100杯のコーヒーより一杯の酒
先日、思いがけない電話を受けた。タイに出張中の私のもとへ、10年前の同僚からの連絡だった。SNSで私の近況を目にしたという。懐かしい声が受話器から流れ出た瞬間、まるで時計の針が逆回転を始めたかのような感覚に襲われた。オフィスが近いということもあり、思い切って電話をしてみたことが、予想以上の喜びをもたらしてくれた。
人付き合いという点で、私は常々マティーニに憧れを抱いていた。あの透明な液体の中に潜む複雑な味わいのように、人との関係もまた、時間をかけて丁寧に作り上げていくものだと信じている。シェイクされすぎず、かき混ぜられすぎず—ちょうど良いバランスで醸成される関係性の妙。
私たちの記憶というのは不思議なもので、日々の出来事は時間という篩にかけられ、その多くが零れ落ちていく。しかし、あの頃わいわいと杯を重ねた夜々の記憶は、まるで琥珀に閉じ込められた化石のように、鮮やかな色彩を保ったまま心の奥底に沈んでいた。
仕事に追われる毎日、私たちの机の上には必ずコーヒーカップが置かれていた。締め切りに追われ、プロジェクトの重圧と戦いながら、その苦い香りに励まされた日々。確かにコーヒーは私たちの忠実な伴侶だった。しかし、今になって思い返すと、最も鮮明に記憶に残っているのは、仕事を終えた後に皆で交わした一杯の酒だ。それは、マティーニのように洗練された時間だった。
あの居酒屋の薄暗い照明の下で、私たちは単なる同僚から、人生の同行者へと少しずつ変化していった。苦労話に笑い、失敗を励まし合い、時には未来への不安を吐露し合った。グラスを前に、私たちは肩書きを脱ぎ捨て、ただの人間として向き合うことができた。
今回は残念ながら会えなかったものの、次回のタイ訪問での再会を約束した。10年の空白は、確かに長い時間のように思える。しかし、その約束を交わした瞬間、不思議な確信が芽生えた。再会を果たしたとき、この10年という歳月は、マティーニの最初の一口のように、すっと溶けていくような気がした。
コーヒーは確かに私たちを目覚めさせ、前に進ませてくれる。しかし、酒は私たちの心を開き、本当の意味での繋がりを育んでくれる。100杯のコーヒーでは得られない何かが、マティーニのような完璧なバランスで注がれた一杯の酒にはあった。
電話を切った後、私はバンコクの高層ホテルのバーで一人、静かにマティーニを注文した。グラスの中で静かに揺れる透明な液体に、懐かしい顔と未来の約束が、月明かりのように優雅に映り込んでいた。時は流れ、場所は変われど、人と人との絆を温める一杯の力は、いつの時代も変わらないのだろう。