあれは、出来ないの!? っていうか、ぼくどこまで逃げればいいわけ!?」

〝エネルギーがまだ充電しきれていない。もう少し、粘って欲しい〟

「どのくらいだよ!」

〝貴方達の時間感覚で言えば、四分と二十七秒四〇〟

 細かっ。

 ――約五分、か。

 五分なら、何とかなる!

 ぼくは気合をいれなおして、地面を蹴った。

 どろどろの〈コースケ〉は、徐々にスピードを速めてきて、ぼくとの距離を縮め始めた。相変わらず溶けたままで、無表情だ。

 横断歩道をわたり、図書館の前を駆け抜けて、砂山の土管をくぐって直進する。

 夜の角野はいつもと何となく雰囲気が違って、感覚が掴みにくかったけれど、それでも滑りなれた道には変わりない。右に左に足をきって、時々は障害物をジャンプして切り抜ける。

 ブレイブボードの感覚が楽しくなってくる。

 滑りながら判ったんだけれど、〈コースケ〉はあまり頭が良くないみたいで、先回りをするということは一切ない。律儀にぼくの通った道を通った順に追いかけてくる。

 しばらくそうやって、追いかけっこをしつづけた。ぜぇぜぇと息が上がってくる。やっぱり、五分間全力でブレイブボードを操るのはきつい。

「まだなの!?」

〝後五秒。四、三――〟

 彼女がカウントをし始めて、ぼくはほっとした。

 それで、気が抜けたのかもしれない。スピードが乗りにのったボードが、ふいに横滑りをした。反射的に体勢を立て直そうとしたが、爪先がかくんと空を切った。まずい!

 とっさに片足だけでステップしてボードから飛び降りる。ずざっ、といやな音を立てて。転ぶことだけは避けられたけれど、次の瞬間には目前に〈コースケ〉がいた。

「っ!」

〝鍵を〟

 彼女の言葉に、あわてて胸ポケットの鍵を手渡した。

 そこからは、まるでスロー・モーション。

 彼女の指が踊るみたいに空中に絵を描いて、その中心に鍵をさした。光が集まってくる。

 彼女が鍵をまわすと、また、光がはじけた。今度は予想していたぼくは、きっちり両手で目をかばっていたから昼よりはずっとましだった。

 そして、光がなくなって夜の静かな町に戻った時、どろどろの〈コースケ〉はもうその場にいなかった。

〝無事だね〟

「……なんとかね」

 彼女の言葉に、ぼくは力なく頷いてその場に座り込んだ。

「……ねぇ」

〝何〟

「明日の朝、この辺りですごいうわさになると思うよ。謎の白い発光!? とかって」

 ぼくの言葉に、彼女は無表情のまま言ってのける。

〝そうなの〟

「そーなの」

 ……まぁ、いいけど。別に。

「説明してくれる? 一から全部」

〝可能な限りは。ただし、もうそろそろタイム・アップだ〟

「明日でもいいよ」

〝了承した〟

 彼女が頷いた。そのころになって、遠くからぼくを呼ぶ声が聞こえ出した。たぶん、こーすけたちがさっきの光を見て、ぼくを探しに来てくれただろう。

「その前にさ。君の事、ぼくらはなんて呼べば良いの?」

 彼女は一瞬沈黙して、それからこう言った。

〝なんとでも〟

「ふーん……じゃあ」

 ぼくは少し赤くなっている右腕をぺろりとなめて、続けた。

「鍵から現れたから――『キィ』でどう? そのまんまだけど」

〝構わない〟

 そういった瞬間、白い彼女は――キィは、ざざっと全身に砂を走らせて、消えた。

 大きく、息を吐く。

「ひろと! 大丈夫か!?」

「片瀬!」

「ひろとー!」

 自転車を、マウンテン・バイクを地面に放りだしたこーすけたちが、ぼくのもとに走りよってきた。

 夜空には、きらきらとした星が見える。

 なんだか、大変な夏休みになりそうだな――って、ぼくはそのとき初めて、そう思ったんだ。

第三章【夏休み】

第15話 図書館の片隅で

「それじゃあキィが姿を現せることができるのは、四十分前後だってことね?」

 角野図書館の、すみっこの一角。普段ぼくらが入ることは絶対といっていいほどにない一番奥。分厚い横文字の本とかがいっぱいある、かび臭ささえ漂ってきそうな場所に、ぼくらは陣取っていた。

 古い大きな木のテーブルと、イス。普段ぼくらが出入りする場所……児童図書とかある辺りと同じテーブルだけど、あそこのテーブルにある落書きと違って、なんか頭よさそうなアルファベットの落書きがあったりして、やっぱり違うんだなぁと思う。天井の照明とかも、棚が高いせいか少し薄暗く思えて、ほこりが舞っているのが目で見える。いつもの場所じゃなくて、わざわざこんな一番奥に来たのは、ここなら来る人が少ないからだ。現に今も、ぼくたち以外には誰もいない。

 四人がけのテーブルの真ん中に、金色の鍵を置いて、ぼくとたけるとこーすけと久野は、頭を突き合わせて小声でぼそぼそしゃべりあっていた。

〝そう。あなた達の時間感覚で言えばそれが限度〟

 キィは――びっくりしたことに、どうやら鍵のままでも言葉を交わすことは可能みたいだった。

 というのも、あの後ぼくらが船のあった場所に戻ったときに話し始めたから判ったのだけれど。確かにキィは映像を消去する、と言っていただけだし、会話することが出来ないといったわけじゃなかったんだけど、ぼくらは思いっきりカン違いしていたもんだからけっこうビビッた。

 ――あの場所に、船はなかった。

 ただ地面に、久野のジュニア星座早見表が転がっていただけで、他には何もなかったんだ。

 キィはその光景を見たとたん、鍵のまま話しはじめた。

〝一時的にではあるが、あれは現れることがなくなるだろう〟

 ――ってね。

 ぼくらは思わずその場でキィの話に耳を傾けそうになったのだけれど、その頃になって消防車の音とかが向かってきているのが判って、あわてて逃げたんだ。たぶん、キィが現れた結果の光を、誰かが事故か火事かと誤解して通報したんだろうけれど。

 だからぼくらは朝九時にここ、角野図書館前で集合とだけ決めて、ばらばらに家に帰った。

 で、今こうやって――主に久野が――キィを質問攻めにしているってわけだ。

 久野の質問攻めによって判ったことが、いくつか。

 あの〈船〉は確かにキィの本体が搭載されているはずのものだということ。あの小ささは、生体素材――とか何とか言ってたけど、それが何なのかはよく判んないのでスルーした――の一時的な機能縮小における副作用……とかで、本来はもっとでっかいんだ、ということ。

 あの場所に〈船〉がなかったのは、〈船〉自体が自分で故障を直すために余計な負担がかからない宇宙空間へ移動したからだろう、ということ。

 ということは、ようするにキィは宇宙人だってことだ。……まぁ、あれだけ色々見せられた後だし、ぼくらはあんまり驚かなかった。驚くタイミングを逃しちゃった、って言うのもあるけれどね。

 キィの話によると、やっぱり地球は〈船〉にとってもキィにとっても多少の負担があるものなんだって。空気中の成分とか、重力とか、そういうものが普段(宇宙にいるとき)と違うから。だから、故障した〈船〉は宇宙へいってるらしい。

 で、その〈船〉が空の上にいる間は、例のマフィアだか海賊だか、どろどろ〈コースケ〉だかはこっちに来ることがないらしい。だから、たぶん大丈夫だろうってこと。

 それから、キィのこと。連続して姿を保っていられるのは、四十分前後。それを過ぎると、いったん充填のために少なくとも五時間は必要だということ。鍵は、外部投射映像を出すこともできる、キィの核みたいなものだってこと。あの海賊たちにやった魔法みたいなのは、あいつらだけに効くもので、地球上にかかわろうとする能力を、いったんぶち切っちゃうんだって。

 それだけの話を聞き終えて、ぼくらはいっせいに大きくため息をついた。

「亜矢子、もうやめようや。そのうちオレ、頭から煙ふくで」

「たける、わけわかんない……」

 こーすけとたけるが一番ぐったりしてテーブルに倒れ伏せている。ぼくもまぁ、似たようなもん。

 久野だけが難しい顔でぶつぶつ呟いているけど、正直、ぼくはこれ以上聞きたくない。話、難しすぎるんだもん。まとめて聞くには脳みそが沸騰しすぎる。ゆっくり、ちょっとずつでいい。聞きたいのは、聞きたいけどさ。

 久野はぱっとイスから立ち上がる。

「ねぇ、キィ。あなた、宇宙人なのよね?」

 立ち上がりながら訊ねた久野の言葉に、鍵のままのキィは一瞬沈黙した。久野はどうやら、まだ続けるらしい。

〝地球外知性体をそう称するなら、そうなる。ただし、わたしは人ではないけれど〟

「判った、ちょっと待ってて」

 そういって歩き出した久野に、こーすけがへろへろの声をかける。

「亜矢子ぉ、こーすけくんこれ以上続けられたら自然発火しちゃうー……」

「あとちょっと!」

 こーすけの言葉はあっさり斬り捨てられた。ぼくらが三人で待っていると、しばらくして久野が大量に本を抱えて戻ってきた。

 うげっとなってるぼくらをよそに、久野は鍵の横にそれを置いた。

『図解 宇宙の神秘』『知りたい科学 宇宙ってどうなっているの?』『UFO・UMAの謎を追え』『宇宙の惑星』などなど……

 久野が持ってきた本の表紙は、うさんくさいのから真面目そうなのから色々だったけれど、どれもこれも共通してきれいな宇宙の写真が入っているものだった。

「ねぇ、キィ。あなたの搭載されていた船って、こういう宇宙空間にいたのよね?」

〝うん〟

 キィの言葉に、久野は軽く頷いた。

「そして、あなたは船にいる。――ってことはよ。その船を作った誰かは、どこかの惑星にいるってことよね?」

第16話 キィの気持ち

 久野の言葉に、ぼくとこーすけは顔を見合わせた。たけるはよく判らないみたいで、きょとんとしている。

「そっか、そうやんな! どっかの惑星に、船作ったやつらがおるわけや。いくらなんでも船が勝手に出来るわけでもないやろ。さっすが亜矢子ちゃーん、かっしこーいっ」

「……だから、黙れ? まぁ、どこかにその星があるんだと思う。たぶん太陽系以外だよね。さすがに、船の中で勝手に生命誕生はないだろうし、久野の言うので、あってると思うけど。――キィ?」

 ぼくらは口々に言いあってから、本当はどうなのかをキィに訊ねるために呼びかけた。ところが、鍵は動きを見せないでじっとそこにあるだけだった。

 しばらく待ってみても、何も反応しない。ぼくらは顔を見合わせて、目を瞬かせた。久野が、恐る恐るといったようにもう一度キィに呼びかけてみる。

「キィ?」

〝――返答可能〟

 唐突に、キィは答えた。そのまま、どこか平坦な口調で続ける。

〝ただ……返答を拒否したい〟

 その言葉に、ぼくらはビックリして目を丸くした。

「……答えたくないって、こと?」

〝うん〟

 キィが、頷いた。ぼくらはますます訳が判らなくなって、顔を見合わせる。するとキィは、ぼくらの様子を察したように言葉をかけてきた。

〝申し訳ない〟

「い、いや。いいんだけど……」

 ぼくはあわててパタパタ手を振った。

「キィ、言いたくないことなの?」

 たけるが、鍵に向かって問い掛ける。キィはまた〝うん〟と頷いた。

 こーすけは、ぽりぽりと頭をかいて、

「そっか。言いたないんやったら、しゃあないわな」

「……無理に聞き出すのも、あれだしね」

 ぼくも、こーすけに同意した。久野も横で困った顔をしながらも同意している。

 ただ……ちょっとだけ驚いたんだ。

 キィは知ってることなら教えてくれるもんだと思ってたから。

 でも、当然といえば当然だ。キィはキィで、ちゃんと感情も何もあるんだから、言いたくないことがあっても、当然のこと。どっちかというと、ビックリしたぼくらのほうがおかしい話だ。

「ごめん、キィ」

〝ううん〟

 謝ったぼくに、キィがそう言って、少しだけ静かになる。

 何か……ちょっとだけ、キィに悪い気持ち。ぼく、キィの感情とかそういうの、無視してたみたいだ。それは久野も同じように感じたらしく、またキィを質問攻めにしようとはしなかった。ちょっと複雑な顔で、黙り込んでいる。こーすけも考え込むように手で口を覆っているし、たけるも似たようなもんだ。

〝……どうかした?〟

 キィが静かになったぼくらに、そう問いかけて来た。ぼくらは一瞬はっとして、自然と下を向いていた顔を上げる。四人で顔を見合わせて、苦笑いをした。

「なんでもないの。ごめんね、キィ」

 久野は持ってきた本をかき集めた。ぼくらもイスから立ち上がる。鍵はぼくが持った。

「ほんじゃ、今日はこの後どないする?」

 こーすけがそういいながら伸びをした。返却図書のカートに久野が本を戻すのを見てから、図書館の窓から外を見る。

 真っ青な空と、白い雲が気持ちよさそうだ。太陽はそろそろ、一日で一番元気になる時間。

 ぼくらは自然と答えは決まったぞと顔を見合わせて、にやっと笑った。もちろん、遊びに行こう、だ。

 図書館から出るとすぐ、カンカンの真夏の太陽が腕や足や顔を焼く。汗がぶわっと吹きだした。これで、何するか決まった。

 こーすけは青い空にぐっとこぶしを突き上げて叫んだ。

「じゃ、いったん家帰って昼ごはん食べたら、水着着てキリン公園集合ー! 海行くでー!」

『おー!』

 こうして、ぼくらとキィとの夏休みは始まった。

第17話 海で

 地元民しかこない海岸の中でも、さらに人気の少ない海岸の端。もともとはぼくとこーすけの遊び場だったそこに、久野とたけるとキィを連れて行く。

 満ち潮になるとその場所はなくなってしまうのだけれど、引き潮の今はちょうどいい具合に遠浅の海。ざんざん打ち寄せる白い波しぶきをけり上げながら、みんなで遊ぶ。

 キィにも姿を現してもらってね。

 いちご模様の水着を来た久野もメガネを取って、一緒に遊ぶ。ぼくとこーすけはゴーグルをつけて、どっちが長くもぐっていられるかの素もぐり競争をした。

「いっせーのー、せ!」

 バシャン!

 こーすけと同時に海にもぐる。きらきらした光の網が、頭の上、水面で太陽をおどらせている。

 冷たい海水の中、息を止めていると、隣から肩をとんとんと叩かれる。

 ……?

 振り返ってみて――ぼくは思いっきり息を吹きだしてしまった。

 こーすけがブタ鼻に白目というすっげーアホ面をしていたんだ。

「ぶはっ……!」

〝ひろと、五秒三二。こーすけ、六秒五。こーすけの勝ち〟

 酸素が一気になくなって、ごぼごぼっと白い息を吐き出しながら海面に顔を出したぼくに、キィが静かに告げてくる。こーすけはぼくより少し遅れて、海面に顔を出した。

 潮っ辛い水を咳と一緒に吐き出しながら、隣に上がってきたこーすけに水中でケリをかましてやる。

「げほっ……てっめ、こーすけ! 反則だぞ!」

「ルールなんか決めてへんやん。オレなんもしてへんもーん」

 へらへらっと笑うこーすけにつられるように、そばに立っていた久野と浮き輪で浮いていたたけるも笑ってる。けらけらと、大きな声で。

 ……なんだ。久野もこういう笑い方、出来るんだ。いつもつんけんして、やな奴だと思ってたけど。

「……どーかした?」

 ぼくの視線に気付いた久野が、笑顔のままで聞いてくる。いつもの、メガネの奥からじゃない、何にも覆われてないそのままの茶色い瞳と、日に焼けてるくせに、ぼくらよりは白い顔で。

「……なんでもない」

 水着姿の久野からあわてて視線を外す。と、隣に立っていたこーすけが、ぼくの耳にささやいてきた。

「いやん。ひろとくんたらえっちぃー」

「!」

 がんっ! と反射的にこーすけの腹に全力でケリをお見舞いしていた。

「げはっ!?」

 後ろにバシャンとしぶきを上げて倒れるこーすけに、久野とたけるが目を丸くする。

 起き上がったこーすけは、それでもニヤニヤ笑いをやめようとしない。久野には聞こえないように、小さな声で言ってくる。

「おっぱい星人ー。こーふんして、ち――」

「死ね! いーからおまえは一回死ね!」

 こーすけの頭をつかんで、海面に押し付けた。このやろう、一回死んで来い!

 がぼごば水を吐き出しながらばちゃばちゃしているこーすけを見て、その頭を押し付けているぼくに久野があわてて止めてくる。

「ちょ、ちょっと片瀬、やりすぎやりすぎやりすぎ!」

 う。

 久野の冷たい手が、腕にさわってきて水がしたたった。一瞬こーすけの頭から手をはなした隙に、こーすけは顔を出して思いっきり息をすっていた。

「ひろとやりすぎや、ほんま死ぬやん!」

「るっさい! 自業自得だ、ボケ!」

 水につかっているキィは相変わらず無表情に、ぼくらに聞いてきた。

〝一回死ね、とひろとは言ったが、あなたたち人間は二度生きることが可能な生命種なの?〟

『……』

 あまりに素直なキィの言葉に、ぼくらは水でびしゃびしゃになりながら顔を見合わせて、一瞬言葉を失って。

 それから、太陽に届くぐらい大きな声で笑った。

第18話 あるいはひまわり畑で

 沿岸沿いの道のはずれに、大きなひまわり畑がある。鮮やかな黄色の、大きな花が太陽に向かって首を伸ばしている。

 そのひまわり畑の中に入って、ぼくらはそれぞれスーパーウォーターガンをかまえていた。

「っていうか、ね。このチーム分けにはあたしはどうかと思うんだけど」

 Tシャツとハーフパンツ姿の久野が、むすっとした表情でぼくらを見る。ぼくとこーすけは顔を見合わせて、肩をすくめた。

「亜矢子ちゃんわがままー。正当なグッパの結果なのに、こーすけくん、泣いちゃう!」

「ああ、こーすけうざい! だいたいグッパだからって、こーすけと片瀬がペアで、あたしとたけるくんがペアじゃ、どう考えたってあたしたちが負けるに決まってるじゃない!」

 パー組み久野の主張に、パー組みたけるがきょとんと顔を上げた。二丁拳銃よろしく、両手にもっている水鉄砲を見せて、得意そうな声をあげる。

「たける、負けないよ? がんばるもん!」

「判ってる、でも無理!」

 久野はあっさりたけるに言うと、ぼくらにグッパのやり直しを要求してくる。

「っていうかさ。それなら――」

 ぼくはTシャツのえりから鍵を引っ張り出した。鍵にひもを通して、首から下げるようにしたんだ。

「キィ」

 ぼくが呼びかけると、ひまわり畑は一瞬真っ白な光に覆われる。光と眩しさが青空に溶けたときには、真っ白な姿のキィがそこに立っていた。真夏の太陽の下でも、汗とかは一切かいてない。眩しいほど白い体は、太陽に反射しそうなくらいだ。

「ぼくとこーすけがペア。で、そっちは久野とたける、それからキィがチームでどう? 二対三」

〝わたしが亜矢子たちのチームに入ればいいの?〟

「そ」

 久野はしぶしぶといった顔でオーケイして、自分のスーパーウォーターガンをキィに手渡した。久野自身は、たけるの水鉄砲をひとつ借りる。

 真夏のひまわり畑での、水鉄砲合戦スタートだ。

 青空がひまわりの間から覗く細いあぜ道を、こーすけとぼくは走り出す。

 ひまわりを盾にして、スーパーウォーターガンを撃ちまくる。勢い良く飛び出した水が、久野に直撃して、久野が声を上げた。

「一点先取!」

「このっ!」

 飛び出してきた久野が、水鉄砲を撃ちまくる。ぼくとこーすけはしゃがんだり、ひまわりを盾にしたりしてその攻撃をかわした。

「へっへー。あたりませんよー、ひ・さ・の・さーん」

「ムカツク! キィ、やっちゃって!」

〝了解〟

 久野の言葉に、キィはひまわりの間から姿を出す。チャンス!

「ひろと、やっちまえ!」

「おう!」

 こーすけに言われるまでもない。がしゃがしゃっとスーパーウォーターガンのポンプを動かして、キィに照準を合わせた。

 ところが。

〝照準設定完了。誤差〇・二。許容範囲内。標的・ひろと。発射〟

 バシュン!

 キィの撃った水は、ぼくの顔面にきれいにぶちあたった。

「ぶっ!?」

「きゃーっ、キィ、すごい! も一発!」

〝第二派、発射〟

 バシュン!

 久野のうれしそうな声とともに、ぼくの顔面にまた水がぶちあたる。

「もっと!」

〝発射〟

 ビシャン!

「もっと!」

〝発射〟

 バシャン!

「キィ、ずっとやっちゃえー!」

 ――結局。

 ぼくがキィからの一方的な攻撃から解放されたのは、たま切れならぬ、スーパーウォーターガンの水切れになったころだった。

 このスーパーウォーターガン、ポンプにはかなりの量の水が入っているわけで。しかもスーパーとかつくもんだから、ポンプは二つついてるわけで。つまり、キィの攻撃がおわった時には、ぼくは全身びしょぬれだった。いやもう、きっぱりありえないほどに。

 パンツもくつの中もびしょびしょで、むすっとした表情で立ちつくすぼくをみて、久野とたける、あろうことか同じチームのこーすけも爆笑していやがる。

「なんか……すっげぇ納得いかない……」

 見ると、辺りのひまわりにもしぶきが飛んでいて、太陽に反射してきらきらしている。

 こーすけがまだ笑いながら、ぴゅうっとスーパーウォーターガンの水を飛ばした。太陽に反射して、虹が見える。

〝任務終了。ゲーム・セット。わたしたちのチームの勝利〟

 虹の中で、淡々とした口調でそうつげたキィは、涼しい顔だ。もうそりゃ、あたりまえですよってな顔で。

 ぼくは思いっきり肺に空気をためて、大声で叫んだ。

「反則だああー!」

第19話 バスケと、それから科学館

 キィにバスケのルールを教えるのは相当苦労した。

「キィ、キィ! ボール持ったまま走っちゃだめ! トラベリング!」

 ボールを両手でしっかり抱えたまま、すっとゴール方向に向かって滑っていくキィをあわてて止める。

 この辺りの公園で、バスケットのゴールポストが設置されているのは第二公園だけなんだけど、さすがにそこだと人目につく。だからぼくらはキィに服を着せて帽子をかぶらせて、日が暮れてから遊んだ。これなら遠目にはキィの普通じゃない様子には気付かないはず。

 ところがキィは、ぼくの声にきょとんとした顔を見せて立ち止まるだけだ。

〝あなたたちのように、方足を踏み出すのが一歩だとすれば、三歩以上でトラベリングという反則行為だとは理解している。しかしわたしは、三歩以上歩いてはいない。なのに反則なの?〟

「今ものすっごく移動したように見えたのはぼくの目の錯覚ですか、キィ」

 スリー・オン・スリーには一人足りないから、二対二でとりあえずルールを教えようとしていたのだけれど、相手チームの久野とこーすけもぐったりした顔を見せている。今のはどう見たってトラベリングだ。

「だぁかぁらぁ、移動するときにはドリブルするの。こうやって」

「ひろとーぉ」

 チームを外されてふくれているたけるが、ベンチから声を投げてくる。

「キィ、トラベリングじゃないよ。歩いてなかったもん。両足そろえて滑ってただけだもん」

「……」

 ぼくらはその言葉に顔を見合わせるしかなかった。キィはというと、その通りだとばかりにこくこく頷いている。

 ぼくは思わず笑ってしまって、ドリブルの手を止めて赤茶色のバスケットボールをこーすけへ投げた。

「バスケ以外にしよう。たけるも遊べるやつ」

 ぱしっとぼくのパスを正確に受け取ったこーすけが笑った。

「そやな」

 角野町を出て、電車で市内のこども宇宙科学館にも行った。

 壁一面に宇宙の絵がかかれていて、ブラック・ライトで光るスペースロードとか、火星や月での測定結果もわかるジャンプ力測定器とか、斜めの部屋とか――いろんなものがあった。

 さすがにキィに姿を現してもらうわけにもいかなくて、キィは鍵のままだったけれど、それでも楽しんでいるみたいだった。ぼくとしてはブラック・ライトで光るスペースロードをキィが歩いたら光るのかどうかがものすごく気になったんだけど、それは謎のままだった。

 プラズマ・ボールで髪の毛が逆立ちしたこーすけや、そのこーすけに追いかけられて逃げ回るたけるを見て、久野が楽しそうに笑ってた。

 キィは『たくさんの銀河』というパネル展示物に興味を持ったらしく、ぼくにこうささやいた。

〝わたしを……鍵を、パネルに少し近づけてくれない?〟

 キィに言われるまま、鍵をパネルに近づける。

「太陽系は銀河系というたくさんの星の渦の中にあります。太陽系から銀河系の中心までは約三万年、銀河系の端から端までは約十万年かかります」

 展示物にかかれている文章を、久野が声に出して読んだ。数字の大きさにぼくらは顔を見合わせてはてなマークを浮かべるしかなかったのだけど、続きの言葉にはさらにはてなマークが増えた。

「宇宙には銀河系と同じ銀河が……いちじゅうひゃくせん……一千億個以上もあるといわれています。となりのマゼラン銀河までは十七万年、肉眼で見える一番遠い天体アンドロメダ銀河までは二百三十万年かかります。だって」

「へぇ……」

「ねぇ、ひろと。にひゃくさんじゅうまんねんって、どれくらいなの?」

「ありえないくらい」

 たけるの「なの?」にはものすごく判りやすく答えてやる。

「宇宙の果ては、これまでの推測から、おおよそ百五十億光年のかなたといわれています。これは光の速さでも百五十億年かかるということです――だって。すごいね」

〝もっとだ〟

「え?」

 久野の読み上げた声に、キィが静かに告げた。ぼくらは思わずキィの声に耳をすませた。

「もっとって、もっと遠いってこと? キィ」

〝うん。正確な数字は〈マザー〉でも割り出せてはいないが、これ以上なのは確か。そもそも宇宙空間は常に広がりつづけている。正確な数字を割り出そうとするほうが馬鹿げている〟

 常に広がりつづけている。その言葉に、思わずパネルをもう一度見た。色鮮やかな、宇宙の絵。どんどん広がっているという。

「ねぇ、キィ。〈マザー〉ってなに?」

第20話 そして花火

 ふいに久野がキィにそう問い掛けた。キィは一瞬沈黙して、少ししてから言葉を選ぶように続けた。

〝〈マザー〉と言う名称は、あなた達の言語に照らし合わせて一番近いものを推測してつけた。本来のわたしそのものであり、わたし――キィとリンクしている存在〟

「……ええと。あの――」

 こーすけが呟きかけて、周りを気にするように声を抑えた。

「宇宙船のことか?」

〝物理的にはイエス、本質的にはノー。あれに搭載されているもののこと〟

 キィの遠まわしな言い方に、いつかと同じ「言いたくない」気持ちを感じ取って、ぼくらは少しだけ言葉を止めた。やめようと言うように、視線を交わしあう。

 久野が話題を変えるように、パネルを示した。

「ねぇ、キィ。あなたはこの――銀河系以外の銀河を見たことがある?」

〝うん。わたしたちはここ以外の銀河に存在していた〟

「へぇ……」

 キィは、太陽系の外、銀河系の外からやってきたってことだ。たけるが目をぱちくりさせて、すぐに大きな笑顔をみせた。

「すごいねぇ、キィ。じゃあキィは、ありえないくらい遠いところから来たともだちなんだね」

 たけるの言葉に、ぼくとこーすけと久野も思わず目を丸くした。そうだ。そう考えたら、すごいこと。

 となりのマゼラン銀河だったとしても、十七万光年も彼方からやってきた友達になる。アンドロメダ銀河なら二百三十万光年、もしかしたらそれ以上遠い場所かもしれない。

 そんな遠い場所からやってきたキィと友達になる確率なんて、それこそ文字通り天文学的数字になるはずだ。

〝ともだち?〟

「そうだよキィ。あたしたち、すごい確率でともだちになったね。すごいね」

 うれしそうに頬を染めた久野のささやきに、キィは一瞬だけ言葉を切って、少しして頷いた。

〝うん。うれしい。ありがとう〟

 砂場の鍵は、遠い宇宙とのともだちをつくってくれたことになる。まるで、砂場で見つかるシーグラスが、海と繋がっているみたいに、砂場の鍵は宇宙と繋がっていた。

 ぼくたちはなんだかうれしくなって、みんなで笑顔をこぼしたんだ。

 海岸で行われる花火大会にも、みんなで行った。

 久野は、ピンクの浴衣を着てた。そういえば、メガネのフレームもピンクだし、この間の水着もピンクだったな、と思って、ぼくはわたあめを食べながら歩いている久野に、聞いてみる。

「ピンク好きなんだ?」

「え? あ、うん。似合う?」

 にこっと笑って、浴衣を見せびらかしてくる。前のほうでたけるとふざけあってるこーすけを確認して、ぼくは小さく頷いた。

「まぁ……うん」

「あは、ありがと」

 久野はそう言って、にこっと笑った。屋台のあかりが、久野の横顔を明るく照らす。

〝ひろと、体温の上昇を感知したが、どうかした?〟

 あああ……

 胸に下げている鍵のままのキィにそうささやかれて、ぼくは頭を抱えたくなった。

「だまっててよ、キィ!」

〝了承した〟

「どーかした?」

 鍵を握り締めているぼくに、久野がきょとんとした顔を向けてくる。

「……なんでもない」

「おーい。亜矢子ー、ひろとー。何しとんねん。ミルクせんべいかったら、いつもんとこ行くでー?」

 ぼくらを振り返ったこーすけが、大きく手を振ってくる。ぼくは小さくほっと息をついた。

 ミルクせんべいを買って、ラムネを買って、人がたくさんいる屋台が並ぶ海岸線から離れる。いつもの、人がなかなか来ない海岸の端に行って、そこでキィに姿を現してもらう。

 瓶のラムネの玉を落とすと、シュポン、という涼しげな音とともに、白い泡があふれだす。こぼさないように口で受け止めると、鼻の奥がつんとした。

「ひろとー」

 たけるがぼくを見上げながら、首をかしげた。

「鼻にしゅわしゅわついてるよ」

 ……。

 あわてて鼻をぬぐう。久野が隣で笑っていた。

〝それはこの星の流儀なの?〟

「そんなわけないでしょ!? キィ、判ってて言ってない!?」

 白い姿のキィに叫ぶと、キィは少しだけ沈黙して――それから、相変わらず無表情に頷いた。

〝少し〟

 こーすけが、ぶはっとラムネを吹きだした。

第21話 夏休みが過ぎていく

「きったないなぁ、こーすけ!」

「ご、ごめん。そ、そやかておまえ、キィにからかわれとんねんで? うははははっ」

「笑うなよ! キィもからかうな!」

 キィは相変わらず無表情に言ってくる。

〝不快感を与えたなら、謝る。ただ、あなたたちを見ているとこういう事もしてみたくなった〟

「……別にいいけどさあ!」

 久野が少しきょとんとした顔をしていたが、すぐにひまわりみたいな笑顔をみせた。

「キィも、冗談とか言ったりするんだ」

〝言ってみたくなった。あなた達の影響だと思う〟

 ぼくらはその言葉に顔を見合わせて、思わず苦笑い。ただ――少しだけ、うれしかった。

 そのとき。

 パァン――!

「あ、はじまった!」

 久野が、うれしそうに声を弾ませた。花火の打ち上げが始まったんだ。

 ここからだと少し花火は小さく見えるけれど、それでも黒い海と空に、色鮮やかな花火が咲く。

 赤い大きな花火。黄色の小さな花火がいくつも。青い花火が途中で色をかえて緑になった。金色のしだれ花火が、まるでふってくるみたいに見える。

 次から次へ、いろんな色の、いろんな大きさの花火が空に咲いていく。

 ぼくはふと、隣を見て目を瞬かせた。

 花火を見上げていたキィの横顔が――少しだけ、さみしそうに見えたんだ。

「キィ?」

 気のせいかもしれない。そう思いながらも、ぼくは声をかけずにいられなかった。キィは花火を見上げたまま、小さく言葉を呟いてくる。

〝これが、花火?〟

「うん。きれいでしょ?」

 ぼくの言葉に、キィは少しだけ沈黙した。キィの様子がなんだか変だと感じたのはぼくだけじゃなかったようで、気付くとこーすけも久野もたけるも、キィの顔を見つめている。

〝星が死滅するときと、なんだか似ている〟

「え?」

〝消えていくものを感じる。少しだけ……奇妙な感じがする〟

 じっと次々と撃ちあがる花火を見つめて、キィはそんなことを言った。

 たけるがふいに、キィの手をにぎった。

「さみしいの? キィ」

 キィは少しだけ沈黙してから、やっぱり花火を見上げたまま小さく頷いた。

〝この感情は、もしかしたらそう称するものなのかも知れない〟

 打ち上がる花火は、大きくて鮮やかで、とてもきれいだけれど、一瞬きらめいてしまえば後はすぐになくなってしまうものでもある。キィが感じているさみしさは、もしかしたらそういうものに感じる何かなのかもしれない。

 ぼくはその時初めて、花火がさみしいものでもあるって知ったんだ。

 次々に打ち上がる花火は色とりどりで、だけどそれを見上げるキィは、ただ一色の真っ白で。

 ぼくらは結局何も言えなくなって、キィの映像が消えるタイム・アップの時まで、みんなそれぞれキィの手や肩をにぎって、ただ何も言わずに花火を見つづけた。

 キィと一緒に過ごす夏休みは、いつも以上に楽しくて、いつも以上に早く過ぎていった。

 夏の太陽は変わらない暑さを降り注いでいた。

 時々は久野に教わって宿題をしたり、たけるの朝顔観察日記につきあったり――そんな毎日を過ごしているうちに、いつのまにか八月も終わりに近付いていた。

 ぼくらはキィと一緒にいることが楽しくて、海賊やらマフィアやらどろどろ〈コースケ〉やら――そんな奴らの事も忘れかけていた。

 来週からは二学期が始まる。その前に、登校日がやってきた。

第四章【ほんとのきもち】

第22話 不穏な空気

 ダンダンッ――と、体育館にボールが弾む音が響く。

 ドリブルをしながら、追いかけてくる相手チームを交わしてゴールに進む。

「ひろと、こっちや!」

 左側からの声に、そっちを向くこともなくぼくはボールを投げる。

 ばしっという小気味のいい音と同時に、またダンダンっとドリブルの音が響いた。

 ぼくからのパスを受け取ったこーすけが、そのままゴールへとむかってディフェンスを抜く。

いち、ジャンプ!

 体をひねって――

 ばすっ!

「シュート!」

 走りながらのドリブルシュートは、ばっちりゴールネットへ吸い込まれていった。体育館の脇で見ていた女子の何人かから、歓声が上がる。

「こーすけ、ナイス!」

「ひろとのパスのタイミングが良かってん!」

 パンッとハイタッチを交わしながら、ぼくとこーすけは言いあった。ちらりとみると、久野も笑顔で手を振っている。

「ナイス、こーすけー」

「おー!」

 こーすけが得意そうにひらひらと手を振った。

 ……ちょっと、なんか、くやしい。確かにゴールを決めるのはどっちかというといつもこーすけのほうで、ぼくはサポートにまわることがほとんどなんだけど。

「……なんやねん?」

「なんでもない」

〝亜矢子が見ていたから――〟

「キィ」

〝了承した〟

 ……たく。どいつもこいつも……

 ぎぅ、と鍵を握ってやる。

 退屈な教室での先生の話が終わって、登校日用の提出物も出した後、ぼくとこーすけは、クラスの男子二人と隣のクラスの男子を二人さそって、体育館でスリー・オン・スリーをしていたんだ。

 相手チームの一人、アキオが汗だくになりながら言ってくる。

「つーか無理。つーか反則。おまえら二人が同じチームだったら、おれ達相当不利じゃん」

「しらねーよ」

 くくっとこーすけと顔を見合わせて笑いあう。そりゃそうだ。アキオの言うことももっともだ。だけどまぁ、勝負の世界じゃ関係ないということで。

「さ、続きいくぞー!」

「えー……」

 アキオが不満げな声をあげたそのときだった。

 ご……ごごっ……

「うわっ!?」

「きゃっ、な、なに……!」

 言い様のない奇妙な地鳴りと同時に、体育館中が思いっきり揺れた。立っていることも出来ないほどの激しい揺れに、ぼくたちは体育館の中でうずくまる。

 ゴールポストがピシッと音を立てた。オレンジ色のバスケットボールは床を跳ね回る。誰かの悲鳴が体育館を揺らして、窓の外がかげって暗くなる。

 そして――少ししてから、揺れは収まった。

 みんながみんな、恐る恐る顔を上げる。ぼくとこーすけも顔を見合わせて、お互いに支えあいながら立ち上がった。

「なんや……地震か……?」

 少し薄暗くなった体育館で、こーすけが不信そうに声をあげる。メガネを直しながら、久野がこっちに走ってきた。

「こーすけ、片瀬、大丈夫?」

「久野こそ。――今の、地震?」

「さあ……」

〝違う〟

 ぼくらの会話に、キィが唐突に割り込んできた。ぼくとこーすけと久野は、他の奴らにばれないように三人で陣を組んで、小声でささやきあう。

「違う? 違うってどういうこと? キィ」

〝地震ではない。あれは……〟

 キィが何かを言いかけたその時、空気を引き裂くような悲鳴が体育館の外から聞こえてきた。

 ぼくらはその声に思わず息を呑んで、立ちつくす。

 あわてて体育館を飛び出して、声が聞こえてきた方向――校庭へと一目散に走り出した。

 そして、ぼくらは見た。

 いつか見た、銀色のドラ焼きみたいな〈船〉。あの時は一抱えほどだったそれと全く同じ形で、だけどまるで一軒家ぐらいに大きくなったそれが、ぼくらの小学校――角野西小学校の校庭にででんっと居座っていた。

「――……」

 ぼくもこーすけも久野も、他の六年二組のみんなも、違う学年やクラスのやつらも、先生たちも。

 誰一人として何も言えず、ただ唐突に現れたその〈船〉をガン見するしか出来なかった。

 その中で――

 ぼくの胸にさがった鍵の姿のまま、キィがまるで震えるように細い声で呟いた。

〝〈マザー〉がわたしを修復に来た〟

第23話 〈マザー・プログラム〉

 真っ青な夏空の下、銀色の鈍い光を放つその〈船〉は静かにたたずんでいて。

 そして、ぼくらが予想だにしないことに、静かな――キィと全く同じ秋の教室の声で話し始めたんだ。

〝こちらは、〈マザー・プログラム〉。〈チルドレン・プログラム〉のバグを修復したい。知的生命種――固体名『片瀬宏人』、あなたの持つ〈チルドレン〉を早急にこちらに渡してほしい〟

 片瀬宏人。それは間違いなくぼくの名前で、だけどぼくはその宇宙船が言っている〈マザー・プログラム〉だの〈チルドレン〉だのは全く判らなくて、ただひたすら目を丸くして立ち尽くすだけだった。

 皆の視線がぼくに集まっているのは感じていた。だけど、どうすることも出来ない。

 黙りこくったぼくに、その宇宙船はこう続けた。

〝あなたがこちらに〈チルドレン〉を返してこないだろうことは、他〈チルドレン〉のデータから推測済み。よって、本来ならこういった手段はとりたくはなかったが――〟

 ふいに宇宙船の銀色の壁が揺らいで、窓が出来た。窓――か、TVのようなモニターか、何か。

 そこに、よく見知った顔が映された。

 目を丸くして、辺りを見回している一人のちび。

「……たけるくん!」

 久野が、悲鳴みたいな声をあげた。その声を合図にするみたいに、たけるを映していたモニターは消えて、またもとの銀色の壁に戻る。

〝固体名『古賀たける』をこちらにて捕獲ずみ。あなたの持つ〈チルドレン〉との交換を要求する〟

「……」

 ぼくは何も答えず、ただ静かに宇宙船をにらみつけた。

 何がなんだか、いまいち判らない。ただ、少しだけなら、判る。

 つまり、あいつはたけるを人質に、キィをこちらによこせといっているんだ。

〝ひろと、すまない。わたしをはやく〈マザー〉のもとへ。こうなることは予測して然るべきだった〟

「キィ、うるさい。黙って」

 早口で話しはじめたキィに、ぼくは静かに呟いた。

 なんだ、これ。すげぇムカツク。すごくイライラする。なんだ、これ。

 こんなやり口、気に入らない。気に食わない。腹が立つ。

 ぼくにとって、たけるもキィも同じともだちだ。バグだとかチルドレンだとか、そんなの知ったことか。ただ、こういうやり方はひたすら気にくわない。気にくわない。気にくわない。

 誰かがまた思い出したように悲鳴を上げた。先生たちが口々に叫んだ。

「みんな、はやく体育館へ! 今警察を呼びました!」

 ――何人かが、あわてたように体育館へ避難する。

 いまさら、なんだっていうんだ? もう、たけるはあの〈船〉の中だってのに。いまさら、避難してどうなるんだ?

「片瀬」

 久野が、震える手でぼくのうでを握ってきた。ぼくはぎゅっとくちびるをかんだ。こーすけと目があう。こーすけも、ぼくと同じ目をしていた。

 こーすけが、無理矢理みたいにくちびるを歪ませた。にやりと、笑みを作る。

「ベスト・コンビ。見せたろや」

 ぼくも汗をぬぐって、同じにやり笑いを返した。

「久野。たけるを助けよう。けど、キィも渡さない」

 ぼくの言葉に、久野は震えを止めた。見上げてくるメガネの奥の瞳に、ひとつ頷いてやる。大丈夫。なんとかなる。こーすけほどは上手くできなかったけど、にやりと笑ってみせた。

「……うん」

 久野が頷いたのを合図に、ぼくらは一斉に走り出した。体育館じゃない。とりあえず、話し合うために大人が邪魔にならないところへ。一番近い教室――社会科資料室へ向けて。

第24話 社会科資料室にて

 資料室に飛び込んで、鍵をかけて。暗幕をしめて、窓にも鍵をかけた。

 ぼくはTシャツの中から鍵を引っ張り出して、早口でささやいた。

「キィ、出て来て!」

 白い光とともにキィは現れた。

 色を付け忘れたホログラムみたいな、真っ白な体。きれい過ぎるほどきれいな顔立ち。だけどその顔は、今は少し傷ついたみたいに歪んでいた。

「キィ、教えて」

 ぼくはキィの白い顔を見つめた。きゅっとこぶしを握る。

「あれは、何。どういうこと?」

〝あれが〈マザー〉だ。〈マザー〉は修復のために動いている。わたしを消すために〟

 ――消すために。

 キィの静かな一言に、ぼくは思わず目を瞬かせた。久野がちいさく息を呑む音が聞こえた。

「キィ、それ、どういうことなの」

 少しの沈黙のあと、久野が震える声で言った。キィはわずかに迷うように黙っていたけれど、すぐにあの宇宙船と同じ秋の教室の声で話し始める。

〝わたしは本来ならば存在するはずのない異端の存在。わたしが存在しつづければ〈マザー・プログラム〉にも重大な欠陥となりうる。〈マザー〉はそれを危惧していて、わたしを受け入れることはないはずだ。だから〈マザー〉はわたしを消そうとしている〟

 キィの言葉は、やっぱりどこかあいまいすぎて判りにくくて。

「キィ!」

 少しいらだったぼくの声に、キィがぽつりともらした。

〝怖い〟

 ふいに漏れ出たその言葉は、予想していなかった言葉だった。キィはどこか不安そうな細い表情を見せている。

〝わたしはもともと存在していなかったものだ。だから、消えるのはある意味で当然なのに。判っているのに、でも、怖い〟

「……消えたくない?」

〝消えたくない〟

 ぼくの言葉に、キィは頷く。だけどすぐに顔をぼくに真っ直ぐ向けてきた。

〝けれど、そのせいでこの事態が招かれた。それはわたしにとって、そのこと自体が恐怖だ。ひろと〟

 キィの瞳は、相変わらず真っ白で。だけど初めてあった頃よりずっと感情の色が灯っていた。真っ直ぐ、真っ直ぐ、ぼくを見据えてくる。

〝早くわたしを〈マザー〉の元へ。そうすればたけるは戻ってくる。〈マザー〉は約束をたがえない〟

「……もし」

 こくんとつばを飲み込んで、ぼくはキィを見つめた。

「もし、キィを渡さなかったら――たけるは、どうなるの?」

〝不明。ただ、推測とすれば――〈マザー・プログラム〉の最終段階のための実験に使用できる〟

「実験……って」

 久野が強張った声で呟く。

「そんなんどうでもええわ!」

 今度はこーすけが怒鳴った。こーすけは顔を赤くして、イライラした様子で机を叩いていた。いつものふざけた様子からは考えられないほど、真剣な顔で。

「そんなん関係あらへんわ。消えるの怖いとか、あたりまえやん。たけるがどうなるかなんて、今考えててもしゃーないやん。どっちも助かる方法考えたらええだけやん。助けようや。そのためにオレら、おんねんやろ!?」

 こーすけの大声に、ぼくは心臓をぎゅっとつかまれた気分になった。

 こーすけの視線が動いて、ぼくと合う。

「そやろ、ひろと」

 その言葉に、ぼくはぎゅっと一度だけくちびるを結んで、強く頷いた。

「――ああ」

「キィ」

 ぼくの頷きを見て、こーすけが今度はキィに顔を向けた。

「何とかして、たける助けるで。キィも消させたりせえへん。そやから、オレらに協力して」

〝あなたたちが〈マザー〉に対抗できる確率は――〟

「知るかいそんなん」

 こーすけが、イタズラをするときみたいな笑顔をみせた。

「なぁ、キィ。バスケやってても、無理やってときでもとりあえずゴールポストに向かって走ってくねん。そんで、無茶でもなんでも、シュートうってみんねん。入ったら儲けもんや。入らんかったらもう一回うったらええ。やってみな判らん。確率なんて、二の次やねん」

 ――だからか。

 だから、こーすけはいつでもゴールに向かっていくんだ。シュートをうつのはぼくじゃなくてこーすけが多いのは、そのせいなのかもしれない。こんなときにあれだけど、ちょっとだけ悔しかった。だけどそれ以上に、頼もしかった。

 こーすけとペア組んでたら、いつだってなんだって出来るって思えるのは、これだからだ。

 今回だって、同じだ。

 キィも、こーすけの言葉をじっと聞いていた。たとえがバスケじゃ、少し判りづらかったかもしれない。だけどこーすけの言いたいことは判ってくれたのかもしれない。

 キィは静かに頷いた。

〝判った。あなたたちに協力する〟

「よし!」

 こーすけがにっと笑った。ぼくらも笑った。大丈夫、きっと何とかなる。確率なんて、知ったことか。

第25話 ないしょ話

〝まずわたしが〈マザー〉へとリンクする。わたしは〈チルドレン・プログラム〉とデータを共有しているから、そこで一度〈チルドレン・プログラム〉を撹乱する。それによって一定時間〈チルドレン〉を船外に出させる。そうすることで〈マザー〉およびあの船内は手薄になる〟

 キィの説明に、ぼくは口ごもる。……こーすけは難しい顔のまま、ぽつん、と言った。

「その、ちるど冷凍はなんやねん」

〝〈マザー〉のための機能のひとつ。知能はほとんどない、プログラムのひとつ。あなたたちが対峙した『海賊』たちのことだ〟

 あいつらだ。つまり……と考え始めるより先に、久野が、ほとんど表情を変えないまま告げた。

「何かうまいことやって、あいつらを外に出すから、その間に中に入れってことね」

 久野も最近ちょっと雑になってきてる。

〝そう〟

 キィが頷いた。

「でもそうしたら、キィも中に入ることになる? 外に置いといて大丈夫?」

〝一緒に行く。大丈夫、そのための鍵は、あの中に有る〟

 ――今、言う気はないということか。

 不安ではあるけれど、キィを信じよう。三人で向かい合ってちいさく頷き合った。

 それからすっく、と久野が立ち上がった。

「武器がいるわね」

「……ぶき」

「丸腰はいやじゃない、なんか。気持ち的に。学校から一番近いのはこーすけの家よね、ガラクタもバカみたいにあるし、借りるからね。行こう」

 ……久野も最近ちょっと雑になってきてる。

 スパンッと景気良く扉を開け放して歩き出した久野の背中を見送って、こーすけがぶっと吹き出した。

「たっくましぃ」

「ホントにね。――こーすけ、ぼくらも行くよ」

 言って歩き出した時だった。こーすけが、後ろからぼくの腕をぎゅっと掴んだ。

「こー」

「こっち向かんでええから」

 振り向きかけたぼくを遮って、こーすけが言った。いつもどおりの、笑ったような声で。

「なぁひろと。お前、亜矢子のこと好きなん?」

 ――は?

 突然の言葉に。ぼくは息をすることすら一瞬忘れた。急に心臓が早くなるのが分かった。後ろから握られた腕が、じんじん痛い。

「オレは好きやで。亜矢子のこと」

「……」

 答えなかった。

 ――正確には、何も言えなかった。世界中から音がなくなって、ぼくの心臓の音だけが聞こえるような気がした。

「そやから――負けへんで」

 その声だけは、さっきまでのどこかふざけた調子と違って真面目だった。静かで、真面目な声だった。

 キィも、ぼくの手の中で何も言わない。

 ゆっくり二回深呼吸して。すっかり遠ざかって見えなくなった久野の背中を、見つけるみたいに真っ直ぐ見据えながら。

 ぼくは、後ろのこーすけに言った。

「こっちこそ」

 こーすけが、小さく笑った。手を離す。ぼくは離された腕を反対の手でさすりながら、きゅっとくちびるをむすんだ。

 顔が熱い。視聴覚室のクーラーを入れていなかったから、熱中症になったのかもしれないけど。

「ちょっとー! はやくー!」

 遠くから久野の声が聞こえた。

 こーすけが、ぼくの背中をバンッと叩いた。

「行くで」

 大丈夫だ。なんだか、そんな気がした。額ににじんだ汗をぬぐって、ぼくは大きく頷いた。

「行こう!」

 

 スーパーウォータガン。BB銃。割り箸鉄砲にパチンコ。爆竹に癇癪球。おもちゃの剣。バスケットボールにサッカーボール。ロケット花火。煙球にブーメラン。なわとびにハリセンにピコピコハンマー。

 こーすけの部屋のガラクタを持てるだけ持って、ぼくはこーすけのブレイブ・ボードを借りた。久しぶりに、ヘルメットと手袋、肘と膝につけるパットまで装備した。何があるか分からないから。

 そうしてぼくらは、先生たちの間をかいくぐり、自転車とマウンテン・バイクとブレイブ・ボードで宇宙船に突進した。銀の壁が、ぐにゃっと歪んで、不思議にぼくらを受け入れるように広がった。

「いけぇ!」

 こーすけが叫んで。

 そして、辺りは真っ暗闇につつまれた。

第五章【〈マザー〉】

第26話 宇宙船のなか

 ふいにうす緑の光が灯った。ぽつり、ぽつり、ぽつり。いくつもの小さな光が、やがて道のようなものがそこにあったことを教えてくれる。

 たてに真っ直ぐ伸びる、かざりのない銀色の道。細い道の両わきの壁に、緑色の光が――なんの道具もないのに光だけが、そこにくっついている。床の感触は、いつか宇宙船に触ったときみたいに、やわらかいような硬いような、そんなのだった。

 道は真っ直ぐ伸びていて、その向こうは黒いかげりがある。〈船〉の大きさを考えれば、道はそんなに長くないはずだ。

 そう、あの暗闇の辺りに、たけるがいるはずだ。

「なんか……へんね、ここ」

「ま、宇宙船だからね。ぼくらが考えるものと違ってもあたりまえっちゃあたりまえでしょ」

「空気あるだけええやん」

 三人で並びながら進む。空気があるのはたけるがいるせいかも、しれない。

「天井が低いねんな」

「うん」

 ぼくが手を伸ばしてみても、触れるほどだ。大人だったらかがんで進まなきゃいけないかもしれない。

 そうして、進んで少しした時だった。

「!」

 眩しさが目を刺した。反射的にまぶたを閉じて、手でおおう。それからゆっくり目を開けた。

 急に、広い空間に出たのだ。そこは何もない、明るい、白い空間だった。

 教室ぐらいの広さ。眩しいと感じるほどに白いのは、床と天井、それからさっき入ってきた場所以外の壁が全て白かったせいだ。天井の高さは今までと同じくらいで低い。そこから、太陽と同じくらい眩しい光が降り注いでいる。

「ひろと!」

 ふいに聞きなれた声がして、ぼくは左を向いた。

 どすっとタックルするような勢いで、何かがぼくの体にぶつかった。小さな頭と大きな目。

 ――たけるだ。

「たける、よかった。無事か?」

「うん!」

 ぎゅうっとたけるがぼくにしがみ付いてくる。

「よかった」

 久野がほっと笑顔を漏らす。くしゃくしゃっと、こーすけが乱暴にたけるの頭を撫ぜた。

 それにしても、改めて見ても白い何もない空間だった。唯一転がっているのは、たけるの手提げかばん――登校日だから、ランドセルじゃないんだ――くらい。

 あとはただ、目の前の壁に緑色の文字のような何かが、少し浮いている。そのぐらいしか色はない。

「何でいきなりこんなとこで捕まってたの、たけるくん」

「わかんない。学校からかえろうとしたら、白い光がきてね。目が覚めたらここだったの」

 後ろで話している久野とたけるを無視して、ぼくはその緑色の光がある壁に近付いた。

 緑色の光は、文字のように見えた。もちろん、日本語でも英語でもないのだけれど。ちょうど黒板と同じくらいの広さに、端から端まで書かれている。時々、思い出したみたいにぴかりと光った。

「ちょっと。何見てるのよ片瀬。ねぇ、キィ。今からでも逃げられる?」

 不思議と〈マザー〉の声がしないから、久野はそう思ったらしい。

 ぼくは、その緑色の光にまるで取り付かれたみたいにそれを見つづけていた。

「片瀬!」

 じれたみたいな久野の声。だけどぼくはそれを無視して、その光る文字に手を伸ばした。

〝よく〈チルドレン〉を連れてきた〟

 唐突に響いた声に、ぼくらは一瞬にして固まった。伸ばしかけた手が、空中で行き場をなくして止まる。

 文字が、まるで何かに答えるかのように点滅した。

〝約束通り、その者は返そう。チルドレンを、こちらへ〟

 こーすけが眉を寄せる。

「どういうことや」

「〈チルドレン〉って――」

 声がかすれていた。くちびるをなめて、視線を緑色の文字に据えたまま、ぼくは言い直す。

「〈チルドレン〉って、あの海賊……というか、マフィアというか……あれのことだよね」

 どこまで言葉が通じるのか判らなかったけれど、通じることを祈って呟いた。けれどその響いた声は、すぐにぼくの言葉を否定した。

〝定義としては間違っていない。あなたたちの想像している『海賊』が〈チルドレン〉であることは、そこの知的生命種の記憶と照らし合わせてもあっている。だが、違う〟

「違う?」

〝わたしの言う〈チルドレン〉は――あなたたちの言う『キィ』だ〟

 キィだ。

 ぼくの服のすそを、後ろからたけるが握って来た。心臓がやっぱり、おかしくなりそうなほどにドキドキいっていた。

〝今この船内に他〈チルドレン〉がいないのは、あれが自分を追わせるようにプログラムの優先順位を撹乱したからだろう。同じ〈チルドレン〉の属性をいかして〟

 同じ〈チルドレン〉の属性をいかして。

 ついさっきから繰り返されている〈マザー〉とか〈チルドレン〉とか――そう言った言葉が、ぼくたちにはやっぱりよく理解できなくて。ただ、いくつか想像できるのはキィが〈チルドレン〉――あの海賊たちと同じだっていうことだとか、この声はきっと〈マザー〉なんだろうということだとか、その程度だ。

「キィ……?」

 後ろから久野が、ぼくの胸元にいるキィへ小声でささやきかける。

 でも、キィは久野に答えなかった。急に真っ白い光とともに姿を現したキィは、こう、言った。

〝はい〈マザー〉、わたしはいま、戻りました〟

第27話 はじめてのうそ

 キィがしずかに、歩いていく。あの、緑の文字に向かって。

「待って!」

 何かに、追いすがるように。ぼくは大声を上げていた。

「あなたは……〈マザー〉は、何者なの? キィは? 〈チルドレン〉ってどういうこと?」

 まるでたけるがうつったみたいに、ぼくは「なの?」をぶつけていた。

「どうして――」

 本当は、これが言いたかった。

「――どうして、キィを消そうと、しているの?」

 緑色の光が、一瞬揺れるみたいに点滅した。

〝それは――〟

〝それは、わたしが〈チルドレン・プログラム〉のバグにすぎないから〟

 キィが。

 静かに振り返って、ぼくに答えた。

 それから少しだけ首を傾げて、まぶたを伏せて。静かに――いつもみたいな声で、言った。

〝ごめんなさい、ひろと。わたしは、うそをついたの〟

 それだけ言うと、キィは再び緑色の光が点滅する壁――〈マザー〉へと歩き出す。

「キィ! 待てよ!」

 ぼくはとっさにキィの腕を掴んだ。やわらかすぎる感触。だけどそれだって、もう慣れた。だって、この夏休み中、ぼくらはずっとキィと一緒だったんだから。

 ぼくはキィの前に回りこんで、正面からキィの両腕を掴んだ。

「どういうことだよ、キィ!」

〝……〟

 キィは答えない。ぼくのほうを見ようともしなかった。ただ静かに、緑色の光を見据えている。

「キィ!」

 再度ぼくが名前を――そうだ、名前だ。ぼくがつけた、キィの名前だ――呼ぶと、キィは静かにぼくの腕を払った。

「キィ――」

〝〈マザー〉〟

 ぼくの声を遮って、キィは静かに言葉をこぼした。

 それが日本語だったのは、もしかしたら――もしかしたら、だけど、ぼくらに聞かせるためだったのかも、知れない。

〝わたしは、帰ってきました。あなたのもとへ。プログラムの修復に、抵抗はしません〟

 静かな声に、緑色の光は反応しなかった。

〝ですからひろとたちを。――わたしの友達たちを、彼らの住むべき場所へ、帰してあげてください〟

 シン……と、その白い空間は静まり返った。空気まで白くなるかのような、そんな雰囲気で。

「あかんっ!」

 だけど、その空気はすぐにかき消された。

 こーすけだ。真っ赤な顔で――ああ、すごく怒ってる――怒鳴っていた。

「あかんで、キィ! 何でや。うそってどういうことやねん。せやったら逃げたのに。なんでわざわざ――!」

〝無理なの、こーすけ〟

 キィが振り返って、こーすけに言った。

〝〈マザー〉から、わたしが逃げ切れることはない。無理なの〟

「無理ちゃう! お前が消えたらなんも意味あらへんやん!」

 こーすけはいつもからは考えられないくらい、真剣だった。いつもふざけててにやにやしているのに、茶色の目には真剣さだけが宿っていた。

「そ……そうだよ、キィ! ダメだよ!」

 久野が、つられるみたいに叫んだ。だけどキィは、寂しげな表情を見せるだけだ。よくみると、その白い手の中に金色の鍵が握られている。

〝わたしの願いは、ひとつの星の――たくさんの想いを、消してしまう。わたしの存在自体が、星の想いを消してしまう〟

「わけ判らん! 何があかんねん!」

〝それに〟

 こーすけの叫び声を無視して、キィは続けた。

〝わたしは、あなたたちに、あの町で笑っていて欲しい〟

「キィも一緒がいい」

 ぼくは、気付くとキィを見上げてそう言っていた。

「キィも一緒がいいよ、ぼくたちは。ねぇ、どうして――」

 ぼくは振り返って、緑色の光を――〈マザー〉を見た。

「どうして、キィを消そうなんて、言うの。プログラムのバグって、どういうことなの?」

 〈マザー〉の沈黙は、一瞬だった。

 それから、緑色の光は強く瞬き始める。強く、強く、強く。

 そして、〈マザー〉の光は白い空間を、キィも、ぼくらも一緒くたに飲み込んだんだ。

第28話 十二人

 それは、遠い遠い星の、物語り。

 目を開けると、そこは変わらない〈船〉の中だった。

 だけど、何かが違った。何が違うんだろうと思って、次の瞬間にはすぐに理解した。

 ひとがいる。複数のひとが〈船〉の中央、銀色の大きな円テーブルに集まって、座っている。

 いや――ひとじゃない。人間じゃなかった。

 それは一瞬ぼくらと同じように見えたけれど、少し醜かった。頭が大きくて、背はたけるほどもない。猫背で、腕がすごく長かった。肌の色は、やや灰色がかったペールオレンジだったり、畑の土色みたいだったり、キィに近いくらい真っ白だったり、いろいろだ。髪の色も、黒かったり赤かったりする。みんな色は違ったけれど、同じように長く伸ばしていた。

 目は顔の半分を占めるくらい大きくて、鼻は低くつぶれていた。口は――口だけは、ぼくらとよく似ている。

 誰かが、ぼくのシャツを後ろから握った。

 びっくりして振り向いたら、久野だった。青ざめた顔で、目の前の『ひと』を見つめている。たけるもいる。こーすけもだ。だけど、キィの姿はそこにはなかった。

「これ……なんや……」

 震える声でこーすけが呟いて、ぼくのとなりに並んだ。ぼくはわけも判らず、静かに左右に首を振る。

 その『ひと』たちを数えてみると、十二人だった。ちょうど一ダースだ。男も女も正確には判らない。子供なのか大人なのかお年寄なのかも、判断がつかなかった。みんな、背は少しずつ違う。顔立ちも、どことなく違う。髪の色も肌の色も違う。共通点は、どこかの国の衣装みたいな、だぼっとした服を着ていることぐらいで、あとは全部違うのに、どの顔立ちの人が大人なのかとか、女なのかとか、よく判らなかった。

〝とうとう、我々だけになってしまった〟

 ふいに、そのなかの一人がそんな言葉を漏らした。それは日本語でも英語でも、もちろんフランス語でもドイツ語でもなかったと思う。だけどぼくはその言葉の意味を、何故かすぐに理解できた。

 その一人が呟いた言葉は、とても、とても疲れていた。ため息がそのまま、言葉になったみたいに。

〝最後の十二人というわけね〟

〝この惑星の最後の生命種か。全て、全て――消え失せた。死滅した〟

〝わたしたちも、間もなく死ぬでしょう。たとえ子孫を残そうとしたところで、もうこの惑星は生命を受け入れまい〟

 一人の言葉が引き金になったみたいに、みんなそれぞれ口々に呟き始めた。

 ひとりは、さみしそうに。ひとりは、かなしそうに笑って。ひとりは、何も感じていないみたいに。ひとりは、皮肉っぽく口をにやりとゆがませて。

 だけど――みんな、疲れていた。

〝あと、どれくらい持つかしらね〟

〝さあね。長くはないことは確かだろうけれど〟

 その十二人が話している会話の意味は、ぼくには少し判らなかった。

 ただ、その言葉の持つ空気とか〈船〉に広がっている寒さとか、十二人の疲れた気配とかが、それがどうしようもないことについて話しているんだって、ぼくに教えてくれる。

〝だからこその『母なる計画』でしょう?〟

 ひとりの――黒い肌に赤い髪の毛を持つひとの言葉は、一瞬にして〈船〉に沈黙を呼んだ。それまで口々に呟いていた残りの十一人はすっと口を一文字に結んで、静かにそのひとを見た。

 それから、誰も言葉を交わしていないのに、まるでそうすることを話し合ったみたいに一斉に同じ動きをした。

 四本しかない指の、一番長い一本を口にもっていって、噛む。赤黒い血がぽたぽたっと銀のテーブルに落ちた。十二の小さな血溜まりが出来る。

「……」

 久野とたけるが、ぼくのシャツを強く握って来た。怖いんだ。あたりまえだ、ぼくだって怖い。きっととなりにいるこーすけだって、そう思ってる。

 十二人は、ぼくらが見ている中で、その手を中央に寄せた。十二の片手が、重なり合う。

〝我ら最後の十二人は、ここに誓う〟

〝十二種の血の盟約により、ひとつとなることを〟

〝『母なる計画』により、たとえこの身が死滅しても、ひとつとなることを〟

〝この惑星の最後の母となることを〟

〝新たなる生命の居場所を求め〟

〝そこで最初の母となることを〟

〝永遠に等しい時の中で〟

〝想いを受け継ぎ、紡ぎ続けることを〟

〝ひとつとなることを〟

〝いつかまた、生命の居場所が見つかるときまで〟

〝ひとつでありつづけることを〟

〝十二の血の盟約により、ここに誓う〟

 何かの呪文みたいだった。もしかしたら、呪文そのものなのかもしれなかった。

 不思議な響きを持ったその言葉を、十二人がそれぞれに呟いて――

 そして、緑の光がまた、視界を覆い尽くした。

第29話 遠い星の話をしましょう

 再び目を開けると、そこはやっぱり変わらず〈船〉の中で。

 だけど、ついさっきまでそこにいた十二人も、十二人が囲んでいた銀のテーブルも何もなかった。

 違和感。

 いつもと違う、何か得体の知れない気持ちの悪さがぼくを襲っていた。ひざもがくがく笑っていて、頭もくらくらする。

「大丈夫か、ひろと」

 となりからの声に、ぼくは軽く頭を振って、ヘルメットからはみ出ておでこにはりついた前髪を払いながら頷いた。

「なんとかね……こーすけは?」

「生きてはおる。亜矢子もたけるも、大丈夫みたいや」

 その言葉に振り返ると、ぼくとこーすけ両方の服をにぎった久野とたけるが、青白い顔でうつむいていた。ぼくの視線に気付いたんだろう、久野が顔をあげて、ぱっとぼくたちから手を離した。

「……ごめん」

「別にいいよ。――大丈夫?」

 こくんと、久野は小さく頷いた。

「いまの、なに」

 ぼくとこーすけは答えようがなくて、同時に首を振るだけだ。たけるが、ぎゅっとぼくにしがみ付いてくる。その頭を、ぼくはただ撫でてやるだけしか出来ない。

〝この船の――正確には〈マザー〉の記憶〟

 その落ち着いた声に、ぼくは少しだけくちびるをかみながら顔の向きを変えた。

 白い姿のキィが、静かに立っている。

 緑色の光の文字をもつ、白い壁を背にして。

〝〈マザー〉〟

 キィは振り返って、緑色の光を見た。

〝この記憶を見せたのは、彼らに対してですか? それとも、わたしに対してでしょうか〟

〝――〈チルドレン〉に『わたし』などは存在しないはずだ〟

 緑色の光の静かな言葉に、キィは小さく頷くだけだ。

〝判りました。ただ、少しだけ――少しだけ、彼らと話をさせてください〟

 緑色の光は答えなかった。文字は光を発することもなく、静かに沈黙を守りつづけている。

 キィはそれを、イエスと受け取ったみたいだった。

〝感謝します〟

 小さくそう言って、キィは動けずにいるぼくらを見た。静かな、白い瞳で。

「キィ……」

〝あなたたちと、話したい〟

〈船〉の外は、変わらない青空が広がっていた。少しだけ太陽は西に傾いていたけれど、赤みを帯びるのはもう少し先のことだ。

 キィが〈マザー〉に言って作ってくれた即席の窓――だけど、向こうからは見えないらしい――は、角野の青空を映している。校庭の様子は見えなかった。だけど、それでいい気もした。

 キィは窓の外の青空を見つめている。

〝角野の空は――よく、似ていると思う〟

 ふいにキィがそんなことを言って、ぼくは目を瞬かせた。

 その白い部屋の中心に集まって座っていた。キィと初めて逢った、あのこーすけん家のひみつ基地でみたいに。キィを囲んで、ぼくらは顔をつき合わせていた。

 あの時と違うのは、お尻の下の感触が畳でもなければ押入れの床でもないってこと。こーすけの家じゃないってこと。それから――あの日と違って、キィをすごく近くに感じるってことだ。

「似ている……?」

 久野が、眉を寄せて呟いた。

〝うん。似ている。あの惑星の空と。わたしは知らないのだけれど〈マザー〉の記憶と照らし合わせると、そう思ったの〟

「キィ。さみしいの?」

 ふいにたけるがそう言って、キィの手をにぎった。キィはおどろいたように目を少しだけ大きくさせて、それから不器用にたけるの頭を撫でた。

 そんな行動も、あの日じゃ考えられないことだった。

〝少し。――大丈夫だから。話を――しても、いい?〟

 キィの言葉に、ぼくらは何も言わずに頷いた。キィはありがとうと呟いて、言葉を続けた。

〝ここから……すごく、すごく遠い場所の、すごく遠い昔の話になる。ここじゃない銀河に、こことは違う――だけどこの惑星と同じように、生命が生まれて、発展したひとつの惑星があったの〟

 キィの話は、いつかあのこども宇宙科学館で聞いたことの続きみたいだった。

 すごく、スケールの大きい話。窓の外、角野の空に違和感を覚えるほどに。

 だけど、この青空のずっと向こうであった話なんだ。

 キィが言うには、その惑星は地球ととても似ていたらしい。

 水があって、緑があって、空気があった。――空気中の成分は違ったらしいけれど。その惑星の近くには太陽と同じような大きな惑星もあった。地球とよく似た星だったから、地球と同じみたいにすごく長い年月を使って、生命が生まれたらしい。それはずっとずっと進化をしていって、いくつもの種類に分かれて、やがてぼくたちと同じ人間みたいな、知的生命種もうまれた。

〝その知的生命種は、惑星中を支配していった。特筆すべきは、適応力の高さだった。それが惑星の中で一番力を持つことになった最大の理由だと思う。彼らはどこにでも住んだ。極寒の地にも、灼熱の地にも、どこにでもね〟

 それはぼくたちの地球でも、やっぱり同じことだ。ぼくらは海の近くの角野に住んでいるけれど、地球上を探したら、赤道直下の国だってあるし、オーロラが見えるほど寒い地域に住んでいる人たちだっている。

〝異変が起きたのは、唐突だった〟

 キィは窓の外を見つめながら、そう呟く。

 角野の青空は、夏の陽射しを抱え込んできらきらと輝いている。キィはもしかしたら、角野の空にその惑星の空を見ているのかもしれない。

〝その惑星の近くの星が、死滅したの〟

 キィはそう言って、視線を窓から外した。

〝星にも寿命がある。だからそれ自体は特別な事じゃない。始まったものは、いつか必ず終わるから〟

 始まったものは、いつか必ず終わるから。

 その言葉に、ぼくは何となく居心地の悪さを感じて、少しだけ体をふるわせた。

〝ただ特別だったのは、それがあまりに惑星の近くで起きたことだった。四散した星のかけらはその惑星の重力に引き寄せられ、天蓋のように惑星を覆ってしまった〟

「……もしかして」

 久野が、ふと強張った顔で呟いた。

「気象の変動による絶滅……?」

第30話 『母なる計画』

〝うん〟

 久野の言葉に、キィは静かに頷いた。頭の上にいっぱいはてなマークを浮かべているたけるを見て、久野が困った顔をする。

「えっと……なんて言えばいいのかな。原因はともかく、地球にもあったことなんだけど……」

「恐竜だよ、たける」

 どう説明しようかと悩んでいる久野のかわりに、ぼくはたけるにそう言ってやる。その言葉に、たけるははてなマークをびっくりマークにかえたみたいに目を開いた。

「恐竜が絶滅した話! たける、知ってるよ! 隕石がぶつかって、そしたら塵とかがいっぱい降り注いじゃって、太陽が隠れちゃったんだって」

 たけるが得意げに話してくれた。小さな手をぎゅっと握って、早口でまくし立てる。

「そしたら、何年も何年も寒いのが続いて、草とか木とかも育たなくなっちゃって、食べるものもなくなっちゃって、寒すぎて、それで恐竜は死んじゃったんじゃないかって言われてるんだよ」

〝この星にもそんなことがあったのね〟

 キィはどこか不思議そうに、窓の向こうの空を見上げた。確かに、少し不思議だ。もしかしたらぼくらがいつも歩いている角野の道を、ずっと遠い昔は恐竜が歩いていたのかもしれない。ぼくらが暑さに汗を流している道を、太陽を求めて、歩いていたかもしれない。そう考えると、不思議に思えた。

〝原因は違うのかもしれないけれど、その惑星で起こったことも同じだった。死滅した星のかけらが惑星を覆って、そのせいで光星――太陽に近い星の光を遮ってしまったの〟

 静かに、キィは続けた。

〝惑星は静かに死滅の道を歩き始めた。静かに、だけど急速に。いくつもの生物が尽き果てて、惑星はもう、生命を育むだけの力はなくなった。残された知的生命種は最後まであがいたけれど、結局いつか死に絶えて――気付くと、十二人だけになっていた。たったの、十二人。幾万もの生命を育んでいた惑星に最後に残ったのは、たったの十二人だったの〟

 さっきの、十二人だ。

 ぼくらはすぐにそのことに気付いた。あの十二人が、惑星の最後の住人だったんだ。

〝彼らは、今のこの地球よりもずっと高度な技術を持っていた。だけど、惑星外に飛び立つことは出来なかったの〟

「どうして?」

〝星のかけらが、惑星から飛び立つのを邪魔していたから。もちろん、無理をすれば出来たのかもしれない。だけど彼らの肉体が持たなかった。それに惑星の外に飛び出しても、その惑星と同じ環境を持つ星は見つからなかったでしょうしね〟

 久野の言葉に、キィは少しだけ顔をうつむかせた。

〝死を待つだけの閉ざされた惑星になってしまったその星で、だけど彼らはあがいたの。そして、ひとつの計画が持ち上がった。それが『母なる計画』〟

 さっきの映像の中で、あのひとたちが言っていた奴だ。

〝ひとつの大きなプログラムが組まれた。それが〈マザー〉。彼ら十二人はそれぞれが持つ、過去、知識、感情――全てをひとつのプログラムとして組み込んだの。そしてこの、生体素材で造られた〈船〉に搭載した〟

「そいつら自身は、乗らへんかったんか?」

 口を手で多いながらじっと聞いていたこーすけが、ふいにくぐもった声で質問した。キィが頷く。

〝乗らなかった。乗ったとしても耐えられなかったはず。惑星を飛び立つ時の衝撃は、ひどいものだった。星のかけらにぶつかりながら、重力に無理矢理反しながら飛び立つわけだから。それを緩和するほどの機能は〈船〉にはなかったの〟

 ぼくはそっと〈船〉を見渡した。白い、何もない空間。鳥肌が立ちそうだった。

 いつか、遠い惑星で、この〈船〉は造られたんだ。『母なる計画』を巡って、あの映像のように彼らは集まって――だけど結局、彼らはここから降りた。惑星を飛びたったのはこの〈船〉だけだったんだ。〈船〉と、〈船〉に搭載されたプログラム――〈マザー〉だけだったんだ。

「その……〈マザー〉って、十二人そのものだったの?」

 久野の言葉に、キィは静かに首を振る。

〝違う。別物だった。彼ら十二人全ての記憶、知識を一緒にして組み込んだプログラムだから、彼ら自身は残らなかった。〈マザー〉は十二人の全てが融合して説けあった、プログラムでしかなかった。十二人の体は恐らくは死滅したでしょうけれど、その記憶だけはひとつのプログラムとして、惑星を飛びたったの〟

第31話 〝それが、わたし〟

 ――ひとつとなることを。

 あの映像の人たちが言っていた呪文みたいな声が聞こえた気がした。それは、このことだったんだ。十二人は消えてなくなって、だけど〈マザー〉となって、ひとつになった。

 それは……それは、どんな気持ちなんだろう?

 ぼくはふとそんなことを思って、となりのこーすけを見た。久野を見た。たけるを見た。

 ぼくらは別々だ。別々の人間だ。だから、好きとか嫌いとか、考えるんだと思う。ぼく自身が、もしいなくなって、こーすけや久野、たけると溶けあったとしたら――?

 ぞくっと、背中が寒くなった。

 判らない。判らないけれど、でも――怖く、思った。

 だって、それはぼくはいなくなるって事だ。こーすけも久野も、たけるも、消えてなくなるって事だ。それは、死ぬことと一体、どれくらいの違いがあるというんだろう?

 でも、あのひとたちはそれを選んだんだ。

「どうして……十二人はそれを選んだの?」

 ぼくはキィを見つめて問い掛けた。キィは静かにぼくを見返してきた。

 角野の太陽が、キィを照らしている。

〝そうすることが、その惑星の最後の術だったから。それが『母なる計画』だったから〟

「母なる計画って、一体何なの?」

 続けざまの質問を、キィは静かに受け止めてくれた。

〝この計画の目的は、ひとつ。〈船〉はひとつの『種子』を抱えていたの〟

「種子?」

〝凍結された知的生命種の種子。それを解凍して、生き延びることが出来る環境の惑星を見つけることが『母なる計画』の最終目的〟

 その言葉に、ぼくらは息を呑み込んだ。

「この〈船〉の中に……その生命種の種子が、あるの?」

〝そう。そのためにこの〈船〉は永久に等しい時間、宇宙を彷徨いながら航海した。知的生命種が存在する惑星を探して。いくつもの銀河を渡った。いくつかの惑星が〈マザー〉の目にとまった。気の遠くなるほど長い時間の果てにいくつか、候補となる星を見つけたの〟

 キィはそういって、白い壁を――〈マザー〉をみた。

〝そして〈マザー〉はその度に、新しいプログラムを生み出した。それが〈チルドレン〉〟

「……キィたち、だね?」

〝そう。わたしたちが、その〈チルドレン〉。〈チルドレン〉はここから出ることが出来ない〈マザー〉の代わりにその惑星を調査するための端末だった。〈チルドレン〉は外的要素を持たない。その惑星に降り立ってから初めて、外的要素が必要なら組み上げることが出来る特殊プログラム。だから、ひとつの惑星を調査すれば、そこで消える存在〟

「あの海賊も、そうなのね?」

 久野の問いかけに、キィは静かな顔で言う。

〝そう。そもそも〈チルドレン〉は知性も感情も何もない、ただの調査端末にすぎなかった〟

「キィはそうじゃない」

 反射的にもらしたぼくの言葉に、キィは少しだけ目を細めるだけだった。答えないで、話を続ける。

〝いくつもの惑星を調査した。だけど、生命種が技術を有していないところもあったし、環境が適合しない場合もあった。そうしているうちに、ひとつの異変が起きた。〈チルドレン・プログラム〉にバグが生じたの〟

 キィはそういって、そっと自分の胸に手を当てた。

〝それが、わたし〟

 キィの漏らした言葉は、白い空間に冷たく響いた。

〝それは恐らく〈マザー〉も、最後の十二人も想像していなかったことだろうけれど……ただの調査端末プログラムに過ぎなかった〈チルドレン〉が自我を持ってしまったの〟

 何も言えないでいたぼくたちを見つめて、それからキィは自分の手のなかの鍵を見つめた。

〝どういう経緯で、それが起きたのかは解明できていない。ただ……そのバグは、今後〈マザー・プログラム〉にどんな影響を及ぼすか判らない。バグを放っておけば、他のバグに繋がる恐れもある。綻び始めれば、全ては一瞬にして途絶えてしまう恐れがあるものだから〟

 白い手の中で、金色の鍵は静かに握り締められていた。

〝自我をもってしまった〈チルドレン・プログラム〉は――わたしは、怖くなったの。目覚めて初めに感じたものは、それだった。途方もないほどの恐怖だった。だから、わたしは逃げた。この鍵とともに。落ちた先がこの惑星――地球だった〟

 そして、ぼくらと出逢ったんだ――

「鍵は……その鍵は、何やねん……?」

 まゆげを寄せたこーすけに、キィは握り締めていた鍵をそっと外した。白い手のひらの中にある鍵を見下ろしている。

〝〈マザー〉のバックアップデータ――そして『種子』を保存している場所の、鍵。つまり、『母なる計画』の最重要の鍵〟

 金色の鍵は、無機質に輝いていた。

〝それが、この鍵〟

第32話 最後の鍵、それから

 永久にも等しい時間、遠い遠い、昔。ここではないどこかの銀河の、どこかの惑星。そこにいた、人間ではない誰か。惑星の最後の十二人。

 彼らがたくした、最後の鍵。

 ぼくらが砂場で見つけた鍵は、文字通り――彼らにとっては、鍵だったんだ。

 たぶん――希望の、最後の鍵。

 何を言えばいいのか判らなくて、ぼくはただキィを見上げた。キィは白い瞳を少しだけ細めた。笑ってるわけじゃないけれど、どこかやさしいそんな表情でぼくを見た。それから、そっとぼくの手のひらに鍵を乗せてくる。

「……」

 静かに、ぼくはその鍵を握った。

 手の中で返ってくる感触は、もう慣れたものだ。夏休み中、ぼくの首元で揺れていた鍵の感触。

 ぼくは唇をなめて、もう一度キィを見上げた。

「地球は――『母なる計画』に、あう星だった?」

 答えたのはキィじゃなかった。

〝検証中〟

 静かに響いた〈マザー〉の声に、ぼくは振り向くことはなかった。心の中でぐらぐらしている、よく判らない何かを抑えるのだけで精一杯だった。

〝いままで見かけた知的生命種が存在する惑星の中では、きわめてかの星に似通っている。光星との距離、重力、惑星の規模、空気中の成分や水――無論全てが希望範疇ではないが、修復可能範囲内だと推測。また、知的生命種が一定レベルの技術を保有していることも候補としてあげるのに有力〟

「人間が技術を持っていたほうがいいの?」

〝種子を解凍する程度の技術はあったほうがいい〟

 淡々とした〈マザー〉に、ぼくはぎゅっとこぶしを握って立ち上がった。振りかえる。

 静かな緑色の光を、ぼくは思いっきり睨みあげた。悔しいけど――そうすることしか、出来ないから。

「だったら――いいじゃんか、もう。バグが起きようがなんだろうが、関係ないだろ。その計画が終わったんだったら、別にわざわざバグを修復してどうのなんて、いらないじゃんか! この惑星で決定なら、何よりだ。ここで〈マザー〉が壊れたって問題ないだろ。だったら、キィを消すなんてことしなくていいじゃん。種子とやらを解凍して、生き延びればそれで計画オッケーなんだろ! だったら、それでいいじゃん! キィを消す必要なんてないだろ!」

〝ひろと〟

 知らないうちにひっくり返った声で叫んでいたぼくに、キィがそっと呟いてきた。

〝〈マザー〉が消えれば、わたしも消える。わたしは〈マザー〉あってのものだから。そもそも〈チルドレン〉はある意味で〈マザー〉そのものだから〟

「だったら、このままで問題ないだろ!」

〝ひろと〟

 キィは――まるで小さい子に言い聞かせるみたいに、そっとぼくの肩に手を置いた。ぼくを覗き込んでくるキィの白い姿が、ゆらゆらして見える。

〝『母なる計画』の最終目的は、あたらしいあの星を生み出すこと。言い換えれば、地球をあの星に変えてしまうということ〟

 白くうすい唇。

 キィの瞳を見つづけることが出来なくて、ぼくは唇だけを見ていた。かすんで見える唇が、静かに言葉を紡ぐ。

〝『母なる計画』の最終候補としてこの星が決定すれば、地球は地球じゃなくなるということ。あなたたちの地球を――〈マザー〉の持ちこんだ『種子』が支配するということ〟

 言っている意味が、判らなかった。ただ、限界に来て頬をすべった雫が恥ずかしくて、ぼくは乱暴に手の甲でこすった。みんなに見られたくない。

 キィは少しだけ困ったようにぼくの頬に手を伸ばした。まるで、なぐさめるみたいに。

〝そうなれば、あなたたちは非常に有力な実験体になる。この惑星にどのように適応しているのか――そういう情報のね。もしそうなれば、あなたたちですら、もう、あなたたちでなくなる〟

 ぼくが、ぼくでなくなる?

 ――あの、最後の十二人が〈マザー〉となったように?

〝わたしはそんなのは、耐えられない。あなたたちには、あなたたちとして、この星で――この町で、笑っていて欲しい〟

 キィはそっと囁いて、ぼくの手の中から鍵を取り出すと、ゆっくり背を向けた。

 止められなかった。頭の中で、キィの言葉がぐるぐるまわっていた。

〝〈マザー〉〟

 緑色の文字は、応えない。

〝この星は『母なる計画』の最終候補地とするには幾つかの問題点を抱えています。まだ『母なる計画』は終わるべきではない。そのためにあなたは消えてはならない。わたしは――〈チルドレン・プログラム〉のバグは修復に反対いたしません〟

 キィのその言葉に、緑色の文字は一瞬鮮やかに輝いて――

〝判った〟

 小さく〈マザー〉が頷いた瞬間、キィの白い姿は一瞬にして消え失せた。

第六章【大脱出!】

第33話 キィの気持ちは、変えられない

「キィ!」

 裏返った悲鳴を上げたのは久野だった。

 こーすけが弾かれたみたいに立ち上がって、壁に駆け寄る。たけるは一瞬反応が遅れたみたいだけど、すぐに転がるようにしてこーすけの後に続いた。

 ガンッ!

 鈍い音が、白い船内に響く。こーすけが〈マザー〉の光を殴りつけたんだ。

 だけどもちろん、壁には傷ひとつついていない。こーすけはちっと舌打ちした。

 ぼくは――

 ぼくは、何も出来なかった。

 久野もぼくの横を過ぎて、こーすけの元へ走っていく。壁を叩いて、キィの名前を呼んでいる。たけるは、床に落ちた鍵を拾って、それから壁を蹴りつけた。

 だけどぼくは――何も、出来ない。動けない。

 頭が熱くて、顔中の筋肉が引きつっているみたいだ。足がセメントで固められたみたいで、動かない。

「〈マザー〉! キィを出せや!」

 こーすけの怒鳴り声に、〈マザー〉は反応しない。こーすけは苛立たしげにもう一度壁を殴りつけた。また、鈍い音が響く。

「ひろと!」

 こーすけが怒鳴って振り返って来た。

 なんだか、こーすけが遠くに見えた。

「何ぼーっとしてんねん! キィ、消えてまうかも知れんねで!」

 走りよってきたこーすけが、ぼくの腕を掴んだ。イタズラが好きそうな、茶色の目が、いまは真剣な色に変わっている。ぼくと同じように、おでこに汗が浮かんでいて、髪がくっついている。そんなのをじっと観察してしまうくらい、ぼくは不思議と静かな気持ちだった。

「片瀬っ」

「ひろとぉ!」

 久野と、たけるも叫んだ。だけどぼくはそれに応えられなかった。

 汗が浮かんでいるこーすけの手を、振り払う。頭が、熱い。ぐらぐらした。

「……無理だよ」

 ぼくの呟きに、振り払われた手を持て余して呆然としていたこーすけの顔色が変わった。

 手に持っていたブレイブ・ボードを放り出して、ぼくはちいさく、言った。

「無理だよ。キィの気持ちは、変えられない」

「――ッ」

 次の瞬間、左の頬に衝撃がきた。

 体の中心がぶれて、そのまま床に転がる。床で打ち付けたヘルメットがじんっと鈍く響いて、頭の中をかき回した。

 左の頬の熱さが痛みに変わったのは、その頃になってからだった。

「こーすけ! バカッ、何やってんの!?」

「アホはひろとや」

 走りよってきてこーすけの手を掴んだ久野に、こーすけは冷たい言葉を吐いた。――ううん。久野にじゃない。ぼくにだ。

 床に転がったまま、ぼくはこーすけを見上げた。

 いつも持ち上がっているくちびるの端が、今は強張ったみたいに下向きになっている。

 頬は熱かった。頭も。だけど、胸の奥は寒いくらいに思えた。

「何が無理やねん。お前、キィが消えてもええ言うんか。キィが消えてもうてもええんかよ!」

「そうじゃない」

「そう言ってるんと同じやろ!」

「違うッ!」

 一気に、熱くなった。体中の血が沸騰したみたいに熱くなった。指先がしびれる。ぼくはその熱さを外に出すみたいに、大声で叫んで立ち上がっていた。

 こーすけの胸倉をひっつかんで、引き寄せる。

「人の話きーてなかったのかよ、バカやろう! キィが消えてもいいなんて言ってねぇだろ!」

 ほんの少し、こーすけのほうが身長が高い。こーすけの瞳を睨みつけながら、ぼくは叫んだ。

「消えて欲しくなんかない。だけど、逆だったらお前どう思う? キィがなんて言ったか思い出せよ! 逆だったら、ぼくたちが逆の立場だったら、どう思うんだよ!」

〝わたしはそんなのは、耐えられない。

 あなたたちには、あなたたちとして、この星で――この町で、笑っていて欲しい〟

 指先のしびれがひどくなって、ぼくはこーすけの胸元から手を解いた。ズボンにこすれて、小さく手が音を立てた。

「……同じじゃんか。ぼくたちがキィに消えてもらいたくないのは、キィがキィでいて欲しいからだろ。バグだってなんだっていいから、キィにいて欲しいからだろ」

 視線が落ちる。ヘルメットからはみだした前髪がうっとうしくて、ぼくは手で顔を覆った。

「キィがキィのままでいつづけるのは、〈マザー〉と一緒にここに留まるってことだろ。そうしたら『母なる計画』の最終候補地に地球がなるってことだろ。そしたら――」

 声が震えないように、ぼくは額に爪を立てた。小さな痛みが、ぼくをつなぎとめてくれますように。

「そしたら、ぼくらは消えるってことだろ。この〈船〉の中にいる以上、ぼくも、こーすけも、たけるも、久野だって、人質とかわらないんだよ!? キィはそれを嫌がったんだ! ぼくらがぼくらじゃなくなることを、嫌がったんだ! 同じだろ!?」

 キィが、キィでいて欲しいとぼくらが願うように。

 ぼくらが、ぼくらでいて欲しいってキィはそう考えてくれたんだ。

 それに、キィがキィのままでい続けたら、いつか〈マザー〉がバグに耐えられなくなって、消えるかもしれない。そうなったらキィ自身も一緒に消える。遠い星の希望も全部一緒くたに、消え失せる。

 そうならないように、この星を『母なる計画』の最終候補地として決定すれば、今度はこの星が、地球が地球でなくなる。ぼくらは、ぼくらでいられなくなる。

 だからキィは、自分を消して『母なる計画』を続行することに――地球以外の星にすることに――しようとしたんだ。

 ぼくらの、ために。

 ぼくには判らなかった。どうすればいいのか、判らなかった。

 たた。ただ――悔しかった。何も出来ないことが、悔しい。

「――ひろと」

 静かな、低い声。こーすけの呼びかけに、ぼくは顔を上げることはできなかった。肌に食い込むほど強く、額に爪を立てる。

「おまえ――バスケん時でも、絶対オレにパスするよな」

 ――?

 唐突過ぎるその台詞に、ぼくは思わず顔を上げていた。

 まゆげを逆立てたこーすけが、睨むみたいにぼくと視線をあわす。

「おまえの方がゴール近かっても、オレにパスするよな」

 ――バスケ?

 何で、こんな時にそんな話なんだろう。訳が判らない。だけどぼくは、あいまいに頷いていた。

「あれ、何でなん?」

「それは……」

 ぼくは一瞬答えに詰まって、それからこーすけを正面から見据えた。

「その方が、シュート率があがるから」

「ちゃう。シュート率ちゃう。ゴールが決まるかどうかやろ」

「どっちだって、同じだろ」

 バスケは、こーすけのほうが強い。サポートに徹するぼくと違って、こーすけはポインターだ。シュートの練習も、ぼくとは比べ物にならないくらいやってるはずだし、その分こーすけの放ったボールがゴールネットを揺らす率は、ぼくよりずっと高い。

 ぼくだって、下手ってわけじゃない。だけど、確実にゴールを決めるなら、こーすけにパスしたほうが賢いし、そうするだけの連携プレーをぼくらは持ち合わせている。だから、いつもそうしているんだ。

 こーすけはなんだか苦そうな顔をして、ぼくに軽く舌打ちをした。

「単純にシュート率で考えたら、おまえがやったってええやん。オレ、時々そういうんが気にくわんねん。おまえ、いっつもそうや」

「……いま、関係ないだろ」

「一緒や! こうしたほうがええとか、そんなん抜きに、おまえはどうしたいねん? たまにはおまえかて、自分でゴール決めたいんちゃうんか! キィが消えるのをどうしようもないとか言うなや。おまえは、おまえはどうしたいねん!」

 その言葉に、ぼくは気付くとこーすけの顔を殴りつけていた。

 鈍い衝撃が右の拳から伝わってきた。こーすけは倒れない。少しだけ体を揺らして、それだけで耐えた。手のひらで頬をこすって、ぼくを睨む。その視線を受けて、ぼくは睨み返した。

「ぼくは――ぼくは、こーすけじゃない! おまえみたいに単純でもバカでもない! 何にも考えないで平気だとか大丈夫だとか、考えられない!」

「ほなおまえは、キィが消えてもええ言うんやな!」

「違う!」

 怒鳴りつけて。

 その拍子にまた、顔が熱くなった。視界が揺らいで、ぼろぼろ雫がこぼれてきた。腕で顔を隠す。久野も、たけるも、見てるのに。恥ずかしいのか、悔しいのか、よく判らなくなっていた。

「……キィに、消えてほしいなんて、思わない。一緒にいたい。だけど、ぼくも消えたくないし、こーすけもたけるも久野も消えるのはいやだ。どうしたらいいか判らない。ぼくは、キィの気持ちを変えられる気がしない。だって、ぼくと同じだから。キィに消えて欲しくないって考えてんのは、ぼくも同じだから。どうしたらいいか――判ら、ない」

 震える声を必死につなぎとめて、言葉にするのだけで精一杯だった。頭の中がぐるぐるして何を言っているんだか、自分でも判らない。だけど、ぼくがそうやって言葉を吐き終えて顔を上げたら――

 びっくりした。

 こーすけは、笑っていた。

 嫌な笑い方じゃない。いつもの、くちびるの端を持ち上げた笑い方。ぼくが投げたパスを受け取ったときみたいな、そんな笑顔だった。

第34話 そういえば宇宙船でした

「それで、ええやん」

「……?」

「おまえは、どっちも消えるのは嫌なんやろ? キィも、オレらも」

 言われた言葉に、ぼくはほとんど何も考えずに頷いていた。

「そやったら、それでええやん。どっちも助かる方法を考えようや。そやから、無理やとか言うなや。ええか?」

 こーすけはそういって、まるで何かを確かめるみたいにぼくの胸を手のひらで押した。

「元からそのつもりやったやろ。作戦は、まだ終わってへん」

 そういってぼくを真正面から見つめてきたこーすけの目は、ムカツクくらいカッコよく思えて。――だからか、って思った。だからだ。こいつのこういう目が、信用できるから、信頼できるから、ぼくはいつでもこーすけにパスをする。あの崖から飛び降りるなんて無茶をやった時だって、こーすけの声の向こうでこの目が見えたから、カウント・ダウンの声に身をまかせられたんだ。

 悔しい。

 ぼくはぐっと腕で顔をこすった。

 今のままじゃ、ダメだって思ったから。今のままじゃ、キィを助けられないし、こーすけに勝てる気もしない。だけど、負けるつもりだって、ない。

 鼻から思いっきり空気を吸い込んだ。肺にいっぱい溜め込んで、飲み込んで、それからぼくは言った。

「――ああ」

 こーすけがもう一度にやりと笑う。いつもと同じ、くちびるの端を持ち上げた笑い方。

 ぼくも笑い返そうとして――それはすぐに、遮られた。

「……ねぇ」

 弱々しく、強張った声。ついでに、その声と正反対の強さで肩をバシバシ殴られる。

 久野だ。

 なんだろうと思って振り返った。久野は窓に張り付いて、こっちは見ないまま後ろ手でぼくらを殴りまくっていた。上下していた手が、こーすけの顔面をこする。

「いたっ。……つか亜矢子おまえ、すぐ暴力に訴えんのやめぇや」

 久野は答えないで、バシバシバシバシバシ、連打でこーすけを殴りまくる。

 ……待って。なんか、見たぞ。いつだったか、これと良く似た光景を、見た気がする。

「……」

 いやぁな予感を覚えたのは、ぼくだけじゃなかったらしい。久野の手首を掴んで、とりあえず殴られるのを避けたこーすけと、鍵をにぎりしめていたたける、それからぼくは同時に顔を見合わせ――そっと、窓に近づいた。

『……』

 窓の外に目をやって。ぼくらは思いっきり呼吸を止めていた。

 心臓が止まるかと思った――というかたぶん、自力で心臓止まるんだったら、止まってた。

 それくらい、びびった。

 地上が。ぼくらの学校が。海のある町が。角野町が。

 ――ありえない勢いで、ぐんぐん眼下に遠ざかっていた。

「……飛んでるん、ですけどぉ」

 ようやくになって漏らした久野の泣きそうな声に、ぼくらは止まっていた呼吸を再開させて、同時に喉が悲鳴をあげそうな勢いで、叫んでいた。

『見りゃ判るうううううっ!』

 パニックになるってのは、案外簡単なのかもしれない。

「つーか待て、ありえん。ありえへん。宇宙? 宇宙? オレらこのまま宇宙へれっつごう? 宇宙ステーション? 月は青かった!?」

 こーすけが意味もなくその場でぐるぐるまわり始めて。

「違うでしょ!? 地球でしょ! そうじゃなくて、とりあえず落ち着きなさいよ! 問題は、ええと、ええと、ニュートン! 万有引力! 重力!」

 久野がこーすけの周りで踊り始めて(ぼくにはそう見えた)。

「久野も十分落ち着いてないよ! その前にたぶん酸素! 空気!」

 ぼくはその久野を落ち着かせるために手をバタバタ振り回して。

「ニュートンってなんなの? 宇宙って息できるの?」

 たけるはたけるで、相変わらず両腕を振り回しながらの「なの?」攻撃をはじめて。

 ぼくらはしばらく意味不明のことを叫びあって、それから同時にごっちんおでこをぶつけた。そのまま四人でしゃがみ込む。

 ……痛い。

「ええと……落ち着こう、とりあえず、落ち着こう」

 おでこをおさえて半分涙目になった久野が、弱々しく呟いた。ぼくらはぼくらでおでこをおさえながら、無言で頷く。

「三択ね」

 久野はそういって指を立てた。

「一、逃げる 二、あきらめる 三、見なかったことにする」

「ネガティヴッ!?」

「だって他に思いつかないんだもん!」

 思わず叫んだぼくに、かぶせるように叫び返してくる。

 ぼくは頭をかきむしろうとして、ヘルメットを被っていたことに気付いた。仕方がないので、両手でヘルメットごと頭を叩く。

「選択肢、四!」

 言って、転がっていたブレイブ・ボードを抱えて立ち上がった。見上げてくる久野に、四本指を立ててみせる。

「――キィをなんとかして、ぼくらもなんとかする!」

「何とかってどうするの、っていうかどうやって!」

「気合」

 ばっちりがっちり言い切って、ぼくはたけるに手を差し出した。久野がメガネの奥で目をまん丸にして、口もぽかんとあけていたけれど、一切無視。

「たける、鍵」

 あわてたみたいに、たけるがぼくに鍵を手渡してくる。ぼくはそれを握り締めて、ひとつ深呼吸した。白い壁――〈マザー〉に近付く。

「〈マザー〉!」

 淡く浮かび上がっている緑色の文字に向かって、ぼくは声をあげた。

「これ、どういうことだよ。納得いくように説明しろよ! それから、キィを出せよ!」

 一瞬の沈黙。すぐに文字は緑色に光り始めて、相変わらずの淡々とした言葉で話してきた。

 ――とんでもないことを。

〝最終決定を出した。地球を『母なる計画』の最終候補地として、決定する〟

 その、言葉に。

 ぼくらは数秒言葉を失い、それからネジ巻き人形みたいなカクカクした動きで顔を見合わせて――

 同時に思いっきり声をあげていた。

「でで、ど、ど、で――どうして!?」

 ろれつが回らなくなった久野が、それでもなんとか〈マザー〉に詰めよった。

〈マザー〉の緑色の光は、静かにぴかぴか光るだけだ。

〝〈チルドレン〉はあくまで調査端末にすぎず、決定を出すのは〈マザー〉だ。データ的には多少の問題は含まれていたが〈チルドレン〉がこの惑星以外と希望したことが、逆にこの惑星が規定範囲内であり、決定に値する場所だということに拍車をかける要素となった〟

 ――ええと。

 すらすらと出て来る言葉に、一瞬判断が追いつかなくて思わずまゆげを寄せたけど、すぐに理解した。

 ようるすに……キィが地球をかばったことが、逆に地球に決定するきっかけになっちゃった、ってことだ。

〈マザー〉やキィのいう『多少の問題』がどんなものなのかは、ぼくらには想像つかないけれど、それはこの際どうでもいい。問題は、ただひとつ。

 地球が『母なる計画』最終候補地として、決定されたって事だ。

「ちょっと待てや! 何やねんそれ、キィの気持ち、逆に利用しようっていうんか!」

〝そもそも〈チルドレン〉に『わたし』などありえない。〈チルドレン〉の利用は〈マザー〉として当然のことだ〟

「くそったれ! ぶっ壊したる!」

 こーすけが怒鳴って、壁を蹴りつけた。壁は一瞬へこむように見えたけれど、すぐにもとの形に戻った。効果なし、だ。

 ぼくはカギを握り締めたまま、奥歯をかんだ。どうする? どうすればいい? 気合で何とかするっていったけど、気合にだって方法は必要だ。

 いままでバラバラに拾った情報を、ぼくは頭の中で整理し始める。

 もしかしたら、何かのヒントがあるかもしれない。

「片瀬?」

 となりでたけるを抱きしめていた久野が、強張った顔でぼくを振り返って来た。

 ぼくは顔を上げて、久野を見る。

 そして、ふと国語の授業で習ったことわざを思い出した。

 ――三人よれば、モンジュの知恵。

 今、この場には四人いる!

 一人で考えることなんて、ない!

第35話 キィを救え!

「久野! 情報を整理しよう。何か、ヒントがあるかもしれない」

 ぼくの言葉に久野は一瞬目を開いて、それから大きく頷いた。

 未だに壁を殴りつけているこーすけを呼んで、ぼくらは今まで判った情報のかけらを言いあった。

 久野が転がっていたたけるの手提げかばんを引き寄せて、その中からプリントとエンピツを取り出して書きとめる。

 この『母なる計画』は、地球をいつかの惑星と同じように変化させるためのもの。

 この〈船〉の中には『母なる計画』の最重要となる、知的生命種の『種子』が凍った状態で保存してある。

 その『種子』を解凍して、生き延びる環境を用意するのが『母なる計画』の最終目標。

 ぼくが今握っている鍵は、『種子』が保存している場所の鍵。

 そして〈マザー〉のバックアップデータ。

 今目の前にいる〈マザー〉は最後の十二人が溶けあったプログラム。

〈チルドレン〉は〈マザー〉が作った調査端末プログラム。

 ひとつの惑星を調査するたびに作り上げて、調査が終われば自然に消滅する。

 通常〈チルドレン〉はひとつの惑星にひとつのプログラム。感情は持たない。三つまでに分かれることが出来る。

 ――あれ?

 ぼくは一瞬口をつぐんだ。

 何だろう。何か――ひっかかる、気がする。

 ぼくが一瞬考え込んだ間にも、久野とこーすけ、それからたけるも一緒になって、判ったことを全部並べ立てていた。

 そして〈船〉はその間にも、ぐんぐん上昇を続けているはずだ。――こっちは、考えないようにしておこう。まだ大丈夫。体浮いてないし。

 いつかの惑星(久野はややこしいからといって『わく星X』とかいた)は恐竜と同じように寒さによって滅んだ。

 海賊なのかマフィアなのか――ようするにあれが〈チルドレン〉。キィも同じ存在。

〈チルドレン〉は、外観を持たない。必要に応じて、一番近くにいた人間の考えを再現する。

 キィはそうじゃなかった。自分で考えて、姿を作った。

 キィの場合、姿を出せるのは四十分がタイム・リミット。充填のために、その後最低五時間は必要。

〈マザー〉は〈チルドレン・プログラム〉のバグであるキィを消そうとしている。

 そこまで、書き連ねて。

 感じていた『ひっかかり』の正体に気付いて、ぼくは思わず声をあげていた。

「待って!」

 久野が、ぴたりとエンピツを止めた。

 ぼくは頭の中に浮かんだその正体が消えないうちに、と早口で説明をはじめる。

「何個か変なところがある。ええと……〈チルドレン〉は、ひとつの惑星を調査するのに、ひとつのプログラム、何でしょう? で、調査が終われば自然に消滅する。だったら、なんで――海賊たちとキィが、同時に存在しているの? 両方とも〈チルドレン〉だとしたら、その時点でおかしいよ!」

 ぼくの言葉に、久野がはっと目を見開いた。

「それよ! 違和感の正体! それに――〈チルドレン〉は外的要素を持たない、ってことは……よく判んないけど、電波とかそういう奴ってことでいいのよね? だとして、どうやってあのヘンタイ……〈チルドレン〉は姿を現していたの? キィは鍵から……なんだろ、鍵を『核』にしていた気がするの。じゃあ、他の〈チルドレン〉は?」

「〈マザー〉じゃないの?」

 目の中にいっぱいはてなマークを詰め込んだまま、たけるが口にする。

「だったら何でキィだけ鍵やねん? キィも〈マザー〉から直接やないん?」

 頭をわしゃわしゃかきむしっていたこーすけの言葉に、ぼくと久野はぴんときた。顔を見合わせて、頷きあう。

「鍵だ」

「うん」

「ちょう待て! わからん!」

 あわてたみたいにこーすけが頭を抱えた。久野はプリントとエンピツを手提げかばんの中につっこんで、たけるに手渡しながら早口で説明した。

「だから、鍵は何だった? ってこと!」

「何って――『種子』を保存している場所の鍵で、それから〈マザー〉のバックアップデータ、やろ」

「そういうこと!」

「だあああっ、そやから判らんて!」

 ただ、すぐ通じないことに少しイライラしながら、ぼくはこーすけとたけるに言った。

「つまりキィは――〈マザー〉そのものじゃなくて、〈マザー〉のバックアップデータから派生した〈チルドレン〉じゃないか、ってこと」

 ぼくは握っていた拳をといてこーすけの前に出した。手のひらの中、金色の鍵が静かに存在している。

 ひとつ浮かんだ疑問が、また別の疑問を掘り返してくる。そして、ひとつひとつ、想像だけど答えも見つかってくる。

「一番最初にキィとあった時、覚えてる? 星座の宿題って言って外に出た夜のこと」

「え? あ、ああ」

「あの時、キィは姿を現したでしょ。それが変だって思わない? あの時キィはタイム・アップだっていって消えたけど、ぼくらの前に現れたのはせいぜい五分くらいだった。四十分じゃない。で、一回現れたら五時間充填時間が必要っていってたけど――あの日は、せいぜい二時間くらいしかたってなかったはずだよ」

「ごめんなさいオレにも判るように説明してくれると、こーすけくん嬉しい」

「推測だけどね」

 久野がぼくらの会話に割り込んだ。メガネのフレームを直しながら、それこそ先生に当てられた問題が得意の奴だったときみたいに言う。

「あの時キィが姿を現したのはイレギュラーだったんじゃないか、ってこと。普段の方法じゃなくて――そばに〈船〉があったでしょ? ようするに〈マザー〉が。普段は鍵のほう……バックアップデータのほうで行っているのを、そのときだけ〈マザー〉から直接立体映像をあらわすのに力を借りたんじゃないかな。だから、時間が普段よりずっと短かった」

 あくまで想像に過ぎないけど、でも完全に可能性がゼロってわけじゃない。むしろありうる話だって思った。

「今だってそうじゃない。四十分は絶対、たってたよ。だけどキィは消えなかった。――バックアップデータが〈マザー〉と一緒にあるときは、充填する必要がない、んじゃない? だから、ずっと姿を保っていられた」

「たける、よくわかんないけど……」

 たけるが、困った顔でぼくらを見上げてきた。

「鍵と〈マザー〉は別々だってこと?」

 ぼくは頷いた。

「バックアップデータ、だから完全に別々ってわけじゃないと思うけど、一定期間ごとに〈マザー〉とリンクしているってことじゃないかな」

「いつもリンクしてるんちゃうん?」

「それだったらバックアップの意味がないよ。〈マザー〉のほうにバグが起きたときに、鍵のバックアップデータを上から載せて正常なときに戻すんじゃないの?」

 テストの答案間違えたときに、正解のほうを使うのと同じはずだ。正解のプリントと答えようのプリントが完全にいつも同じように繋がってたら、答えを間違えたら正解だって間違いになる。それは意味がない。だからたぶん、正解の状態のまま、少しずつバックアップをとっていって、答えが間違ったら正解を使うはずだ。

 今回は、その正解のプリントのほうが先に、バグを起こしたってこと。

「だとしたら」

 こーすけがふっと真剣な顔をして、考え込むように手で口を覆った。

「――〈マザー〉があかんようになっても、鍵は大丈夫な可能性があるってこと、やな?」

「うん。だから」

 ぼくは頷いて、久野とたける、こーすけを見ていった。

「この鍵さえ守り抜けば、〈マザー〉が壊れても、キィは大丈夫のはずだ」

 その言葉に、ぼくらは何とかなる――『気合』の方法を見出したみたいに、力いっぱい頷きあった。

第36話 宝さがし!

 キィは――キィ自身は、もしかしたらそのことに気付いていなかったのかも、知れない。自分は〈マザー〉から分離した〈チルドレン〉だって思っているのかも、知れない。

 可能性はゼロじゃない。ただ、百パーセントでもない。ほとんど賭けだ。だけど、何もしないよりずっといい。

 もしかしたら〈マザー〉が壊れた段階で、鍵も壊れるかもしれない。キィはたぶん、このことを考えていたんだ。

 だけど、そうじゃない可能性もあるんだ。その可能性は、きっと、ゼロじゃない。

 ゴールが遠くても、シュートを打ってみなきゃ、入るかどうかなんて判らないんだ。

 たけるがもっていた手提げかばんを、リュックサックよろしく背中に背負う。久野がちらりと緑色の〈壁〉を見て、小声で囁いた。

「とにかく〈マザー〉を壊そう」

「あの壁、めっちゃ強いで。爆竹とか花火とかもってへんか」

「一応あるよ。武器もってきて正解だったね。ただ、使うのはここじゃない」

 ぼくはそっともう一度鍵を握り締めて、それから首にかけなおした。

 首元で揺れる鍵の感触は、夏休み中そばにあったそれで、何でかほっとした。

「バックアップデータのほうがこの鍵を核としているんなら、〈マザー〉のほうだって核があるはずなんだ。あの壁はたぶん、モニターか何かでしかないんじゃないかな」

「核になるものを、探そう――ってことね?」

 久野の言葉に、ぼくは頷いた。それから、たけるに向かって言う。

「たける、この鍵はホンキでたから箱の鍵だったみたいだ。たから探し。いいか? この鍵が入る鍵穴を、探せ!」

 たけるは一瞬きょとんとしてから、大きく頷いた。

「うん!」

 ぼくらは一斉に、その白い部屋を探し始めた。

 ぼくらがいた白い部屋は、ちょうど教室くらいの広さだ。物は特に何もなかったけれど、四つんばいになって、隅から隅まで調べ尽くす。

 あの『ひと』たちは、ぼくらより背が低かった。天井もだから、低い。だとしたら、なにか隠すのは下のほうのはずだ。

 そして、鍵は『種子』保存の場所のものだ。〈マザー〉の核になる部分とは違うのかもしれないけれど、重要なものどうしに変わりはない。同じ場所においてある可能性だってある。

 探し始めてすぐ、たけるの甲高い声が響いた。

「ひろとー! ひろとひろとひろとひろとひろと!」

 連呼されて、ぼくは慌てて飛び起きた。部屋の隅、〈マザー〉の壁近くにしゃがみ込んでいるたけるの元へと走っていく。

 たけるは両腕をバタバタ振り回しながら、舌足らずな早口でぼくに言う。

「あった! あった、ひろと、これじゃないの?」

 たけるが指を指したのは〈船〉の床だった。

 久野とこーすけも走ってきて、しゃがみこむ。

 小さい穴だった。頭が丸くて、下は三角みたいな――なんだかどこかの古墳みたいな形をしている。

 とくん――と心臓が小さく音を立てる。

 確かに、鍵穴だ。じんわりと汗がにじんできて、ぼくらは静かに確認しあった。

 首にかかっていた鍵を手にもって、大きくひとつ深呼吸した。指先が、あつい。

「入れるよ」

 ぼくは小さく宣言して、その穴に鍵を差し込んだ。

 抵抗もなく、鍵はするっと中に入っていく。そして、かちりと奥で音を立てて止まる。

 そして――緑色の文字が浮かび始めた。

 まるでキィの使うあの魔法みたいなやつだって思った。文字は鍵に集まってきて、吸いつけられるみたいに鍵と密着する。

 みんなの視線がぼくの持つ鍵に集まっているのを感じながら、ぼくは一度だけ喉を動かした。こくんとつばを飲み込んで――ゆっくり、鍵を、まわす。

 かちり。

 音は小さく、だけど確かにぼくらの耳に届いた。

「!」

 思わず空気をいっぱい飲み込んで、ぼくらは赤くなった顔を付き合わせた。

 緑色の文字は鍵から鍵穴へと移って、やがて床一面にひろがっていく。

 TVゲームの――魔法みたいだ。魔法陣、みたいだ。光の文字は床を丸く囲んでいって――そして、キィのと同じように、白い光を発した。

 眩しさに目をきつく閉じる。

 まぶたの向こうの白さが薄れたころになって、ぼくらは目を開いた。

 床に穴が開いていた。

 階段が、ぼくらを迎えるように伸びている。

 薄暗い空間だった。

 最初に思ったのはそれだった。階段を下りて、その場所にきて最初に思ったのは薄暗い、と言うことだった。

 さっきまでの白い場所と違う。薄暗い、夕暮れ過ぎの校内みたいな――そんな雰囲気だ。

「ひろと」

「うん」

 すぐそばの声に頷く。こーすけだ。久野もたけるも一緒にいる。

 その場所は薄暗くて、それから狭かった。なんとなく、こーすけん家のひみつ基地、あの押入れを思い出す。

 四人で横に並ぶことは出来ない。ぼくとこーすけが前にいて、久野とたけるはぼくらの後ろにいる。

 細長い廊下みたいな場所。だけど真っ暗じゃないのは、ぼくらの視線の先にある光のせいだ。

 水族館を感じさせる、ガラスみたいな円い柱。太さは校庭にある一番太い木よりもある。高さも天井から床まである――けど、天井自体がそんなに高くないのは変わらずだ。

 ガラスの円柱は透明で、だけど緩やかに光っていた。中に何か粘り気がありそうな液体が入っていて、それ自体が光っているんだ。その液体にくるまれているみたいに、銀色のカプセルみたいなのが浮かんでいた。

「あれが……『種子』?」

 久野の声に、ぼくは頷くに頷けなくて、あいまいに首を動かした。

 ゆっくりと柱に近付いた。硬そうだ。軽く叩いてみたら、確かにガラスみたいな音と感触がかえってくる。

「他にはなんもないな」

 低い声でこーすけが言う。バスケの作戦を練っている時みたいに、手で口を覆って考えている。

ぼくも周りに視線をやってみたけれど、確かに他には何もなかった。この場所にあるのは、目の前の円柱、それだけだ。

「ここには〈マザー〉の核になる部分はない、ってことか?」

 見るからにがっくりした様子のこーすけ。ぼくもぎゅっと奥歯をかんだ。だけど。

「――ねぇ」

 強張った音で、久野がぼくらを呼んだ。

 考え込みすぎて、おでこにしわがよりまくった顔で、メガネのフレームに手を添えている。

「これはちょっと……飛びすぎた考えかも、知れないんだけど」

「別に今の現状でいろいろ飛びまくってるし、いいよ。何?」

 ぼくがうながすと、それでもまだ少しためらっているのか、言葉を選ぶようにして久野は言ってきた。

「この『種子』自体が――〈マザー〉の核ってことは……ない?」

 これ自体が、〈マザー〉の核――?

 ぼくは思わずこーすけと目を見合わせた。こーすけの目の中には、真剣な色だけが入っている。

 どう……だろう?

「……いや、さすがに飛びすぎだよね、ごめん」

 久野があわてたみたいにパタパタと手を振った。だけどぼくらはその考えを完全に否定することは出来なくて、互いに顔色を伺うように絡まった視線を外すことが出来ない。

〝正解。亜矢子は頭もいいけれど、勘もいい〟

「!?」

 ふいに聞き慣れた声がして、ぼくらは一斉にそっちに向き直った。

 柱のすぐ、そば。白い裸の女の人の姿。

 キィだ!

第37話 ぶっこわせ!

「キィッ!」

 ぼくらは口々にキィの名前を叫んで駆け寄った。キィは困ったような、それでいて緩やかな優しげにも見える顔をしていた。

「キィ……なんでここに? 正解って、どういうこと?」

〝『種子』自体が〈マザー〉そのものだということが、正解。だから、わたしはここにいる。存在自体の場所を移したから〟

「……?」

 キィの言っている言葉はやっぱり少しはっきりしない。だけど、聞くのは後回しだ。

「とにかく、キィ、一緒に行こう。どっちかがどうにかなるのなんて、嫌だ」

 キィの白い手を握って見上げたら、キィはすごく複雑そうな顔をした。泣きそうな、笑いそうな、困っているような――そんな顔。

「キィ!」

〝了承した〟

 もどかしくて声を大きくしたら、キィは困ったその顔のままで頷いた。

「ひろと、手伝え!」

 唐突に呼ばれて、慌てて顔を向ける。こーすけが柱に手をついて、ぼくを見ていた。

「何!」

「壊すで! ここ、スイッチっぽいのあんねん。ガラスは無理でもこれ壊したら何とかなりそうや!」

「判った!」

 ぼくは頷いて、キィから手を離した。キィの白い瞳を見上げて、言う。

「――約束だからね」

 キィはまたあいまいに頷いた。ぼくは久野とたけるにキィを任せて、こーすけの元へローラー・ブレードを走らせる。

 こーすけの手元に、青いボタンみたいのがあった。押してもうんともすんともいわないらしいけれど、だったらぶっ壊せ。ぼくがそう告げると、こーすけがまた、にやっと笑う。

 持ってきていた武器を片っ端から使ってみる。花火とか爆竹とか。うんともすんともいわない。たけるの筆箱を借りて、こーすけがそれをカナヅチみたいに使った。無理だ。だけど他に何とかできそうなものがない。

 何かないか――と頭をかこうとして、手がヘルメットにあたる。それで気がついた。これだ。

 ヘルメットを外して、あごのパット部分を両手でにぎった。

「こーすけ、どけ!」

 ぼくの声にこーすけが場所を空けた。ぼくは思いっきり息を吸い込んでヘルメットを振り上げて――

 それを力いっぱい叩きつけた!

 ガンッ!

 鈍い音と同時に、電車の扉がひらくときみたいなぷしゅう、という音が聞こえた。

 一瞬に満たないくらいの、少しのあいだ時間が止まって――

 それから、洪水が起きた。

 どろっとした水、水、水。

 水はぼくらとぼくらがあげかけた悲鳴をいっしょに飲み込んで溢れかえった。あの柱がぶっ壊れて、中に入っていた水が溢れ出したんだ。

 巣潜り競争したときを思い出した。あの時とはいくらなんでも状況が違いすぎるけれど。

 肺に残った少しだけの空気を頼りに、ぼくは水の中で目をあけた。水圧で目が痛いけれど、今はそんなことに負けてる場合じゃない。

 ふわ……と目の前を黒い何かが横切った。

 慌てて手を伸ばす。

 ――久野だ!

 目をきつく閉じて、必死に水を手で掻いている。メガネはどこかに飛ばされたみたいだ。

 水流に流されながら、何とか久野の細い腕を掴んだ。同時にまた、目の前を何かが横切る。

 それにも反射的に手を伸ばした。息が苦しい。そろそろ、やばい。顔を上げて、呼吸をしなきゃ。

 目の前を横切ったそれを、久野を掴んでいる手とは逆の手で掴んだ。一瞬指先が滑ったけれど、何とか持ちこたえる。

 限界だ!

 ぼくは両手で久野と何かを掴んだまま、水を蹴った。砂糖水みたいなどろどろした水が、足に絡みつく。

 それでも何とか、水面に顔を出した。

 久野も一緒に浮いてくる。

「――げほっ!」

 水の勢いはまだ止まっていない。流されながら、それでも必死に呼吸をした。ああ、酸素って美味しいんだ。新発見。

 久野も隣で水と咳を吐き出しながら、呼吸をしていた。だけどすぐにおぼれかけるから、慌てて引き寄せた。久野の手が、ぼくの首にまわる。

 ……う。いや、そんな場合じゃ、ないんだけど。判ってるん、だけど。ちょっとだけ、どきっとする。

 顔にはりついた水を振り払いながら、視線を動かした。

 こーすけは――たけるは――キィは――?

 心臓がドキドキと速打ちする。だけどすぐに、見つかった。そんなに離れていない。三メートルちょっと先に、二つの黒い頭が浮かんでいる。

「こーすけ! たける!」

「ああ、こっちは無事や! そっちも大丈夫やな!」

 たけるをほとんど担ぐようにしながら泳いでいたこーすけが怒鳴ってきた。ぼくは頷いて、その時になって持っていたものが何かに気付く。

 銀色の、カプセルみたいなもの。大きさはちょうどガチャポンくらい。この〈船〉に触ったときみたいに、何となくあたたかいような不思議な感触がする。

『種子』だ。

第38話 ゴール決めなきゃ、意味がない。

「こーすけ! 『種子』もある! 大丈夫!」

「キィは!」

〝映像は一時的に消去した。問題はない〟

 ふいにすぐそばで声がした。首から下げている鍵からか、それとも手の中にある『種子』=〈マザー〉からかは判らないけれど、大丈夫そうだ。

「キィも無事! 逃げよう!」

 ぼくの首にしがみ付いていた久野が、ひとしきり咳き込んだあとふっと天井を見上げた。

「ひろと……」

「何?」

「揺れてる」

 その言葉を聞いてから、ようやくぼくは気がついた。〈船〉が地震にでもあったみたいに、ガタガタと揺れている。

〝――〈マザー〉に重大な損傷。〈船〉は急降下中〟

 キィの言葉とともに、どこかでかこんと小さな音がした。

 水が、ぼくらを取り囲んでいたどろどろの水が、急になくなっていく。

 ぼくはふとお風呂を思い出した。――お湯につかったまま、風呂場の栓をぬいたときによく似ている。

〝羊水を排出中だ〟

 キィの声は、落ち着いていたけれど――ぼくらの落ち着きを取っ払う要素になりかねなかった。

 またパニくりそうな心を何とか押さえつけているうちに、水は全部なくなった。足ががくがくいったまま座り込んでいたぼくらは、それでも何とか立ち上がった。ポケットに『種子』を捻じ込む。

〈船〉は揺れている。なんだか少し、気持ちが悪い。壁に手をついて、水でびしょびしょのまま、なんとか階段をよじのぼって白い部屋へと転がり出る。

 まだ揺れている。どんな原理だかは知らないけれど、ジェットコースターに乗るときのような、胃を置いていかれるあの感覚はほとんどない。全くないわけじゃないけれど。

 久野が床に四つんばいになったまま窓に近付いた。そして、叫んだ。

「落ちてる! すっごい普通に落ちてる!」

「判ってるよ!」

 ぼくは久野に叫び返した。窓のそばでしゃがみ込んだ久野によっていく。

 ふと〈マザー〉……緑色の文字がある壁を見た。文字はめちゃくちゃ不規則に光ったり消えたりを繰り返して、ぼくらにはさっぱり理解できない言葉を繰り返している。壊れた……んだろうか。少しだけ怖くなったけれど、ぼくは胸元の鍵を握り締めた。こっちが――バックアップデータの鍵さえあれば、何とかなるはずだ。

 窓を覗き込む。いつのまにか夕焼けに外は染まっていた。赤い海がぐんぐん近付いてきていた。西小の校庭じゃないのは、〈船〉が移動したんだろう。

 そのとき――部屋の明かりが、消えた。

 何だ?

 よく判らず窓から視線を剥がして後ろを振り返った。

 同時だった。

〝■X○@▽∞;?〟

 全く判らない音――〈マザー〉の言葉と同時に、こーすけとたけるの悲鳴が上がる。

 そして、二人の足元がいきなり――

 ぱっくり、割れた。

「うわあああぁぁぁッ!?」

「こーすけ! たける!?」

 穴に吸い込まれるように、二人は落ちる。だけどこーすけの手が、船の床にひっかかった。

 落ちて――ない!

 ぼくと久野は慌てて穴に近付いた。

 あつい海風がぼくらを殴りつける。覗き込むと、こーすけが汗を流しながら、左手でたけるを抱えながら、右手で自分たちを支えていた。

「こーすけ!」

 ぼくは慌ててこーすけの手をつかんだ。久野もとなりから、一緒にこーすけの手を掴む。

「くっ……」

 たけるを抱えながら、こーすけはつらそうだ。たけるはたけるで、ほとんど泣き出しそうな顔で、必死にこーすけにしがみ付いている。

「今……あげる、から! 落ちんなよ!」

 怒鳴りつけるように叫んで、ぼくと久野は息を合わせてこーすけとたけるを引っ張りあげようとした。

 だけどその瞬間――

 ガツンッ……!

 殴りつけられたような衝撃と同時に、視界がぶれた。

 手が――すべる――!

 繋がっていたこーすけの手が、離れた。

「っ!」

 息を飲んで、もう一度引っつかもうとしたけれど、遅かった。

「亜矢子……頼むで!」

 風にのってこーすけの声が聞こえた。それと同時に、こーすけとたけるは赤く染まった海へと落ちていく。

 少しの間。それからすぐ、ばっしゃんと派手な音が響いた。

「……こーすけ!」

 心臓が握りつぶされそうな痛みが走ったけれど、それを無視してぼくは叫んだ。床の割れ目を両手で握って、下を覗き込む。

 海は急速に近付いていた。だけどやっぱり、高いのは高い。

 ぞっとしながら目を凝らすと、海面で手を大きく振っている人影を見つけた。かすかに、火がついたような大泣きも聞こえてくる。こーすけと、たけるだ。

 何とか、無事は無事みたいだ。

 ほっとして顔を上げて――だけどその『ほ』はすぐに打ち消された。

 目の前に広がっていたのは、宇宙船の中なんかじゃなくて、ただだだっ広い海の姿だった。夕やけに染まった、紅い海と紅い空が、目の前に広がっている。

 目が回りそうなほど、頭がくらくらする。

 海と空が交代交代で上下入れ替わる。

 ――なんで?

 ずるっと体が後ろに滑った。久野も一緒に滑り落ちてくる。ポケットから転がりかけた『種子』を慌ててひっつかんで、逆の手で壁を掴んだ。

 何が、何で、こんなことに?

 半分以上混乱しているぼくに、久野が叫んできた。

「船が半分に割れたあー!」

 ……目が回りそうなほどくらくらしているんじゃなくて、本当に半分回転していたわけだ。

 半分になった宇宙船のかけらに乗っかったまま、ぼくらはジェットコースター顔負け、フリーフォールなんてかなわないってな勢いでぐるぐる動きながら落ちていた。


 海がどんどん迫ってくる。

 防波堤も見えてきた。

 絶え間なく動いている船のかけらにしがみつきながら、ぼくはもう一度賭けをすることに決めた。

 このままここに乗っていたら、そのまま海へぼちゃんか、わるけりゃ防波堤へ頭からつっこむことになる。

 脱出、するしかない。

 ぼくにしがみ付きながら、久野がふるふる子犬みたいに首をふっている。泣きそうだ。

 ぼくはぎゅっとくちびるを噛んで立ち上がった。久野を支えるようにしながら、船の割れ目に近付いていく。

「久野、飛び降りるよ」

 舌をかまないように囁くので精一杯だった。久野はぼくの言葉に、目を見開いた。それから、やめてというように大きく首をふる。

 防波堤が迫ってくる。一緒にこのまま落ちたら、船のかけらで押しつぶされかねない。たとえ、海に落ちたとしても――だ。

「久野、信用して。こーすけのバスケの腕なみには、ぼくだってボードに自信は持ってる」

 きゅっと強く久野の肩を抱いたら、久野は困ったような顔でぼくを見上げてきた。

 その間にも、防波堤は迫ってきている。時間はない。

「大丈夫だから」

 久野は答えなかった。だけど代わりに、ぼくの背中にまわした手に力をこめてきた。離れない。それが、答えだ。

 ――亜矢子、頼むで。

 こーすけはそう言った。これは、こーすけから受け取ったパスだ。

 いつもパスを送る側だったぼくが、逆にこーすけから受け取ったパスだ。

 ゴール決めなきゃ、意味がない。

 ブレイブ・ボードに片足をかける。

 ぼくは強く久野の肩を抱いて――

 思いっきり、地面を蹴った!

第39話 よいこはまねしちゃいけません。

 防波堤の地面が迫る。ぼくらが飛び降りた船のかけらは、ぼくらとは逆の方向に落ちていっている。

 視界の隅でそれを確認すると同時に、ひざに大きな衝撃がきた。

 自分の体と重力と飛び降りた勢い、それから抱きかかえている久野の体。全部の勢いと重さがひざにのしかかってきて、声をあげられないような痛みが走った。

 体が前に投げ出される感覚を何とか押さえつける。

 ローラーが悲鳴を上げるみたいに鳴った。何度もひざを曲げて、勢い良く転がるボードを必死で制御する。

 それでも、バランスはやっぱり崩れた。体が横に滑る。

 久野の頭を抱え込んで、ぼくは転がった。頬に熱い感触が時折走った。

 だけど勢いはずっとは続かなかった。

 数メートルは横滑りして――そうしてぼくの体は動きを止めた。

 同時に激しい水音が聞こえてきた。水柱が上がったのが見えた。船が落ちたんだ。

 ほっとした。

 止まっていた呼吸を再開させて、ぼくは久野の体から手を解いた。

「久野……大丈夫?」

 呼びかけると、呆然とした久野の顔がそこにあった。それがすぐ、ぐしゃりとティッシュを丸めたみたいにゆがんだ。

 ぼろぼろっと涙が零れだす。

「ひっ、久野? 怪我した!?」

 慌てて言葉をかけたぼくに、久野は思いっきり首を左右に振った。そのまま泣きながらぼくのシャツを掴みなおしてくる。

「……こわ……かった」

 ――ああ、そっか。

 そりゃそうだ。あんな体験、普通ありえない。怖くて、当然だ。

 ぼくは少しだけためらって、それからそっと久野の頭をなでた。

「もう、終わったから」

「……」

 久野は答えずに、しゃくりあげながら頷いた。体が、重い。

 夕焼けがまぶしかった。

「キィ、大丈夫?」

〝――今のところは〟

 静かに頷くキィの声と同時に、遠くからぼくらを呼ぶ声が聞こえてきた。

 こーすけとたけるが、海から何とか上がってこれたんだろう。

 ぼくは大きく息をついて、ポケットのなかの『種子』を確認した。空を見上げる。

「……何とか、なるもんだね」

 呟きが潮風に飛ばされていった。なんだか少しだけ、おかしくて笑った。

 海水でべとべとのこーすけとたけると合流して、防波堤の端に座る。

 久野は泣き顔が見られたのが恥ずかしかったらしく、泣き止んだ後はこっちを見てくれなかったけど――まぁ、いいや。

「キィ、姿、だせる?」

〝――少しなら〟

 キィが頷いたから、ぼくらはそろって目を閉じた。真っ白い光が広がる。それがなんだか、あたたかいって思えた。

 少しして目を開けた。

 白いキィの姿がそこにある。

 ぼくらはそれがうれしくて、顔を見合わせてけらけら笑った。

「な。何とかなるもんやろ?」

 こーすけが笑いながらそう言った。海水で張り付いた前髪が、夕焼けにきらきらしている。

 キィは夕焼けの中でもやっぱり白いまま、少しだけ寂しそうな顔を見せていた。

「キィ、どうしたの? ……船が落ちて、やっぱり、哀しいの? 寂しい?」

 キィの様子を見た久野が、首をかしげた。ぼくらは少しだけ笑うのをやめて、キィを見つめた。

〝それもある。だけど――それより、あなたたちと別れることが……寂しい〟

 別れる――?

 キィの言葉はぼくらから表情をぬすんでいった。どんな顔をすればいいのか判らないまま、ぼくはキィの白い瞳を見つめた。

「キィ……? 別れるって、どういうこと?」

 だってキィはここにいる。〈マザー〉だって、バックアップデータの鍵だって、ぼくが持っている。〈船〉は壊れたけれど、でも、キィは今ここにいる。別れるって、どういうこと?

 潮風が、ずぶ濡れのぼくたちをかすめていった。少しだけ寒気がした。

「キィ、どういうことだよ」

 怖くなって、キィの腕に手を伸ばした。

 だけど、ぼくの伸ばした手はキィの腕に触れることなく――すうっと、すり抜けた。

「――……」

 何もいえなくて。

 顔が強張ってかたくなるのを自覚しながら、ぼくは伸ばした手をどうすることも出来なくて、そのままキィを見上げた。

 防波堤の端、ぼくらのすぐとなり。

 夕焼けに染まることのない白い姿のキィは、静かな表情だった。

〝質量再生プログラムにもバグをきたした。そろそろ、お別れ〟

第40話 最後の賭け

「……なんでや」

 震えるような小声は、こーすけが漏らしたものだった。

〝〈マザー〉に損傷が起きたから。わたしは――〈チルドレン〉はもともと〈マザー〉と同じ存在だから〟

「でも鍵も種子も、ここにある! 〈マザー〉もバックアップデータもあるのに!」

 思わず叫んだぼくの言葉に、キィはすっと目を細めた。

〝わたしがバックアップデータ側の〈チルドレン・プログラム〉だと気付いていたのね〟

「考えたんだ! だから、大丈夫だろ!? 鍵はここにあるよ!」

 首に下げていた鍵を引っ張り出して、ぼくはキィに見せた。

 だけどキィは、静かに首を振った。

〝わたしのせいで、バックアップデータそのものにバグが生じていたの〟

 ――その言葉に、夕焼けの町並みが急に夜になったような気がした。視界が暗くなる。

〝結局、わたしは本来存在しえないものだったから――こうなることは、決まっていたんだと思う〟

「そんな……そんなの、ない!」

 久野が悲鳴みたいな声をあげた。触れられないキィに、何とかそれでも触ろうと手を伸ばしている。

「だって、だってそんな。じゃあ、もしかしたら――〈マザー〉が壊れなかったら、キィは大丈夫だったんじゃないの? 〈マザー〉から逆にデータを上書きしたら、大丈夫だったんじゃないの?」

 キィが少しだけ目を開いた。それから、穏やかな夕暮れみたいな表情で、呟く。

〝亜矢子は本当に頭がいいね〟

 それは――イエスってことだ。

 何かに頭を殴られた気がした。

 だったら、それは――キィがキィでいられるはずだった可能性をぼくらが壊したってことになる。〈マザー〉を壊したのは、ぼくらなんだから。

 何を言えばいいのか判らなかった。声がでなくて、喉が詰まる。指先がじんじんとしびれ始めていた。

 ぼくらが、キィを壊したことに、なる――

 頭が真っ白になりそうだった。

〝待って。誤解、しないで。もし〈マザー〉が無事でデータを上書きできたとしても、そうなれば〈マザー〉はわたしを放っておかなかったはず。バグを修復しようとしたはずだから、結局はわたしは消えていた〟

 キィがなぐさめるみたいに言ってくるのが、逆に悔しかった。

 ぼくらは、何て事をしたんだろう。

 また、視界が揺らぎ始めた。

 顔が、熱い。

〝ひろと〟

「――そんな、の。いやだ。だってそれじゃあ、どうやったってキィはキィじゃいられなかったってことじゃんか。そんなのいやだ」

〝ひろと〟

「おかしいよそんなの!」

 大声で叫んで、その瞬間、また涙がこぼれた。

〝ひろと。結局わたしはあなたたちとは違う。数字の羅列、記号のバグにすぎない存在。確定しないものだから、いつかは消えるものだったの〟

「そんなん関係あらへん!」

 怒鳴ったのはこーすけだった。

 溢れてくる涙を必死に飲み込みながらみると、こーすけもぼくと似たような赤い顔をしていた。目元が揺らぎ始めているけど、でも涙は零れてない。

「関係あらへんで、キィ! おまえが何やろうと、宇宙人やろうがプログラムやろうが、関係あらへん。ともだちやろ!」

「そうだよ、キィ」

 久野は泣いていなかった。必死に涙を堪えてるみたいに、強張った顔で、だけど真っ直ぐにキィを見つめていた。

「すごい確率で、ともだちになれたんだよ、あたしたち。だからそんな哀しい事、言わないで」

「キィ、ともだちだよ! キィもこーすけもひろとも亜矢子ちゃんも、みんなともだちだもん!」

 たけるも、必死さを表すみたいに両手を振り回しながら早口で言う。

 ぼくも涙をふいた。心のどこかに落とし穴でもあいたみたいに、痛かった。

「キィに逢えて、ぼくはうれしいんだ」

 キィはぼくらを順番に見つめて――

 それから、ふっと表情を崩した。目を細めて、くちびるをあげた。

 笑った。

 キィの笑顔は……こんな自然な笑顔は、はじめてだった。

〝ありがとう。あなたたちは、わたしのともだちね〟

 そう告げたキィの言葉に、ぼくは確信してしまった。

 さよならを。

 もう、本当に――さよなら、なんだ。

 どうしようも、ないんだ――

 また涙が零れそうになる。だけど、ぼくはそれを必死に押さえ込んだ。ぼくだけじゃない。こーすけも久野も、たけるも、みんな我慢しているはずだ。

 今ぼくらが泣いちゃ、ダメだ。今ぼくらが泣いたら、きっとキィが心配する。

 だから、泣いちゃダメだ。

 キィは優しい笑顔のまま、ぼくに言った。

〝ひろと。最後の賭けをしない?〟

「賭け……?」

〝可能性は一パーセントにも満たないかもしれない。限りなく、低い。分が悪い賭けだけれど――〟

 キィはそういって、ぼくが握り締めていた『種子』を指さした。

〝もう一度、あなた達に逢えるように〟

 可能性は一パーセントに満たない賭け。

 だけど、ゼロじゃない。

 ぼくらはちっぽけな可能性にすがりつくみたいに、思いっきり頷いた。

「やるよ! 何でもやる! キィ、どうすればいいの!?」

第41話 遠い場所からきたともだちに

『種子』を海へ流す――

 それが、キィの告げた賭けの正体だった。

〝海はその惑星の大いなる母だから――あの惑星の生命体である『種子』も、年月はかかるだろうけれど、地球に則した存在に変化を遂げる可能性があるの〟

 防波堤を降りて、砂を踏みしめる。

 太陽はいつのまにか落ちて、残り火のような赤い光が紫や紺とグラデーションカラーの空をつくっている。

 その中で、キィは静かに微笑んでいた。

〝そして『種子』は〈マザー〉そのものでもある。上手くいけば、だけれど。わたしは『種子』と融合して地球に則した存在へ遂げられる可能性がある〟

 それは、あくまで可能性がある、ってだけで――その可能性はやっぱり限りなく、低いってキィはいった。

 融合できない場合もある。そもそも『種子』が変化できずに死滅する場合もある。どっちも上手くいったとして、そのときにキィ自身が残っているかどうかは判らない。

 やっぱり、分が悪い賭けだ。

 だけど、ゼロじゃない限りやってみなきゃはじまらない。

 今このまま何もしないでキィが消えるのを待っていたら、また逢える確率は本当にゼロになるんだから。

 ゴールは遠い。でも、打ってみなきゃ、入る確率だってない。

 バスケと一緒だ。

「……キィ、またね、だね」

 たけるが、必死に笑いながらそう言った。ばいばいじゃなくて、またね、って。ちびのくせに、カッコいいまねをする。いつもバタバタしている手が、ぎゅっと握られているのが強がっている証拠だ。

 キィが笑って頷いた。

〝うん。またね、たける〟

 久野が、触れられないのを判っていながら、そっとキィを抱きしめた。キィも、同じように触れられないまま、抱きしめ返した。

「キィに逢えて、良かった」

〝わたしも、亜矢子達に逢えて良かった〟

 こーすけが、口元ににやりとしたいつもの笑みを浮かべていた。だけど、よく見れば眉毛がぴくぴくしているのが判る。それが、こーすけの必死さのあらわれだって気付ける。

「何年たってもええから、絶対逢いに来いや。オレらジジイになってるかも知れんけど、ずっと待ってるから」

〝うん。必ず――必ず、ね〟

 ぼくは鍵を握り締めてから、キィと向き直った。

 ――笑おう。

「キィ、これはどうしようか? 一緒に流したほうがいい?」

〝それはもう、本来の機能を果たさないただの鍵になったから――あなたが持っていて、ひろと〟

 キィが静かに微笑んだ。

 砂場で見つけた鍵は、ぼくらに宇宙からのともだちを呼んで来てくれたんだ。

〝いつかまた、逢えるように――お守り、ね〟

「お守りか」

 くすっとぼくは笑った。お守り。キィの口から出て来る言葉としては、なんだか不思議に思える。

「判った。お守りだね。大切にするよ」

〝うん〟

 ぼくはそっと右手を差し出した。触れられない、だけど確かな握手をキィと交わす。

「またね、キィ。ずっと――ずっと、ともだちだからね」

〝うん〟

 キィの白い笑顔は、さざなみの中で柔らかく映えた。

〝またね。わたしの、永遠の、ともだち〟

 そして、キィの姿は消えて――

 銀色の『種子』は赤く染まった大海原へと、波に流されていった。

 それが、キィとのさよならだった。

 ざざん……

 ざんっ……

 すっかり暗くなった砂浜で、ぼくらは何も言わずにただじっと海を見つめて座っていた。

 細い月が空にかかっている。波が時折月明かりに反射した。

 星が、溢れそうなほどに輝いていた。

「……星って」

 ふいに、久野が小さく呟いた。

「あたしたちが見ている星の明かりって、本当は何万年も昔の光なんだよね」

「うん」

 理科の授業で習ったことがある。ぼくとこーすけの間に座っていた久野は、ぼんやり空を眺めていた。

「もしかしたら、だけど」

 きらきら光る星が、哀しいくらいきれいに見えた。

「――今見てるこの星のどれかが、キィの言っていた星なのかも、知れないね」

 最後の十二人のいた惑星だ。

 それはたぶん、途方もなく低い確率の話。だけど、ぼくらはキィと出逢って、ともだちになれた。

 そう考えたら、別に不思議じゃない。今見ているこの星のどれかが、その惑星の可能性だって、もちろんあるんだ。

 惑星が滅亡する前の、姿かもしれない。

 夏の第三角形を見上げて、ぼくは頷いた。

「そうだね」

 久野の手に、そっとぼくの手を重ねた。反対側の手は、たけると繋がっている。久野の反対の手は、もしかしたらこーすけと繋がってるかもしれない。

 久野は、ぼくらのことをどう思ってるんだろう?

 ふとそんな考えがよぎったけれど――でも、いまはやめた。

 こーすけだって、きっと同じ風に思ってる。

 久野のことは、とりあえずおあずけだ。これからどうなるかは、誰にも判らない。

 またキィと逢える日が来るとして、その時にぼくらはどうなってるだろう?

 判らないけれど――

 だからこそきっと、楽しいんだ。

 遠いいつかに向かって投げた、シュート。

 キィと逢えるというゴールが決まったとき、ぼくらはどうなっているんだろう。

 夏の第三角形も、何も言わずに輝いていた。

 ――ねぇ、キィ。

 いつかまた、絶対、逢えるよね。

 遠い場所からきたともだちに、心の中で呼びかける。

 こうして、ぼくらの夏休みは終わりを告げた。

終章 キィへの手紙

  キィ、元気ですか?

  君は今、どこでどうしているんでしょうか?

  あれから、今年で五度目の夏がきます。

  俺たちはみんな変わらず元気です。

  俺と亜矢子と浩介はそれぞれ高校に進学して、二年の夏休みを迎えようとしています。

  さすがに亜矢子の偏差値についていけなかったから、

  亜矢子だけ別の高校になったのが、俺も浩介も悔しかったけどね。

  そうだ。浩介の奴、バスケでけっこういいとこまでいってるんだよ。あいつも、頑張ってるよ。

  亜矢子は亜矢子で、来年の受験に向けて今から必死に頑張ってます。

  たけるは今年中学に上がって、急激に身長が伸びてます。

  浩介と俺の影響で、バスケもやってるんだ。

  これがけっこう上手いから、将来期待しちゃったりしてね。

  俺は、今あるスポーツに夢中です。バスケじゃないよ。

  あのときのブレイブ・ボードだよ。

  競技であるって事を知ってから、夢中になってやってるんだ。

  やっぱり全部いつも上手くいくわけじゃないし、

  時々本気で止めてやろうかって考えることもあるけれど――

  キィと逢ったときに、浩介や亜矢子みたいに誇れるものがないのは悔しいから、

  必死に喰らいついてるよ。

  角野町も、五年前に比べてやっぱりいろいろ変わってます。

  鍵を拾ったあのキリン公園は、二年前に駐車場になってしまいました。

  時々そういうのが寂しく思うけれど、記憶とか思い出とかが変わるわけじゃないよね。

  海とひまわり畑は、変わらずあるよ。また逢ったら、あそこで水鉄砲合戦、やりたいね。

  花火大会も、毎年やってます。また一緒に見たいって思うよ。

  花火は寂しいところもあるけれど、やっぱりきれいだから。

  あのころと違って、俺たちも少しずついろんな事を知ってきたよ。

  だけど変わらない何かだって、確かにあるよね。

  俺たちがともだちだって言うのとか、さ。


「宏人、浩介!」

 聞き慣れた声に振り返る。きれいに整えられたショート・ヘアとトレードマークの眼鏡スタイル。

 このあたりで一番頭のいい高校の制服を身につけた亜矢子がそこにいた。

 バスケットボールを弄んでいた俺たちは手を止める。

「あとはたけるだけやな」

「もうすぐ来るよ」

 夏の陽射しを腕で遮りながら空を見上げた。

 いい天気だ。

 夏服の亜矢子が、俺たちのとなりに並んだ。

「今年こそ逢えるといいね」


  あの夏から毎年、俺たちはそろってあの海へ行きます。

  ――そうそう。あの宇宙船とかのせいで、一時期はすごく騒ぎにもなったんだよ。

  まぁ、どうでもいいかな?

  あの翌年から、夏休みが始まる日になるとあの海へいくようになりました。

  いつのまにかそれが習慣みたいになってるんだ。

  みんなそれぞれ忙しいけれど、どんなことがあってもその日だけはそろって海へ行くんだ。

  一度、俺と浩介が大喧嘩したときにその日が来ちゃったことがあったんだけど、

  それでも一緒にいったんだよ。

  キィ、君に逢えることを祈ってね。

  ねぇ、キィ。

  こんな事を言うと、君は哀しむかもしれないけど――少しだけ、ゆるしてね。

  もしかしたら、キィとは二度と逢うことはないのかもしれない。

  そんな風に考えたことだって、あるんだ。

  それはきっと、俺だけじゃない。

  亜矢子も浩介もたけるも、口には出さないけれど考えたことはあるはずだ。

  五年前と違って、俺たちもいろいろ、知ってきているから。

  だけど。


「宏人ー!」

 夏の陽射しを浴びて、遠くから中学生が走ってくる。

 たけるだ。

 俺は軽く手を振った。たけるはすぐに俺たちの元へやってくる。

 こいつ、また身長伸びたな。

「オレが一番最後なの? ごめん」

「ええよ。とりあえず、全員集合――っと。行こか」

 浩介が笑って歩き出す。

 亜矢子も、たけるもそのあとに続く。

 俺もゆっくり歩き始める。


  だけど、それでも俺たちはあの海へ行くよ。

  君に逢えることを祈って。

  君に逢えることを信じて。

  五年前に投げたシュートが、いつかきっとゴールネットを揺らすことを信じて。

  あの海へ、行くんだよ。


 少しの距離を歩く。

 ひまわり畑が見えた。海が夏の陽射しに、眩しいほどきらめいている。

 どこまでも深い、青。

 地球の色をした、大海原。地球が抱えた大宇宙。

 俺たちのともだちがいる、海が――広がる。


  君に逢える、そのときまで。

  俺たちはきっと、ずっとあの海へいく。

  だって、俺の胸元には今でも、約束の鍵が揺れているから。

  キィ、元気ですか?

  今年もまた、夏が来るよ。

  はやく君に、逢いたいね。

  ――キィ。俺たちの大切な友人へ。


片瀬宏人

いいなと思ったら応援しよう!