エンディングノートのすすめ。ハレとケの日の間をつなぐ。
これから10日ほど、旅行に行く。
旦那さんを置いて、一人で。
旅先は私の仕事関係+趣味全開の場所。
結婚前から決めていて、数年越しに叶ったこの機会。
逃すものか!とばかりに、旦那さんにも『行くからよろしく!』と有無を言わせぬ行きます宣言をかましたのが数ヶ月前。
(…こういうとき『お好きにどうぞ』と言って、淡々と送り出してくれる旦那さんを、心から尊敬している。
だから私も、彼のやりたいことはできる限り自由にさせてあげたい、と思ってる)
色々準備をすませて、ふと
結婚してから『連絡ノート』を作ってなかったことを思い出した。
【初めてエンディングノートを書いてみた】
学生時代に、初めて海外に行ったとき以来
出かける前に『連絡リスト』を家族に渡すようになった。
何となくだけど"海外に行く"となると国内よりも『何かあったとき』のことを考えやすくなる。
携帯電話の普及もあって、大人になってからの私の人間関係なんて、家族にも把握しきれていない。
私に何かあったとき、それを知らせて欲しいと思っても、連絡先が分からなかったら困るじゃないか!
ということで、『何かあったら連絡して欲しい人の連絡先リスト』を作って、旅行前に家族に渡す…という儀式をするようになったのですが。
今回、久しぶりに長期旅行をするにあたり、この連絡先リストを渡す相手が、実家の家族ではなく、旦那さんになることに思い至り。
連絡先だけじゃ困るかもしれない、と思い、
初めて、エンディングノートを作ってみた。
とはいえ、使ったのは普通のノート。
今回はいつも通りの『何かあったとき連絡して欲しい人リスト』に加えて
今お願いしてた〇〇の件のキャンセルをお願いします、とか
借りっぱなしの本を〇〇さんに返却してください、とか
必要な手続き関係のこととか
これだけは処分しないで妹に渡して!とか
書いてみると、すごく事務的な内容ばかりだったし、大して書くことないんだなぁ、と拍子抜けしてしまった。
今私が死んでも、そんなに大変じゃないんだ、と気づけたのはなんか面白かった。
で、流石にこれだけじゃ味気ないなぁ…と思って
ノートの最後に、旦那さんへのメッセージを書いてみたら、これがヤバかった。
【最後に伝えたいことは、すごくすごくシンプルだった】
自分が死んだとき、旦那さんが目にするだろう手紙を書く。
私が旦那さんに宛てて書く、最後のメッセージ。
何を残したい?何を伝えたい?
それをリアルに想像したら泣けて泣けて。
そんな自分に笑い泣きしながら書いたメッセージは
めっちゃシンプルで、短かった。
要約すると『あなたと出会えて幸せでした。ありがとう。』
他にも色々書こうとしたけど、出てこなかった。
最後のラブレターだ!とか気合い入れたけど、
本当に伝えたいことはこれだけなんだな、って
なんか妙に納得してしまった。
普段生活してると、アレしてくれないとか、
もっとこうして!とか
色々思っちゃってモヤモヤすることもあるけど、
それって、明日も明後日も一緒にいられる、生きてるはずって
無意識に思い込めてるから出てくる、たいしたことないというか、表面的な言葉なんだなあ。
本当に最後!ってリアルに想像したから気づけた、私の本音。
旦那さんのことはいつも好きだと思ってたけど、こんなに大切な存在で、ただ出会えて、一緒にいられるだけで十分幸せなのだ、って
エンディングノートを書いてみて、
初めて自覚できた気がした。
死を思うと、今この瞬間の生が輝く。
生きて今いられるこの時間が、ものすごく愛おしいものだ、と感じられる。
すごくすごく、大切な感覚だと思う。
これからは、旅行前にエンディングノートのアップデートをするようにしよう。
旅行という非日常、ハレの日も良いけれど
日常の大切さ、ケの日の愛おしさはそれ以上であることを
エンディングノートに向き合うたびに
思い出すんだ。
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