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毒親 変な家②

夫婦喧嘩の最後は必ず
「もう出ていく」
という母の言葉を聞くことになる
そしていつも引き出しからカラシ色の財布を取り出す。
それが「出ていく」準備であった。
そのカラシ色の財布は普段使っていないもので、本当の財布はカバンの中に入っている。演技だった。
「もう○○(実家)へ帰るわ。こんなところにはいられない」
父が空虚な目をして黙って見ているだけで何も言わないので言葉はエスカレートする
「この子は置いていくから。こんな子まで私一人じゃ育てられないから」
喧嘩の最中の言葉と言えど、私にはキツかった。
嫌らしくてけがらわしく甲斐性のない大嫌いな人のところに私を置き去りにするんだと思った。

父がその後どうしたのか記憶にないが、母は少ししてクールダウンすると布団をひき始め、次の日からは元に戻ってしばらく普通に生活するようになる。
のちに、
「本当は帰りたかったけど、おじいちゃん(母の父)はもっとひどいからあの人の方がマシだと思った。私には本当に行くところがない」
とよく言っていた。

祖父と母は血が繋がっておらず、若い頃はひどい酒乱だったらしい。
死ぬような思いをしたけど、飲んでいない時はあまりにも優しいので母も亡くなった祖母も我慢していたようだった。
祖父はなぜか仕事関係の人を家に数日居候させる癖があって、狭い2階の部屋に母と一緒に居候男性を宿泊させ、母はその人たちから性的な被害に遭った事があるらしかった。
「世の中には碌な男の人がいない。ひどい人ばかり。誰も信用できない」
母は幼少期に苦労してせいでこんなふうになってしまったのかも知れない。

私が小学校高学年頃になると、母の父に対する悪口は相変わらずだったものの、二人とも少し落ち着いたように見えた。
その頃父は自営業をしていて、家にいるのが苦痛だったために正月以外は職場へ行っていたが、急に日曜日に休みを取るようになった。
休みと言っても、もちろん家族と何かを共有するわけではなく一人でお寺へ行くというルーティンを作った。
何事にもハマりやすい性格なので、お寺で買った梵字の書かれた色紙を壁に貼ってその前に座り込み、何やら小声で念仏を唱えていることもあった。
突然、「これは曼荼羅という。この文字は何て読むかわかるか?「あ」と読むんだ」
と、小学生にとってはあまり興味の持てないことを説明してくれたりした。
上機嫌だった。

その上機嫌の源を私も母もお寺通いのせいだと信じていたが、実際はそうではなかった。
父は浮気を始めていた。


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