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変わりゆくもの、そして得るもの【短編小説】
緑の葉に色がついて澄んだ空気に包まれてきた今日この頃。雲ひとつない空の下で朝一番の太陽の光を浴びながら、駅前にある公園のベンチに腰をかける。こじんまりとした公園には、犬の散歩を散歩をする50代女性、スーツ姿のまま目を閉じて考え事をしている40代男性、読書をしている20代女性の私が毎日のスターティングメンバーだ。犬の散歩をしている女性は専業主婦かパート勤務で、スーツ姿の男性はきっと無職。私はというと、パワハラ上司のせいで適応障害になりつつも転職する勇気がなくてズルズルと出勤している社会人。医師から太陽の光を浴びるといいと言われたので、こうして出勤前に公園で読書をしているのだ。駅前とはいえ人通りが少なく、社会から転がり落ちそうな私にはとても心地の良い場所だった。
そんなある日、公園の目の前にパン屋ができた。SNSを中心に話題を呼び、お店の看板商品である”あんぱん”を求めて朝から客が殺到するようになった。私の唯一の居場所だった公園のベンチも、あんぱんを食べている人でうまってしまう。いつからかかつてのスターティングメンバーの姿も見えない。なんだか私のお城が何者かに乗っ取られていくような、そんな気持ちになる。ここにいても仕方がない、もう会社へ行こう。
「ベンチ空きましたよ」
後ろからおじいさんの声が聞こえた。あんぱんの入った紙袋を片手に持つおじいさんが私を見て微笑んだ。
「あ、ありがとうございます」
大丈夫ですと言って去ることもできたが、会社に一秒でも早く到着したくないので、おじいさんの隣のベンチに腰をかけた。私はおじいさんの自転車に大手通販サイトの段ボールが大量に積まれているのが気になって仕方なかった。
「これから配達なんだよ」
「自転車で、ですか?」
「車の免許は返納しちゃってね」
気になることはあったけれど、それ以上は何も聞けなかった。あまりにも幸せそうにあんぱんを頬張っているから。
「この仕事は今日で最後なんだ」
「……やめちゃうんですか?」
「僕も歳だからね、腰を悪くしちゃって」
おじいさんは自転車に目を向けて微笑む。
「いろんなお宅に商品を届けていくのは、なんだかサンタクロースになった気分で楽しかったよ」
働くことが楽しいだなんて、一度も考えたことがなかった。辛くて苦しいのが当たり前で、みんなそうやって生きていると思っていた。
「明日からはあそこのパン屋で働くから、よかったら買いにきてね」
おじいさんはゆっくりと自転車に乗り、公園を後にする。自転車にしては遅すぎるスピードで、背中は丸まっているけれど、道ゆく誰よりも輝いて見えた。
私はカバンの中に退職届があるのを確認して、駅に向かった。