見出し画像

蘭語辞書と豊前国中津藩:蘭学コトハジメ②

 1774年の「解体新書」出版に名を連ねなかった豊前国中津藩の医者、前野良沢。彼の晩年に蘭学指導を受けたと考えられる中津藩5代藩主「奥平昌高」。現在の中津では、地元の偉人を街壁に看板として紹介しています(扉絵参照)。看板にあるように、蘭語辞書の編纂を指示、編集に加わった変わり者の藩主です。(小野堅太郎)

 1641年に江戸幕府は鎖国体制を完成させます。キリスト教布教を行わないとを約束したオランダの商館を平戸から出島へ移転させます。これにより、日本は西洋からの情報は、出島からオランダ語を通じて得ることになります(中国との貿易はキリスト教は関係ないので続きますが)。何でオランダは布教しないことを約束したかというと、キリスト教「プロテスタント教派」の国だからです。プロテスタントはそもそもあまり布教をしませんので、約束も何もないのです。オランダは天草島原の乱で幕府側に協力したことも影響したでしょう。

 幕府は「オランダ風説書」という外国情報を報告すること義務付けますので、鎖国とはいえ外国情報は必要だったわけです。オランダは日本との貿易を独占できます。つまり、江戸幕府とオランダのWin-Winの関係です。いずれにせよ、この施策により江戸時代においてオランダ語と日本語の通訳、そして翻訳の需要が高まってくるわけです。

 前野良沢が「解体新書」への翻訳に苦労したのは、辞書がないことでした。蘭学という学問ブームが巻き起こった江戸末期において、日蘭辞書が次々と作られます。1796年に、稲村三伯らにより「波留麻和解(ハルマわげ)」という辞書が出版されます。13年かけて、6万語以上をアルファベット順に並べたもの(すなわち翻訳用)ですので超本格的な辞書です。

 中津藩藩主の奥平昌高は、蘭学界のサラブレッドです。実父が島津重豪、叔父が奥平昌鹿、幼少期に前野良沢です。島津重豪と奥平昌鹿は二人とも有名なお金を使いまくる蘭学マニアで、深い交流を持っていました。奥平昌鹿が亡き後を継いだ昌男が24歳で直ぐ亡くなってしまい、後継ぎがいないことから、仲の良い島津重豪の次男(6歳;家督相続のため12歳と偽りますが)を養子とします(1986年)。これが昌高です。島津重豪はその翌年、隠居して長男の斉宣(たぶんまだ13歳)に家督を譲り隠居するも、実権を握り続けます。後に、斉宣は緊縮財政を取ろうとして重豪と揉めて「強制隠居」させられます(まだ35歳、・・・なんかかわいそうです)。奥平昌高は、まさにこの実父、島津重豪の「蘭癖大名」性質を強く引き継ぎました。

 中津藩は天明の大飢饉(1782-1788年)で超財政難ですが、成長した昌高は随一の蘭学マニアとなります。オランダ語での会話能力はペラペラとなり、オランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフと交流を深め、フレデリック・ヘンドリックというオランダ名をもらいます(オランダ名をもらうのは、この時代の流行です)。オランダ語の詩を書いて賞賛されたりしています。

 1810年、30歳になった奥平昌高は家臣の神谷弘考(源内)に命じて「蘭語訳撰」という蘭学辞書を江戸で出版します(およそ7000語収載)。いろは順ですので、簡易英会話用の辞書です(日蘭辞書としては初?)。それから12年後、藩医の大江春塘に命じてアルファベット順の「バスタールド辞書」を出版します。こちらはオランダ語書物の翻訳用です。バスタールド辞書はオランダのライデン大学に寄贈され、図書館に今も現存しています。この二冊合わせて「中津辞書」と呼ばれており、共に馬場貞由(佐一郎)が校訂しています。長崎通詞の馬場貞由は、語学の天才でオランダ語だけでなく、フランス語やロシア語もいけて、22歳で幕府天文方の蕃書和解御用に登用されています。馬場貞由は「蘭語訳撰」と同年にそっくりの「西語訳撰」を出版しているので、こちらが原盤かもしれません。バスタールド辞書出版の1822年に馬場貞由は36歳で夭折します。

 最近(2019年)、神谷弘考と馬場貞由の絵がオランダの古書店で発見された(神田外語大学による)。二人は洋装で、和装のオランダ商館長と楽しんでいる長崎屋での宴会の様子らしい。是非ネットで探していただきたい。

 奥平昌高は、馬場貞由の死もあったのか、それから辞書は編纂していません。1825年に隠居しますが、実父島津重豪と共にシーボルトと交流を深めます。1828年にシーボルト事件(スパイ嫌疑)が起きますので、その後の交流はなかったようです。74歳で亡くなっています。

 中津藩!と言っていますが、舞台は基本的に江戸中津藩邸です(参勤交代のせいで)。これらの辞書が、中津で特に広まって蘭学を発展させたというわけではないようです。しかし、バスタールド辞書をまとめた大江春塘の存在は大きいです。大江家は代々中津藩の典医であり、花岡青洲の塾(華岡医塾合水堂:適塾と双璧をなす)に関係の深い家系です。

 さて、次の蘭学コトハジメシリーズ最終章は、中津の英雄、福沢諭吉についてです。


いいなと思ったら応援しよう!

マナビ研究室
全記事を無料で公開しています。面白いと思っていただけた方は、サポートしていただけると嬉しいです。マナビ研究室の活動に使用させていただきます。