配達中に考えたこと
朝刊配達バイト中に考えたことのメモの書き散らしです。
自身の代謝が上半身だけに偏りすぎてると診断されて、まさかまさか(笑)と思っていたが
この寒さの中自転車をいくら漕いでも足が一向に温まらなくて、反対に上半身はぽかぽかしてくるから本当に下半身の代謝が悪すぎるんだ……。
なんだ?私って上半身と下半身で違う人体かのか??
足を冷やすなと言われたが、ただ乾かしてただけの布団みたいな制服を洗濯に出されてしまった今、足を冷やさない手段がない。詰み。
配達のスピードを上げろと言われても自転車では限界があるし階段とか走って登りたくはない。
はやくバイクの免許取れば良いんだろうけど、バイクの免許をとってる時間はないし、そもそもそんな時間があったらこんな時間にバイトなんてしていない。あとシンプル自転車が好きなんだわ。
演技を始めてからパーソナルスペースが狭くなった。狭くなったから前よりも人当たりの良い人間になったんじゃないかなと思うが、全然そんなことは無いっぽいし、ふとした瞬間の写真を見るとやっぱりどこか他人と距離がある。
いやそもそも距離を狭めるのも無意識に無理をしてるのではないか……?それとも私じゃない別の人格になるとパーソナルスペースも変わるし、そうしていないと他人との距離は縮まらないということなのか……?
まあでもなんにせよ素の私でいるときも「うわぁ~~~~近寄るな~~~~~~やだ~~~~~~~~~~」って思わなくなったから、成長と捉えて差し支えないと思う。
自分の性別に違和感とか疑問を覚えたことはないけど"性別がある"っていう事実が厄介。
はやくアメーバとかになりたい。
折れそうになったときはエヴァネッセンス聞いとけば精神保てる。
中田ヤスタカの曲と八王子Pの曲聞いてるときは可愛くなった気がするから良い。
Flowerの曲で恋始めと失恋の追体験するの辞めたい。倉木麻衣の曲でも以下同文。
倉木麻衣は緩やかな恋愛も追体験できるが緩やかすぎてもはや停滞してる。ゆるやか~~
音楽を追体験として聞きすぎてる。
その感情はてめえのもんじゃないって。それでストックされたものは想像の範疇のハリボテなんだから私の人格には成り得ないだろう?そろそろ学習しろ。
そもそもの話、全てのことに於いて追体験をし過ぎてる。びっくりするほどソシオパス要素がないから物事に寄り添うことができなくて、自分の体験として消費したらその感情とか空気とかを理解できて。できてしまったからそれが癖になってしまったんだよな。「事象とでしか作品を捉えられないのはクリエイターとして些か問題なのでは?」っていう過去の問いは解決できたけど、感受性が上がったわけではないので意味がない。そんなんだからいつまでたっても魅力的なものが産み出せない。てめえの剥き出しの感情はパターンでしかないんだよ。
そのくせ汚くて醜いタイプの負の感情だけは本物だから嫌。
良くも悪くも親にハードルの高い「普通」を押し付けられすぎた。世の中意外と程度が低い。「このくらい出来て普通。あたりまえでしょ?」が呪いの言葉すぎる。
けど母親はその「普通」が全部出来ちゃう。素直にすごいなと思うし、同時にすごく劣等感に駆られる。思えば小学生のときからずっとだな……。妹は私と比べられただろうけど、私は母親と比べられたから長女は可愛がられて自己肯定感が云々の話はクソ。
あとよくわかんないけど人間の認識能力が極めて高くて、私から伝え聞いただけでその人の人間像を正確に捉えてしまう。私がまだ解ってない部分でさえ分かっていてちょっと怖い。この間は歌い方で私の嫌いなタイプの人間見抜いてた。怖い。
記憶のインプット⇔アウトプットの回線がもはや新宿駅。必ず途中で1回迷子になってる。勘弁してくれ。
記憶の置場所は自分の部屋の洋服の置き方に似てる。つまり片付いてない。
付き合いが長くなった友人に対して「扱いが雑になったね」ってよく言われるんだけど
それは、なんか、ごめんって感じで
私の性格が雑っていうのもあるんだけど、親しくなると外面を良くしなきゃってところに割いてる回線が省エネモードになってしまって、まだ感情のコントロールが上手く出来てない頃の私に退行してるだけなんだ。そんで素の私が自分本意で自己中心的な人だから優先順位が自分>>>>他人になって、結果的に扱いが雑になったように感じさせてしまうんだと思う。