【映画感想】《ガザ〜素顔の日常〜》
3月に観て、別のところに残していたものですが、noteにも記録しておきます。
【ガザ地区】と聞くと、誰でもどんなところかわかるのではないでしょうか。
「天井のない監獄」
そんなふうに呼ばれるガザ地区。
中東に位置し、
地中海東岸に沿った長さ約50キロメートル
幅5~8キロメートルの細長い地域に
(東京23区の6割ぐらいの狭い場所)
200万人以上が暮らしています。
人口の約45%は14歳以下の子どもで、
7割は難民となった人々です。
ガザは周囲からイスラエル軍に包囲され、
人や物の出入りが極端に制限されています。
燃料や食料・日用品・医療品などは慢性的欠乏。
経済や生産活動が停滞して、
人々は国連や支援団体からの援助物資で
なんとか命をつないでいます。
2008年以降、ほぼ2年おきにイスラエル軍からの激しい軍事攻撃が行われ、多数の市民が犠牲になり、大規模な破壊がガザの状況をますます悪化させています。
予告を見て、
観るか観ないか迷っていた作品でした。
どうにも辛い気持ちになりそうで、、、
けれど、現実をニュースで見る惨状とは違った角度からも見てみたかった。
映画のPOPから何を感じるかは人それぞれかと思いますが、作品を観る前とその後とでは印象がガラリと変わります。
この笑顔の一枚から、私たちはもっと想像を膨らませて、同じ時代に住む他国の人たちを慮らなければいけません。
何ができるわけではありませんが、平和な国に住みながらあちこちで起きているちっぽけで馬鹿げた諍いを根絶する努力さえも、しょうもないながらも大きな一歩なのではないかと思います。
コーヒーを飲みながら海を眺める
歌う
夢を語る・・・
そんな日本では当たり前に手にできる日常を
ガザの住民はビクビクしながら過ごしています。
街を歩いているだけで、
突然銃弾が飛んでくる。
いつもそこにあった建物が、
一瞬で吹き飛ばされて跡形もなくなる。
爆破に巻き込まれて、
さっきまで笑っていた家族を失う。
そんなことが30秒後に起こるかもしれない恐怖を
365日24時間抱えて生きるってどんな気持ち…?
想像もできません。
笑う、歌う、踊る、働く・・・
他国では全てが自由であることを情報化社会であるがゆえに知ってしまうことさえも切ない。
海を見て嘆く人がいる。
「海の向こうはどれだけ幸せな世界だろう」と。
「平和が欲しい。ただ普通に暮らしたい」
幸せになりたいと望む人がこの世界に多い中、
普通に暮らすことを願う人たちがいる。
日本の貧困理由とは違う。
日本でする不幸話とは次元が違う。
『私たちはなんて幸せなんだろう』
そんな陳腐で平凡な言葉しか頭に浮かばないほど
恵まれた環境に身を置けていることに
心から感謝しました。
家族を想い、
大切な人・好きな人と笑って過ごし、
歌って踊って騒いで、
抱いた夢の実現のために日々を重ねて、
仕事して、
未来を憂いて、
明日が訪れるの待ちながら眠る・・・
当たり前に繰り返している日々は、
場所を変えれば奪われるかもしれない。
遠い国で何が起きているかをもっと直視したら、
些細なことで怒ったり、
いらぬいざこざに喜んで首を突っ込んだり、
誰かを攻撃して傷つけて嬉々としたり、
そんなことをしている自分たちの愚かさや醜さが恥ずかしくなるでしょう。
生まれるところは選べない。
けれど、
私たちには住むところを選ぶ権利がある。
だから選択して、そこで生きています。
ガザの人たちは、住むところすら選べない。
監獄から出ることを許されない人たちは、
命をかけて主張します。
脚に穴が空いても、
お尻の肉が削られても、
骨が剥き出しになるほど抉れても、
眼球を潰されても、
腕が吹き飛ばされても、
闘って闘って戦い続けています。
命をムダにしないで…
なんて言葉は口にできません。
言葉で理解し合えない相手は攻撃して対抗するしかないのだろうか?他に何か手立ては?と考えたりしましたが、策は思いつかなかった。
ガザの人たちの戦いは、日本人がその昔戦争で「お国のために」と言っていたそれと同じなのだろうか?それもわかりません。
わからないことだらけだから、
せめて自分にできることを
いまこの時代でしなければいけないことを
考えて実行するしかありません。
ガザが見せる日常の姿は、
不幸だ幸せだと言うためのものではありません。
いまは束の間でしかない笑顔が溢れる時間をどうしたら長くできるかを、平和ボケした人間たちが考えるためのものです。
自分たちだけがぬくぬくと生きる世界を変えようと努力するためのものです。
せっかくここに生まれたのだから、
ここに生を授かった意味を考えよう。
SNSで、家で、学校で、会社で、
人を傷つける人たちは
別の国へ行きなされ。
SNSで、家で、学校で、会社で、
人から傷つけられている人たちは
別のところへ逃げて。
あなたの居場所は
そこじゃなくていいはずだから。
ドキュメンタリー作品に触れる度に思う。
真に観て考えて内省すべき人ほど
作品から遠いところにいて、
この世界が一気に大きく変わることはない…
けれど、触れる母数が多くなるほど世界が変わる可能性も高まり、理想に近づき現実に変わる日を迎えるまでの時間を短くできる。
映画やテレビ番組を通して、教えと気づき・学びを与えていただけることに心から感謝します。
『好きなだけ映画を観て
過ごせるような日々が欲しい』
そんなふうに思うけれど、
それを求めることも許されない人たちがいる。
観れるだけでもありがたい。感謝しよう。
ないものねだりをするのではなく、
いまあるものに目を向けて幸せを噛み締めよう。
恐怖のない、心が乱れない穏やかな日常は、
それだけで幸せなのだから。