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「意識」を考える : 我思う、故に我あり③

 心と意志について考察してきた。統合して「意識」とは何かについてまとめます。(小野堅太郎)

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 数か月前に、YouTubeでNewspick社提供の堀江貴文氏と川上量生氏の対談動画を観た。この中で川上氏が「意識は無意識(動物脳)を書き換えるデバックコードが拡張したもの」というような発言をしている。この表現に鳥肌が立ち、それからずっと頭から離れないでいる。川上氏はさらに「意識は進化のごく最近に獲得されたものだから、一番シンプルな機能追加のはず。脳をプログラムに置き換えると、その最小機能追加は”書き換える”デバックコードである」と説明する。

 意識をどう定義するのかという問題もあるが、ヒト以外の動物に「意識」と呼べる機能があるかどうかの判別は非常に難しい。現在の類人猿とヒト族の共通祖先からの枝分かれは数百万年前と考えられており、35億年の生命の歴史の2%程度にしか過ぎない。我々ホモ・サピエンスが他のヒト族から枝分かれしたのは数十万年前ほどであり、生命の歴史では一瞬でしかない。絶滅してしまった他のヒト族(ネアンデルタール人など)に意識があったかどうかは調べようはないものの、意識が進化上ではごく最近に獲得されたのは間違いない。つまり、大規模な神経回路の書き換えが起きて意識が生まれた可能性は低く、わずかな変更が意識を生み出したと考えるのが妥当である。

 デバッグコードとは、プログラムを走らせて生じたエラーを適切な値に置き換えるコードのことである。「デバッグコード」というキーワードが、これまで自分が考えていた意志の特質を表現していた。前記事で述べたように「意志」は行動の指令ではなく、「行動予定の認知」である可能性がある。これは行動に責任を生み、自我の認知(自分であること)を引き起こす。この回路のトレーニングは内的に「心の構造」を書き換えることで行動変容を引き起こすことができる。この過程は、我々が通常把握している「明確な強い意志」だといえる。ヒトは思考により行動変容できるが、動物は外的刺激からしか学習できず、自己修正ができない。川上氏の「意識」を私の「意志」に置き換えると、まさしく「意志はデバッグコード」として機能しているかもしれない

 心や意志は、学問で再定義され、科学研究対象として取り扱われている。しかし、「意識(consciousness)」は定義や概念付けに一定の見解が得られておらず、有名科学者の書籍は多いが、科学論文としては非常に少ない。概念としても、近世17世紀ごろから語られるようになったはずである。

 生理学という私が取り組む学問体系では、意識を「随意」、無意識を「不随意」といって、それぞれ意志に基づく行動自動的に行われる行動・反応とで分けられている。私の考えで随意を定義すると、意志は指令ではないので「意志認知回路で認知された上で発現する行動」ということになる。ゆえに、意志と意識は同義とも取れるし、意志認知回路の総称を「意識」と言ってもいいのかもしれない。基本的にヒトも動物もすべての行動は自動で反射的に実行されるが、ヒトにおいては意志認知回路が働いた場合には「意志」が追認されているというだけのことである。

 では、意識(≒意志)はどのように脳に実装されたのかを考えてみる。

 おそらくヒトへの進化およびホモ・サピエンスへの進化の際に、神経系における何らかの遺伝子変異が起きて意識を獲得し、「考える」ようになったと思われる。この自己反省ループによる効率的学習能力は進化圧として機能し、ホモ・サピエンスが獲得した脳機能だと思われる。かつては脳の大きさが「知性」に関与すると考えられていたが既に否定されており、脳の大きさは基本的に体の大きさに依存しているようである。ゆえに、意識回路は、脳の大きさに関係なく脳内のどこかに潜んでいる。意識が乳幼児に存在するかどうかはかなり疑わしいので、後天的に形成される神経回路である。重要なのは、「言葉」「文字」を発明したことにより学習での情報量が格段に増えており、意識回路はさらに促進する環境にあると思われる。

 行動発現前に意思が認知される必要があることは既に述べた。最も可能性が高い構造は、運動野への出力と平行に処理されるシステムである。このシステムの利点を詳しく説明する。動物脳では行動が発現してから感覚器を通じた追認を行い、学習回路により「心の構造」が変容すると思われる。そのため、行動の結果として明らかな成否(報酬と罰)がなければ学習が行われない。しかし、意識回路は自我を認識させるので「自分の行動を自分で評価するチャンス」をもたらす。自分で決めて自分で行動したという感覚(意志)は、「自分で行動を変えられる」という理論を生む。認知機構の神経回路には不明な点が多いが、大脳皮質に存在することは明らかで、ヒトは学習トレーニングにより大脳皮質連合野のどこかで行動予定認知(意志)の回路を発達させている。意識回路が大脳皮質のどこかに限局してモジュール化されているのか、全体に分散しているのかはわからない。

 意識回路は行動前の認知機構なので、動物脳に備わっている行動後の認知機構と一致しているかを照合することができる。エラーがあれば記憶し、運動機能の改変を行うことができる。スポーツ技能(古代では狩り)を洗練するには有用な機構であり、明確な罰が与えられなくても自己の中で「より優れた運動プログラムの自動生成」を促進するようになる。また、意識回路は予測機関でもあるので、行動を伴わない「空想」に利用することができる。

 もしVRなどが今後発展して感覚器をハックすることができれば、意識回路と仮想空間体験が一致して現実感(reality)を生むだろう。ならば、次なる課題として、「意識回路だけで空想できるようになるのか」が問題となる。

 次回は「空想」について考えます。

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