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うんちで笑える大人でありたい
みんなは小さい頃、将来の夢ってあった?
私は小さい頃、お花屋さんかペットショップの店員さんになりたいと自称していた。でも本当は別になりたくないというか、特に将来の夢とかなかった。今を生きろの精神を持つ幼稚園児だったので。
「将来の夢」を持つ子ども像を求められる空気だったし、周りもだいたいケーキやさんとかおよめさんとかだったから、無難な答えを言っていただけのように思う。かわいくないですね。(ちなみに当時から「およめさん」はなりたくなかった)
てか幼稚園そこらでなりたいものなんかあるわけないだろと思う。将来の夢を語らせる授業とかほんといらんよね。害悪とすら思う。
なりたいものより、どう在りたいかのほうが大事だと思う。
「モノ」を目標にするのはいいことだけど、自力ではどうしようもないことばかりだから。
私は、高校生の頃から一貫して「うんちで笑える大人でありたい」と思っている。別にスカトロマニアなわけじゃなくって、ユニークとゆるさと子供っぽさとくだらなさを一生持ち続けていたいという熱い想いが込められているのです。ドヤ。そして夢は叶っている。どんなときもうんちのことを考えると笑顔になっちゃうし、あんまり絡みないツイッタラーともうんちの話題で打ち解けられる。うんちパワーすごい。
てか、おとなになってわかったけど、みんなうんち好きだね。うんちはみんなを笑顔にする。うんこでも可。
誰でも生きてりゃ何千回も出す、それがうんち。なんで笑えるのか。人前ではもちろん出さないし、普段みんなうんちなんてしてませんよみたいな顔してるし、好きな人といるときうんちしたくなったらすごい言いにくいし、ごくごくプライベートな領域のことなのに、なぜこんなにもギャグ感があるのだろう。よく見るマキグソみたいなやつ、実際のうんちで見たことないけど、あのフォルムはどこから来たのだろう。どこ発祥なんだろう。ラーメン屋みたいな感じで元祖マキグソ本舗とか名乗り出る人いないのかな。あの形になると一気にかわいく思えるよね。顔とかつけちゃったりするともはやスライム並の国民的キャラクターになる。でも著作権はないしキャラ名もない。なぜならみんなが生産者だから。あーそうか。うんちが可愛いのは自分の身体から生まれた子どもみたいなものだからか?本物の子どもに関しては好き嫌いあるし、子育てしている・いないで共感できること少ないけど、うんちなら絶対全員出すからね。やはり自分の身体から作り出されたものを愛おしく思うのは人間の性なのか。
老若男女・美醜・社会的地位関係なくみんなうんち出す。可愛い子のうんちがストロベリーミルクの匂いがするとか、金持ちだからうんちにも金銭的価値があるとか、そんなことはなく、ただただ平等なのだ。その理論でいうとおしっこもそうだけど、うんちほどの市民権はない。やっぱり形があるってのが大事なのか。
だから人は芸術を創り、子を残し、うんちを愛でるのではないだろうか。
…このnoteが彼氏に見つからないことを祈りつつ、トイレ行ってきます。