読んでいただきありがとうございます。
現在クラファンに挑戦中のフルート奏者、伊藤愛(まなみ)です。
長く思えたクラファン期間も、残りあと1週間となりました…!
今回は、音楽の道に進むと決めた学生時代のことを少し書いてみようと思います。
音楽に向き合い、悩み、それでもこの道を選択したから、今の私がいます。
私の大切なルーツです。
高校時代
中学校の吹奏楽部でフルートを始め、高校卒業まで大阪にいた私は「音楽の道に進みたい」「音楽を学びたい」という思いで音楽大学・芸術大学への進学を夢見ていました。 ですが、当時は音楽の道に進むことに反対されていたことや、家計の問題で進学先に悩んでいました。
レッスンを受けるためにバイトをして、コンクールに向けて毎日練習して、でも音楽には反対されるので家では喧嘩ばかり。高校2年生には髪が全て抜けました。夢見る思いだけでは、どうしようもなくなっていました。
音楽はしたい。でも...
そんな時、当時習っていたフルートの先生から言われたんです。
「フランスに行くっていう選択肢はないの?」 きっと学び始めたら「本場でも学びたい」と思うようになるでしょ?じゃあ直接行ったら?と。
目から鱗でした。
自分が海外に行くなんて考えたこともなかったですし、ましてや本場の音楽の学校... そんなの、もっと日本でもトップクラスに優秀な人たちだけが夢見て良いものだと思っていたからです。 学費だって、物価と同じで日本より高いんでしょ?そんなの無理!と。
ところが色々と調べていると、フランスの音楽院は学費がとても安いらしいということを知ります。 もちろん学校によりますが、私が最後の年に通っていた学校は年間3万円でした。
いくつ授業を取っても、世界レベルで活躍しているプレーヤーに習っても、3万円です。 日本は約200万円です。
入試を受けるとなると、世界中のフルート奏者がライバルになります。厳しいのも分かっています。 でもフルートを学びたい。音楽を学びたい。その思いは膨らむばかりです。音楽の道に進みたいなら、今の私にはこの選択肢しかない!と思いました。(今考えると0か100かしか頭になかった高校生でした。)
その後、先生にも力を貸してもらいながら両親を説得し、「音楽を学ぶだけじゃなく色んな成長に繋がるなら」とフランス行きを了承してもらうことが出来ました。
移住の手続きも終え、晴れてフランス行きが決まった私。 ですが、学校が決まっていないままこれから入試を受けるという段階で渡仏したので、そもそも入学できるのかも、これからどう生活していくのかも、何も分かっていませんでした。
初めての一人暮らしが、フランスでスタートしました。
フランス音楽院時代
習いたかった先生がいる学校への入学が無事決まり、これで音楽を学ぶことができる!と浮き足だっていました。
ですが、当時フランス語が全く出来なかったため、すぐに問題に直面します。
授業に全くついて行けない。特に座学。
周りにも日本人はいましたが、みんな日本の音大を卒業した人ばかり。そもそもの理論を理解できているので、何も勉強してきていない私とは雲泥の差がありました。
1年目は夜な夜な、泣きながらフランス語を勉強していた記憶が濃くあります。
でも本当に少しずつ少しずつ、色んな経験をして成長してきたなと実感しています。 当時はまだ人としても未熟で何も知らない20歳前後。
テロを経験し、日本がいかに安全な国かを知ったり。
人前で演奏することが怖くなり音楽をやめるか悩んだり。
フランス語上達のため現地のカフェでアルバイトをしたり。
もっと学びたい!とフランスの僻地やオーストリアの音楽講習会に一人で飛び込んだり。
フランスで経験した全てが、今では大切な記憶で、私のルーツです。
色んな国籍の仲間ができ、みんなに教えてもらって助けてもらって、本当に充実したフランス生活を送ることが出来ました。フランスにいた5年の間に、フルートとピッコロそれぞれでディプロムを取ることも出来ました。
周りに遅れをとっても挫折しても、地道に一歩ずつ前に進めたのは、友達や先生、そして高校時代は音楽に反対していた両親のおかげです。
異国の地に送り出してくれて、心が挫けそうな時は励まし応援してくれました。とても感謝しています。
そしてちょうど2つ目の学校を卒業するタイミングで、日本のオーディションに合格したことを知り、帰国を決めました。それが、地方での活動のきっかけにもなった芸劇オーケストラ・アカデミー(東京芸術劇場)です。
この続きは、クラウドファンディングサイト「readyfor」にて綴っています。
良ければクラファンへの想いも含めて一度読んでいただけるととても嬉しいです。