2拠点「婚」はじめました。⑧
2拠点婚生活も2か月が経ちました。
まだ2か月、されど2か月。
この2か月間で、妻の友人たちに会い、妻の実家でお正月を迎え、
年末年始は二人でのんびり過ごすことができました。
2021年も行ったり来たりの生活となるわけですが、
38歳実家暮らし(文字で書くとやばい奴ですね)の私が
先日実に示唆に富む経験をしたので、今回はそのことを紹介しようと思います。
先日、実家で共に住む母とちょっとしたことで大ゲンカになりまして。
そのとき、母から
「お前とは親子だけど、身内ではない。他人だ。」
ということを言われました。
「うん???どういうこと???」と思ってそのまま聞いてみたところ、
「血縁関係はあるから親子というくくりにはなるけど、身内になるには過ごした時間の長さ、どれだけ一緒に過ごしたが必要。だから、あんたとは親子であっても身内にはまだなれていない。」と。
この話を聞いて、はっ!としました。
裏を返せば、過ごした時間の多さによって、血縁がない身内というものができるということを母から言われたからです。
母にもそういった感覚があったのか、ということもさることながら、
夫婦生活というものが、元は他人であったからこそ、そこから身内になるという段階を経ること、そしてそのときに必要な要素は、
「共に過ごす時間」
ということに改めて気づかされました。
母は、身内には他人には話せないこと、話してはならないことでも話せるし、そういった話をされた側(この場合は、父)も、その話の内容にいちいち突っかかったり、反論したりはしない。と言う。
ツーカーの仲というか、話のニュアンスなどから何も言わなくても伝わる関係、ということなのだろう。
確かにそういった面においては、多くの時間を過ごすことで相手のことが分かる=身内となっていくのだろう。
その考えが正しいとかどうかではなく、私としては、その考えを私たち夫婦に置き換えたとき、この先どういったことをやっていくことでお互いに身内になるのだろうか、ということを考えるきっかけとなる出来事でした。
ここには、
①親子・夫婦などの関係とは身内とは似て非なるものであり、
②血縁=身内ではなく、人間関係において過ごす時間の多さが重要である、
③身内には何を言っても安心!
という学びがありました。
そして、考えてみると、これは共通のタスクを持って取り組むということ
とは少し違うのではないか、という思いに至りました。
つまり、目的をもって、それに向かってお互いに進む、ということではなく、
ただ、一緒に過ごす、目的はなくても同じ時間を共有する、というところに
身内になることの要素があるのではないか、と。
会社の同僚は、きっと人生で一番多くの時間を共有する者であり、プロジェクトが同じならより一層多くの時間と経験を共にします。
でもそれは、仲間、同志ではあっても、身内という表現にはならないように思ったからです。
だから、まずは、一緒に過ごすときにただただ一緒にいて、オチのない話をしたりしようかな(いつもオチのない話をしていますが。)とか、
普段は、とりあえずテレビ電話繋いでみようかな、なんて、
思う今日この頃です。
とはいえ、共通タスクも増えていて、最近は朝ヨガをテレビ電話を通じて、妻とともにやっていたりします笑
体側に心地よい伸びを感じて。
では、よい一日を。