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ももこと作文と私

年末さくらももこ展に行ったのだけど、それと全然違うような関連するような話。

私はちびまる子ちゃんよりコジコジよりも、さくらももこのエッセイが大好きだった。
『もものかんづめ』をはじめとするももこのエッセイは、小学生の私にめちゃくちゃ影響を与えた。何回読んだか分からない。
読み物としてももちろん好きなんだけど、私は文章を書いたり漫画を書いたりするのが好きな子どもだったから、「書く」側としてめっちゃインスパイアされた。

それ自体は面白くもなんともない日々の出来事や思い出をオチをつけて笑えるように描くその語り口や言葉の使い方、文章の流れの作り方に痺れたし心底憧れた。
いつか自分もそんな文章や漫画を書けたらいいなって思ったし、日常の出来事をももこのエッセイ風に書いたりしてた時もあった。

自分の書く文章にも、どことなくももこエッセンスがあるなあと感じるし、しょうもない出来事を30分くらい語るのもnoteに書くのも、めちゃくちゃ好きというか無限に出てくる。
え?私ももこかもしれない。って今でも勝手にシンパシーを感じてる。

そんなだから、ももこ展に行った時、原稿用紙に書かれたエッセイの原文がデカデカと展示されているコーナーでは大興奮のあまりめちゃくちゃ早口オタクになってしまった。(当然ももこ展に来る人間はももこが好きだからいる訳なんだけど、それでもエッセイコーナーを馬鹿みたいにまじまじと眺める人間は全然いなかった)

影響を受けやすい我々なので、その後彼氏が原稿用紙にエッセイ風の何かを書こう‼️などと言い出して、えんぴつと一緒に持ってきてくれたんだけど、いざ人前で文章をいきなり書けと言われても果たして書けるのか…何も思いつかないよ…🥺というムーブをしていた。
が、書きはじめたら天国のももこが降臨してイタコ…というよりは大川〇法のごとくエッセイを3枚にも渡って書き上げてしまったのであった。
それを今日今すぐみんなにも見せたい‼️のでnote化しました。大分改変はしてますけど。

ここまでが前置き(長いよ)


私は勉強はできた方だと思うし、文才がある子どもだった。
本をよく読むから語彙力もあった方だと思うけど、それよりなにより「大人が喜びそうな文章」をよく理解ってた。
きっとこういうことを書けばほめられると分かっていたし、王道を知っていれば、どんなテーマであっても答えはもう見えてるようなもの。
作文の授業や課題なんて、私にとっては赤子の手をひねるより簡単だった。
作文は9割方ふかしと誇張である。誇張しすぎたまなっこ。

作文は、うますぎてもいけない。子どもらしい無邪気さや未熟さを交えつつちょっとした感動エッセンスを入れて前向きにしめれば絶対に勝てる。要は「大人の求める子ども像」を文章化すれば良いだけの話なのだ。

そのノウハウを活用し、実際、作文を書くたびになにか賞を取っていた。

…中1のとき「家族の日」をテーマに作文を書かされたときがあった。
そこで私は弟たちのことを書いたのだけど、やはり家族の日なんだし、きょうだいの絆や愛みたいなものを入れなくてはいけない風潮、あるよね。

でも弟たちなんてマジでうるせーだけだし当時はマジでイラネと思ってた。せめて妹かねーちゃんが良かったよ。
そもそも弟たちが存在してなければ、「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」なんて言われることもないし、運動音痴さを比べられることもないし、けんかすることもないし、部屋だってモノだってお年玉だってゲームだって漫画だって全部全部私がひとりじめできたのに。って。

本当はそんなことしか思い浮かばないのに、いい子ちゃんでいたいし、大人の喜ぶ文章を知っている私は「普段けんかばっかりしてる弟たちが外泊したとき家がしんとして、すごく寂しくなりました。」というような1mmも思ってないことを書き、「生まれてきてくれてありがとう」みたいなタイトルをつけたのだった。ああもう、恥ずかしくて死にたくなってきた。
ちなみに書いてる事の9割はふかしなので弟が2人いること以外全部ウソである。

そんな作文はやはりというか、うっかりというか、県レベルの立派な賞を取ってしまい広報誌に顔つきで載るだけでなく、市民会館みたいなところで大勢の前で朗読する羽目になってしまったのだった。人前で喋るのも大嫌いだしめちゃくちゃあがり症なのに。でも、ふかしなので全然緊張しなかった。
だって本当の自分じゃないから。

親はめちゃめちゃ喜んでたし、それが掲載された広報誌や賞状も多分まだ持ってるはず。
てか、ふかしなのに気がつけよ。親ならよ。とは今でも思う。
だけど、勉強や読書なんかより運動をやって、手芸や料理をできるようになれと言われ、そのどれも苦手で毎日ドチャクソ怒られまくってた私が、はじめて自分の好きで得意なことで褒めて貰えたのはその時だったから、嬉しかったなあ。

…今日久しぶりに「原稿用紙」というものを目にした時、その「いい子ちゃんを演じる自分」とか色んなあれこれをめっちゃ思い出して一瞬「ウッ‼️」という気持ちになったし、顔にも出てたと思う。

私は作文の中では思ってもないことを平気で書けるやつだし、大人(相手)の期待をくみとれるし、求められていることに応えられる。
それはもう才能に近いと思う。
その能力は、媒体によって書き口やテンションを変えられる力でもあるから、今の仕事にめちゃくちゃ有用だし、「得意」を活かせているとは思う。

でも、「作文」の中では、ずっとずっと、優等生のロールプレイングをしていたし、本心を書くことは出来なかった。
今でも日記やnoteを書き続けているのは、「大人」
や「誰か」にほめられるための文ではなく、自分に正直で好きなことを書いていたいと思うからってのは超ある。

なので、「原稿用紙」というアイテムはちょっとニガテ。渋谷もちょっとニガテ。


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