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欲しかったのは綺麗な建物ではなかった

(2019年2月、岩手県気仙沼市にて)

「欲しかったのは綺麗な建物ではなかった」

気仙沼のゲストハウスに宿泊した際、スタッフのお姉さんが宿泊者を連れて陸前階上や岩井崎の被災箇所を車で案内してくれた。

一緒に車に乗っていた東京大学の院生さんが「仮設住宅で暮らしている方はまだいらっしゃるんですか」と尋ねた。

「いますよ。」
前を向いたまま、彼女は返した。

「公営住宅が建てられてたくさんの人が移り住んだ後も、仮設住宅から”移れない人”と”移らない人”がいる。
経済的事情で仮設から出られない人、現在一軒家を別の場所に建設中で公営住宅に住む予定のない人は出られない。
今の仮設住宅は長屋みたいな作りで、家を出て隣に行けばお隣さんにすぐ会える。でも、公営住宅は今後の災害時の避難タワーにしたいから、この地域では珍しくマンションのようになっている。
でも、ここに住むおじいちゃんおばあちゃんは防音や防災に優れた家ではなくて、いつでも顔なじみのお隣さんに会える環境を望んでいる。」

仮設住宅は5年ほど住める長さを目処に緊急で建てられただけなので、そろそろガタもきてて下水も詰まるし水も止まるそうだ。
元々高い建物もないこの地域に、エレベーターがついてる建物は気仙沼市役所かイオンくらいしかないらしい。

「いきなり、"13階のオートロックもエレベーターも防災もちゃんとしてる公営住宅に住んでください"と言われても、お隣さんが誰かもわからないようなところに住みたくなくて、仮設住宅を出たくないおじいちゃんおばあちゃんが沢山いる。
都会に暮らしていてお隣さんの顔を知らなくても気にしないような人たちはそれでよくても、ここに住む人たちは地域に生きることを大切にしている。」

住む地域の違う人たちに公営住宅の建設を進めた役所の人たち、仮設住宅で暮らすご年配の人たち。それぞれが暮らしで大事にしているものの違い。

「ここに住む人たちが欲しかったのは、防災完備でエレベーターとオートロックのついてる、綺麗な建物じゃなかった。」
彼女は冒頭で言った言葉を繰り返した。

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気仙沼は、地域コミュニティが非常に強い場所ではあるが、外からの人も積極的に受け入れる柔軟さも持ち合わせていると、彼女は教えてくれた。

「私は3年前まで横浜で看護師をしてて、気仙沼へ移住してきた。
最初は、水も止まるしトイレも流れなくなるし、『こんな生活嫌だ!』と思ったけど、その度にご近所さんに助けを求めたり支えてもらいながら、生きる力をつけてきた。
横浜や東京、そのほかの大都市も、なんでも揃っていてその気になれば一人で生きていける。
でもここでは一人では生きていけない。
地域でうまくやらなきゃ生きられない。

でも何かあるたびに周りを頼ってたら、周りも優しくしてくれるし助けてくれる。不便だからこそ人の繋がりが生まれるのはこの土地ならではだよ。
元々この街はマグロやカツオの遠洋漁業が中心で、一度漁に出たら1年は帰ってこない人もいて、海外の漁師さんもよくこの町を出入りしてたから、よそ者を受け入れやすい町だよ。若い人たちがチャレンジしやすい町。」

そんな話を聞かせてくれながら車で連れてきてくれたのは岩井崎。
津波で損傷してしまった学校や、5台も積み重なったままの車、津波で取り残された松の木など、未だ爪痕が残る震災の現場を見ることができた。

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それでも被災地は、辛いことばかりじゃない。辛い現場を見た後、オーナーはやっと最近再開したというワカメ漁の様子も見せてくれた。
よくお店で見る乾燥わかめではなく、乾燥させる前の生のワカメを食べさせてくれた。弾力がすごくて引っ張っても破けない。歯ごたえもシャキシャキしている。

「この町は水産業で成り立ってきた。漁師さんだけではなく、魚を入れる箱を作る箱屋さん、魚を冷やす氷屋さん、魚を運搬する運送業。港が止まるとみんなが仕事できなくなる。津波で港が閉鎖された時、『港を動かせ、船を受け入れろ』とみんな必死だった。
気仙沼は震災で何もかもなくなってしまったけど、人の魅力がたくさんあるところだよ。震災をみんなで乗り越えてきた強さがある。」

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「よく被災した町として可哀想と思われるけど、本当に可哀想なのは、頑張ってお店を再開しても、来てくれるお客さんがいないことや、物が売れないこと。最初の頃は県外からのボランティアや復興工事の人たちがたくさん買い物をして帰って行ったけど、今はそれもない。

10年で復興予算がなくなってしまう。あと2年。
見ての通り、工事は全然終わっていない。工事が遅れるも何も、これだけ大きな災害が来て、工事の見通しなんて立つわけがない。今まではたくさんの人が来て工事をしてくれたけど、オリンピックの工事のためにほとんどの人がそちらに行ってしまった。一時期それで揉めてメディアにも載ったことがある。まだ、町の工事は終わっていないのに。」

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メディアで美化された復興の話ではなく、そこで生きる人々の葛藤や悩み、率直な生の声を聞くことができた。

全てを元どおりに戻すことができないとわかっていながら、そこで暮らす人々の価値観をどこまで尊重してまちを作り直していくのか。何を優先させるべきなのか。

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車窓から見える、真新しく綺麗すぎる街並みを眺めて、何故か無性に泣きたくなった。

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