苦しみは所詮、自分が決めたルール〜不足を疑ったらブロックした彼が戻ってきた話。

なにかを失うとき。

人間関係やその人自身がこの世から去ってしまう時、職業、住む場所、物理的な「もの」、はたまた目に見えない名誉や評判、人気。

わたしたちは、なにかを失うときに「悲しい」と感じることが多い。

しかし、それをわたしたちは本当に「失った」のだろうか?

失ったってどういうことだろう?

たとえばわたしは最近、ある人との関係を抱えきれずに連絡を断つことを選択した。

これ、ASD・HSPさんがよくやる「切る」やつね。笑

わたしは若い頃からこの傾向があり、自分が嫌われそうだと思ったときに自ら去る=対象の人たちを切ることが多かった。

その後、その人たちがわたしのことを失ってどう思うかなんて考えたこともなかった。

しかしその「ある人」は、まるで子供みたいに、切っても切っても追いかけてくるうえに、切る前と変わらぬ態度でわたしのことを好きでいてくれるという少し変わった人だった。

その人を切るのは2度目なんだけど(具体的には、LINEをブロックした)、
自分でブロックしたくせに、後で彼からもらった大きな愛に気づいて、すごく心を痛めたりしていた。

けど、今日ふと「失うってどういうことだろう?」とわたしは考えた。

「失う」とは。
わたしは彼を本当に失ったのだろうか?

そう考えた時、あることに気づく。

今、わたしは物理的に彼と連絡を取れる状態にない。
=これからわたしの人生に彼はもう登場しない
=わたしは彼を「失った」

とくに違和感もおぼえない考え方だと思う。
しかし、実際には

彼はわたしの人生に登場し、わたしと関係性をもち、
わたしは彼から愛を受け取ったと感じた。
=つまり、わたしはわたしの人生に彼を「得た」ともいえるのではないか。

と考えたのである。

そうすると、だよ。

今、わたしが彼をブロックしたという事実があったとして、
それを「失った」=悲しいと認定して、めそめそしているのは

わたしの選択。

事実ベースでそれを見たとき、
彼はわたしの人生に登場して、おかげでたくさんの愛を「得る」ことができた=幸せだったなあ

と捉えることもできると気づいちゃったんだよね。
(ポジティブシンキングしよう♪なんてことは1ミリも言ってない)

つまり、彼と愛を交わしあった喜びをないことにして、
悲しみに明け暮れてめそめそするという選択をしたのは

わたしである。

ちなみにこれに気づいた数時間後、絶対戻せない方法でブロックしたはずの彼をunblockできることに気づいて、
なぜかご縁が復活しました。

そして、
I feel like God or something has connected us again.
<神かなにかが私たちのご縁をふたたび繋いでいてくれたように感じるよ。>
と彼にメッセージを送った。

あなたは、自分の本当に望む選択ができていますか?

自分のほんとうの望みを見てあげることは、
社会のルールに適合するよりも、
会社に遅刻しないことよりも、
適齢までに結婚してとりあえず子供産んで家族作って
社会的にまともな大人であるかのように取り繕うことよりも

なによりも大事だと断言するよ。
あなたの本当の望みはなに?


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