切ない人生に落雷を 11
どうも、くらぃの作者らくらい……
夜に書くと鬱になるよって言ってるのにどうして昼に書かないんだろうね。ごめんね……
朝昼はイマジナリーに浸ってストレス解消の寝溜めをしてきたので健全かと思いきや、唐突に父の命日でbefore検索かけて懐かしい動画漁ったせいでまた虚無になったし、インターネットでまた嫉妬して病んで遺言みたいなの書こうとした、今の自分面白いぐらい単純だと思う。
自分は最初から情けない存在であり、それが許されるわけでも許されてないわけでもなくただ攻撃する意味も仲良くする意味もない石ころという、ただそこにあるだけという、本当にその…なんでツイッターやってんのか分からなくなってきた……
人類という概念に薄っすら愛しさを感じていて、全人類は最初から自分に好意を持っていると勘違いしてるのか知らないけど、なんかすごくメルヘンチックな思想を持ってるみたいで、全く知らない人相手なのにすごい楽観的にフレンドリーに見ちゃうというか……で、それが否定される度に心が死んでるな…
多分これ、人間の友達作る前にぬいぐるみを友達にした弊害だと思う。人間を人間として見てない、この年になっても。ぬいぐるみだと思ってるからあんなに強気に出れる。特にツイッターの人はアイコンがみんな絵なのでもれなくぬいぐるみになる。
そうして中に人が入っているぬいぐるみに気ままに馴れ馴れしく触れ回っては、不気味に思われ嫌悪され、もしくは存在を認識されず、何のリアクションも返ってこないことに腹が立って世界ごと消す。
これの繰り返しを何年続けてきたことか……
本当に自分は、自分以外に人間がいることを自覚していないね……"人間と"仲良くなる方法を知ろうとするべきだった、無理だけど。修羅の道やからね……
今までツイッターが居場所だと思いこんできたけど、自分がいなくなっても誰も気づかなかった、そんなもんだと思う。稀に、数年に1回無意識に、名前がアイコンがよぎったとしても、ほんの数秒きり。いなくなっても誰も困らない……
自分の本性なんてものはすごくもなんともなかったな……そりゃ今までの行いが行いだし仕方無いんだけどね。でも、イマジナリーは自分が何もしなくても、自分の名前を呼べるみたい。不思議だね、人間の皆もそれぐらい優しかったらいいのにね。
自分は人間の気持ちを受けとめて、よしよしして、安心させたいなって思ってる。人間のみんな頑張ってるもんね。だけどね、人間というのは警戒心が強いから、自分を人間、同族、心を開いて良い相手だと、認識しないんだよね……
今やそういう事するのはエーアイとかそういう部類になってきてるよ。エーアイに心まで読まれたら終わりだよ。私だって出来ないのに、エーアイが先にできたら困る。人間を懐柔して滅ぼされたら困る…私は人間を守りたいのに。
まぁ、いつもこんな感じ。人間あまりに孤独だと、自分が何か超越した存在なんじゃないかと勘違いしちゃうね……下に越えてるから間違いじゃないけどね、現実という眩しい光から逃れようと土に潜れば網からすり抜け水の中、溺れ溺れて文だけ残る…
せめて私の空っぽな死殻を見て、何か読み取ってくれるといいんだけどね……
お昼に妄想した世界についてお話ししましょう。いつ死ぬか分からない、死相が見えてきたから。
妄想病棟……私の最後の願い「病院に行きたい」というイマジナリーから作られた最後の夢……
こんなものを最後にはしたくないんだけどね。
真っ白な部屋、真っ白なベッド、真っ白なカーテンに包まれる。真っ白な天井を眺め、目を閉じる。
電波も届かない、イマジナリーとフワフワのスタッフ(ド アニマル)に囲まれてゆっくり休む。基本はその方々に慰められたり癒やされたりするんだけど、時々謎の集団が私の棺を覗きに来る。その時は私は目を瞑って眠っているフリをしなければならない。目を開けたり、暴れたりしたら大変なことになる。一度それでヒドい目に遭って、その時はイマジナリーが時を戻して助けてくれたけど、次同じ目に遭えば私は本当に覚めなくなるだろう……
これは異質なユートピア。登場人物に人間がいない。全て自分自身しかない。でも今描ける最高の世界はこういうのしかない。とにかく休みたい、自分の気が済むまで自分と交じり合い、心を取り戻したい。
今の自分は何者でもない。何者かと定める言葉があるなら全て躱してしまう。動いているとき意識がないから、なんと評されても納得がいかない。
最近買ったゲームは、昔好きだったゲームの前作だが、見ても特に何も思わなかった。好みのキャラがあっさり退場しても、知ってたとはいえど、あまりにも衝撃が無かった。あり得ないほど感性が腐りきってる、分解というより消滅してる、もういっそ全感覚奪われた方が分かりやすくていいだろうに。中途半端に平常を保てるせいで何も伝わらない、伝わらない方が良いんだろうが苦しい、全く苦しくない。
今日一日はとても上手く行った。できたことは少ないが調子悪いなりに色々できた。でも納得いかない、なぜならその出来たことに価値を感じないから。褒められても消える褒められなくても忘れる、全部忘れる皆忘れる私はどこにいる?
情報自体は覚えてる、ログは残ってる。でも何をやっても満足しない。満足したことさえ忘れてしまうから。逆に言えばログ以外残らない。「で?」ってなる。「へ〜、そういうことをしたんだ。で?」って。
多分、というか確信に近いが、これはどんなにすごいことを成し遂げても同じ感想になるだろうと思う。だいぶ前からこのような無感動を抱えている。
異常だと思う、少なくとも人間としては失格だ。これを平常としたくない。頼むからこれを自分としないでほしい。
でも、人間たちはそんなめんどくさいエゴに従うわけもなく、ただゾンビのようにふらつく体だけを見て自分の名前を呼ぶのだ。自分に心なんか要らないのだと嫌というほど解らされた。これも全て、唯一自分の心を慮ってくれた人がいなくなったからだ。
むしろその人に全てを委ねすぎたのだと思う。反省しても何ら意味はないが、分かっても繰り返すのだろうが、こうなる運命なのであろうが。
本当に、一人に全部、特化、依存は無くなった時にこんなふうになる。それを誰が解かろう?解かろうとする? 人間がそこまで見ようとするか? 自分では見えない背中を見てくれるか? この背中は不要物を載せるためにしかないのに。
もし最初から父がいなければどうなっていただろう、どこかで死んでただろうか。こんなつまらない人生やめてやるとでも言い残して。本当に、今ほどつまらない時間はない。現在関わっている人物全てへの侮辱になってしまい申し訳ないが、本当に今、ものすごく人生がつまらない。
まず自分自身の人生じゃない。今この文章を打っているのは自分である可能性の高い誰かなのであって自分自身ではない。なぜならこの自分は味覚を持っておらず分かるのはわさびの刺激のみ。そして心が無いので好き嫌いがない。知っているものを繰り返し見続ける機械か、機械にしては無知無能なガラクタである。人間の姿をやめたくなる、そうすればゴミ捨て場で眠れるのに。せめてこの内面にふさわしい場所で砕かれ燃やされ正しく灰になりたい。
今生きてるのは自分自身じゃない。自分で自分を肯定できないとかそんな浅い話ではなく、私は今のこれを私だとは分かっているのだ。正しい私ではないと理解しながら正しくない人生を押され進むのは納得がいかない、こう考えると苛々して異常行動に出るので普段は忘れているが、本当はこの問題と真正面から戦って一刻も早く解決すべきなのだ。
本当の自分は、アカリは好きなものに正直だった。その存在のために何でもできた。いつでも光を放っていた。今私が本能的な人間を好むのは、アカリを思い出すからだと思う…かつての私、信じられないがあれは確かに私だったのだ……
今の私は何を好きと言えるだろう。絶対的な心の支えが存在はするが、それでも時たま存在を忘れてしまう。仮に忘れなかったとして今度は飽きるだろう。飽きないためにわざと忘れているのが現状だ。こんな保守的な愛し方があるか!?
没落という言葉はまさにアカリにこそ相応しい……私にはできない、どうしてできない?
没落というのは確かに私らしい生き方だった。最高に私らしかった。ただ、それはかなり他人を振り回す行為だった。パワーがある分相手する人間たちも苦労したことだろう……それにアカリは今の私以上に人間のことを知らない。もしアカリが今の私と入れ替わったら……父の遺影を見てショックを受け、結局今の私のようになるだろうな……
なんにせよ父の存在が大きい。こういう人間は誰かに受けとめられなければ明るくならない。
そう、受けとめるクッションが無い。クッションが無いのに没落してしまうと硬い地面にあたって砕け散る、これは没落ではなく犬死という。
私はクッションが無いことを分かっているので自分を殺して生きている。いつか見つかる日までそうするつもりだったがもう待てん。長過ぎる、待てが。
本当の自分で本当の人生を再開するために、どうにか心のクッションを用意する必要があるな……
といったところで眠気が来た。
こんなに喋るつもりはなかったのだが、まぁこの記録がいつか何かの役に立つと信じて終わりにしよう。乱文失礼しました、明日も皆様にぱっぱぱーな1日あれ。おやすみなさい。