バレエなんも知らないけど「ジゼル」を見てきたオタクの話
「死ぬまでにやってみたいこと」
割と多くの人が持っているんじゃないでしょうか、私はインド人が指の間接をフルに使っても数え切れない程度にはあります。
その中の一つに
・バレエの演目「ジゼル」を生鑑賞したい
というものがありました。
動機
別に小さい頃バレエをやってたとか、バレエ鑑賞が趣味という訳では無いのですが、ある浅い理由で以前から私はこの「ジゼル」を見たいと思っていたのです。
そんな動機が彼女。
「メルトリリス」という私が愛してやまないキャラクターです。
上記画像でも少し触れられていますが、彼女の根幹を成す重要な構成要素にこの「ジゼル」がありました。推しのことは少しでも理解したいのがキモ=オタクの性、かくして私の死ぬまでにやりたいことリストに『ジゼルを生鑑賞する』という項目が増えたわけです。
そんなこんなで、いつかロシア旅行した時にでも見ることができればなぁ…なんて思いを遮るかのように、クレムリンに鎮座する自称ツァーリ(71)が耄碌し当面は叶わぬ夢となった2022年春のこと。東京の新国立劇場バレエ団がジゼルの公演を行うとのニュースを耳にしました。シベリア鉄道7日間の旅に比べれば東京旅行など気軽なものです。公演翌日の天皇賞(秋)の入場券を携え、私は夜行バスに乗り込みました。
『ジゼル』について
閑話休題。ここで皆様に『ジゼル』がどんなお話なのかを説明したいと思います。
あらすじ
舞台は中世ドイツ。収穫祭真っただ中のある村にジゼルという踊り好きの村娘がいました。そんな彼女を口説こうとしているのがロイスという謎の青年。ジゼルも彼に思いを寄せており、相思相愛ともいえる二人でしたが、青年はある秘密を抱えていました。
青年の正体は公国の王子アルブレヒト。もうすぐ結婚も控えており、ジゼルとの身分違いの恋など到底叶いそうにはありませんでした。
そんな謎多きアルブレヒトに疑念を持ったのが村の森番ヒラリオン。彼もジゼルに思いを寄せており、謎めいたよそ者に恋するジゼルを心配していたのです。
収穫祭も終わりに近づいたころ、ふとしたきっかけでアルブレヒトの正体を知ったヒラリオンは、青年の正体が王子アルブレヒトであるということを暴露。愛する人の裏切りを知ったジゼルは狂気に陥り、息絶えてしまいました。
舞台は移ってジゼルの墓のある夜の森。ここを訪れたヒラリオンの前にウィリという妖精が現れました。ウィリとは村に古くから伝わる『恋人に裏切られて亡くなった乙女たちの霊』。ジゼルの霊を迎えに来ていたウィリたちはヒラリオンを捕らえ、死ぬまで踊り続けさせます。
ヒラリオンが命を落とし、ウィリたちがジゼルを墓から呼び起こしたその時、ジゼルの墓前にアルブレヒトが訪れてきました。ジゼルはウィリたちにアルブレヒトを見逃すよう乞いますが、願いむなしく彼も朝まで踊り続けるよう命じられます。
夜明けまで何度も力尽きそうになるアルブレヒトでしたが、そのたびにジゼルに励まされ続け、何とか朝まで生き延びることができました。
ジゼルは復讐にとらわれたウィリになることはありませんでしたが、夜明けとともに墓に戻らなければありませんでした。ジゼルに別れを告げられ、一人残されたアルブレヒトは一人涙を流すのでした。
というのがジゼルというお話。いわゆる悲恋モノのお話で、妖精などが多く登場するロマンティックバレエの代表的な作品でもあります。物悲しくもありますが、死してなお色褪せないジゼルとアルブレヒトの愛をどう捉えるかがこの作品のキモであり、魅力なんじゃないかなと思います。童貞の筆者にはそんな魅力理解できないだろって?それはそう。
鑑賞レポ
会場へ
さて、というわけで新幹線に揺られること3時間。
あ間違えた
新宿から歩くこと15分ほど…
新国立劇場に着きました。隣接している東京オペラシティと共に、様々な芸術関連施設を備えており、日本の芸術文化の拠点としての役割を担っています。
特撮オタとしては、『ゴジラ2000ミレニアム』で巨大UFOと共にミレニアンに占拠されていた印象の強い場所ですが…
そういった背景もあり、バレエだけでなくオペラ等の公演も多く実施されており、この日もいくつか他の公演が行われていました。
グッズショップに気を取られつつジゼルの行われるオペラパレスへ到着。到着して衝撃だったのが客層がガラッと変わったことですね。
新国立劇場全体自体は一般的なミュージカルの公演なんかと似た雰囲気なんですが、このジゼルの会場は、品のあるおばあさまや金持ってそうな家族連れ。そしてみな一様に体形がスリムこの上ない。恐らくですがバレエ経験者が殆どで、筆者のような全くの門外漢極めてまれなのでしょう。
筆者のような異常男性(21歳 独身)は大変浮いていたことでしょう。ドレスコードだけはしっかりしていたことが不幸中の幸いでした。
この記事を見て「行きたい」と感じた異常独身男性の皆様も、最低限お高めのジャケット程度は着ていきましょう。
会場はこの手の劇場としては最大級の規模。筆者は割とミュージカルなどは見に行くのですが、過去に訪問した大阪四季劇場などの大きめのハコと比較しても断然大きく、そのスケール感に圧倒されていました。
安価なチケットを購入したため、座席はちょうど上記写真のような後方席でしたが、鑑賞にあたってはさして大きな問題はありませんでした。まぁオペラグラスくらいは持っておくとより楽しめると思いますが、ダンサーさんの華麗な体の動き…といった魅力は3000円のこの座席でも十分味わえました。
感想
先ほどのあらすじにもあったように、舞台の前半は収穫祭の行われる農村、後半は夜の森の墓地に大分されます。
印象的だったのはやはりクライマックスともいえる後半部分。「ウィリ」という妖精が多く登場するのですが、この世のモノとは思えないような雰囲気で、『妖精』というファンタジックで幻想的なモノが存在する世界に引き込まれるばかりでした。
パンフレットにあった解説の受け売りなのですが、バレエのトウ・シューズが開発されたのはちょうど19世紀前半。この『ジゼル』が制作されたロマンティック・バレエの時代だそうです。
このトウ・シューズを最大限活かした妖精たちの舞踊は、月面の低重力下で踊っているかのような軽やかさがあり、非現実的な描写をより一層強めていました。トウ・シューズの発明以降、妖精をテーマにした作品が大きく増えたということも納得です。
ロマン主義の下では感受性を重んじた自由な創作が盛んに行われており、様々な分野で妖精や霊といった存在が描かれることも珍しくありませんでした。暗い夜の森で月光に照らされる妖精…そこを舞台に描かれるジゼルとアルブレヒトの愛。ジゼルが「ロマンティックバレエの代表作」と呼ばれていた理由がよくわかりました。
ところで、バレエは日によってメインキャストを演じる方が変わるのですが、キャストの役への解釈によって役柄の印象も大きく変わるようです。
私個人の印象ですが、ジゼルは特にアルブレヒト役の解釈がキャストによって分かれるんじゃないかなと思います。私の今回見た回のアルブレヒトに関しては、X(旧Twitter)で他の方が「毎年お盆にジゼルの墓参りにきっちり来るタイプのアルブレヒト」と表現していたのが完璧な例えでした。アルブレヒトは婚約者のいる身でありながらジゼルに手を出した遊び人ではありますが、ジゼルへの愛は深く、誠実な人物として描かれていました。
東京までの旅費は決して安いものではなかったですが、それに見合うだけの素晴らしいものを見せてもらったなと思いました(まぁその翌日観たの天皇賞・秋も競馬史に残る名レースでしたが)。
今回「ジゼル」という題目に興味を持って見に行ったバレエですが、他の作品も観てみたいなと思いました。
【蛇足】メルトリリスと「ジゼル」
さて、ここからは型月オタク向けの文章です。メルトリリスをご存じないって方はここで終了です。ありがとうございました。
型月オタクの私が「ジゼル」を見た感想は「奈須きのこやべぇな…」というものでした。
劇場版ヒロインと名高いメルトリリスですが、その評価を確固たるものにしたのはCCCコラボだったことは皆さんご存知かと思います。
そんなメルトリリスがメインヒロインであるCCCコラボ「深海電脳楽土SE.RA.PH」のテーマの一つは「別離」です。
同様にジゼルも「別離」の物語であり、奈須きのこ氏はジゼルを「メルトリリス」のフォーマットに完璧に落としこんだのだと気づかされました。
作中での彼女の印象的なセリフとして「繋いだ心だけは離れないわ」というセリフがあります。繋いだ心、離した奴おりゅw?私はこのセリフこそがこの2つの作品の相似性を象徴していると思っています。
メルトリリスが「繋いだ心は離れない」ように、ジゼルとアルブレヒトの愛は夜明け後も崩れることのない永遠のものでしょう。2つの物語はいずれも「別離」の物語でありながら、その裏には永遠の愛が存在していました。
CCCコラボで一度脳を焼かれた私ですが、今回舞台上での「ジゼル」を鑑賞したことでもう一度脳を焼かれました。
奈須きのこ氏が執筆前にジゼルを見たかは分かりませんが、仮に見ていたとすれば、この脳を焼かれた感情をプレイヤーにも追体験してほしくてあのシナリオを描いたのかなと感じました。
今回私が見た作品は古典を忠実に再現することを目指したものだそうで、一言に「ジゼル」といえど多様な解釈、演出があるそうです。CCCコラボのシナリオは奈須きのこ氏なりの「ジゼル」だったんじゃないでしょうか。