自転車撤去と失恋
自転車を盗まれた。正確には撤去された。もっと正確には憎むべき公営窃盗団に誘拐されてしまった。連れ去られたフィアンセを救い出すべく三条千本のアジトに乗り込み、3500円の大いなる犠牲により彼女を取り返した。再会のときには涙が溢れそうだった。もう離れちゃダメだよ。You belong to/with me.
帰りしな二条城前を通った。河原町通り以西にはほとんど行かないので、たまたま通った道での突然の出現に驚いた。こんなところにあったのか。
修学旅行で京都に来たときに、当時付き合ってた人(と友人数名)と二条城の前を歩いたことがあった。それだけなぜか鮮明に覚えていて、自転車を漕ぎながら当時の彼女をその道路の上に思い出していた。数年前、ここに彼女が存在したのだなぁ。
友人に戻れなかった彼女とは卒業してから一度も会ってなく、しかし意識の中にその存在があったせいで、僕の中では当時の姿のままであった。まるで死んでしまった人みたいだ。
先日、地元の友人と会ったときに、最近の彼女の写真を目撃することになった。彼女は制服を着てなく、ちゃんと成長して大学生の見た目になっていた。しかし髪型はあの頃と同じくショートで相変わらず丸い目をしていた。
当時の自分は酷く幼く、こと恋愛については何も分かっていなくて、さらにその事に気づいてもいなかった。彼女は恋人であるのに何のアクションも起こさない僕に酷く困惑し、多少なりとも怒りを覚え、次第に諦めていったのだろう。彼女には申し訳ないことをしたなと思う。彼女から別れの手紙をもらったのは丁度僕が何か行動しなければと思い始めた時で、時すでに遅しというやつだった。あの時もう少し大人だったらと僕の後悔が尾を引いたことは言うまでもないだろう。
日が沈んだ四月末はまだ肌寒い。上着のチャックを締め取り返した自転車で大通りを走る。信号待ちで携帯を見ると恋人からLINEが入っていた。昼に話したデートの順延は来週末になるらしい。
四月から研究室に入り新生活に忙しい彼女とは少しギクシャクしていたが、今日は久しぶりにお昼を一緒に食べられた。一時はどうなるかと不安が募っていたが、話していたら不思議とそんなものはなくなっていた。遠ざかっていた彼女を確かめられたような感じ。
おけー、と短く返信を打ち携帯をポケットにしまい、青信号に変わった横断歩道を渡る。
御所を抜け鴨川を越え自転車を走らせ、家にたどり着いた。取り戻した自転車を駐輪場に停めると、なんとも言えない安心感があった。自転車がないせいでここ二週間ほど大学まで歩く(遅刻癖のため往々にして走る)生活を強いられていたのだが、その日々ともこれでおさらばだ。自転車のありがたさを知った二週間であった。失って気づくこともあるのだな。そんなこと前から知っていたけど。
成人の年に行われる予定だった同窓会が延期を繰り返し結局開催されなかったことに、感謝しなければいけないかもしれない。未練が根絶されていなかったあの時に昔の恋人と会っても上手く話せなかっただろうし、結局トラウマのように覚えてるあの嫌そうな顔を向けられていただろうから。そして何より、会費の5000円を支払い再会しても取り戻せない人がいることを、救い出せない過去があることを知らずに済んだのだから。
3500円で自転車を取り戻し、そして二度と攫わせない。撤去歴のある自転車は撤去後即刻処分されてしまう、なんていう話は聞いたことがないが、次攫われてしまったらもう取り戻せないかもしれないから。
(追記)
ちなみにこの二ヶ月後、二度目の自転車撤去に遭った。僕の人生は同じにならないことを願う。
(追追記)
さらに五ヶ月後、恋人と別れた。僕の人生も同じになるのかもしれない。