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なぜnoteを始めたかって?②

生まれた時からの幼馴染みが必ずいるど田舎で中学まで普通の家で育った私ですが、歌を始めるきっかけとなった中学生活について話しますね。

今声楽を専門に勉強しているのは、中学の担任の先生が私の背中をてくれたからです。

名前は出せないので、F先生と書きます。

F先生は音楽科担当で、大学では声楽専門だったそうです。

合唱部の顧問をしていて、仮入部期間に勧誘されてノリで入った合唱部。

もともと歌が好きな私でしたが、音楽が好きで積極的に授業を受けて、周りより少し音程を正確に大きな声で大きな口を開けて楽しく歌えるというだけ。

部活は運動部に入ることを考えていたので、合唱部は視野にありませんでした。

小学校までの歌とは違い、中学生になると綺麗な裏声で歌います。
ただ大きな口を開けて歌うのとは違いました。

毎週部活は、筋トレや基礎的な発生練習から始まり、パート練、全体合わせなどが部活のメニューでした。

中学一年生の私は、高いソの音すらカスカスでぎりぎり出るようなところからのスタートで、毎回V字腹筋しながら先輩にお腹をぐっと押してもらって腹筋を鍛えるなど少しきつい練習が続き、やっとで出るようになった高いソ。

この時はまだ、自分が音楽の道を選ぶなんて、声楽を専門にしてるなんて、想像すらしていませんでした。

楽しい事、好きな事はまじめに取り組めるので、このきつい練習も苦ではなかったし、むしろ自分の没頭できるものに出会えたから続けられたのかなって思います。

で、そのF先生ですが、中学入る前に体験入学みたいなので中学に訪問し、学校中を案内してもらうという行事がありまして。

そこで私のいる班の担当だったのがF先生でした。

小柄でちょこちょこ歩く先生が可愛くて、優しくて、面白くて、初めて会った時にこの先生が担任だったらいいなぁなんて思っていました。

入学式当日、担任として教室に現れたのがそのF先生でここでもうびっくりですね笑笑

お願い事が叶ったみたいで大興奮でした😂

学校に行けばいつも一緒だったF先生。

①でも書いたように、私はすぐ悩む性格、そして悩み事を打ち明けられず抱え込んでしまう癖があります。

私が悩むとすぐ表情とかに出るようで、F先生はそれに気づく度に声をかけてくれました。

そしていつも必ず、話終わると、前向きにね!プラス思考になろう!って言ってくれました。

『いつでも話を聞くから、先生がついてるから!』

という言葉は、いつも私を救ってくれました。

自分の悩みとか、誰に話していいか分からない。話してスッキリしたとしても相手はどう思ってる?

という事を毎回考えてしまい、溜め込んで後に爆発する。というタイプです笑

そんな感じで私の平凡な中学生活は過ぎていき、2年生の終わりごろ合唱部の部長を任されました。

私は、誰かに頼られる事、褒めてもらう事が大好きで、部長に選んでもらい、先生のお手伝いが出来ること、みんなから頼られる事、もう、それだけで嬉しかったです。

しかし、部長になる事は、良いことだけではありませんでした。

部長になり悩むことも増え、どうすれば良いのか当時の私には、やる事すら整理しきれずあたふたしていました。

発声練習で私がピアノに座り集合をかけた時、部員はおしゃべりで聞こえていなかったようで、大きな声で怒鳴ってしまいました。

その時の静まり返る瞬間と、部員の驚いた顔が今でも忘れられません。

あの時、もう一度大きな声で声をかけ直せばよかったのに、どうして怒鳴ってしまったのだろう。って思います。

自分で場の空気を悪くしてしまったにもかかわらず、それに耐えられずにその日は先生を呼びに行き、教室に戻れずそのまま早退しました。

こういう事って、終わってからあの時ああすればよかった!ってなるんですよね笑笑

けど、やっぱり部長を務めた事、あの時経験した事は自分にとってとても良い経験で、それが今に活かせています!

過去の事は、後悔するばかりでなく前向きに、次につなげる事が大切ですね!

そしていつからか気づいたら歌声がぐんと伸び、ソロパートを任せられたり、歌に力を入れるようになりました。

中学生活の折り返し地点に到達すると、卒業後の進路を考えないといけませんね。

私の両親は同じ高校を卒業していて、母は家政科、父は園芸科と専門分野の科で学んでいました。

私は裁縫や料理が得意なので、母と同じ地元の高校の家政科を受験する事を考えていました。

何度か体験入学に行き、なんとなく進路が定まって来た時、F先生に『声楽で音高受けてみたら?』といわれ、私が音楽の高校に?!なんて思ったりもしましたが、私にそんな選択肢がある事がとても嬉しかったです。

しかし、第一志望校は私立。

もちろん合唱が強い都立も探しました。

ごく普通の家庭で育った私が私立を受けるなんて。

けれど、その時の私には私立を選んだときにかかるお金の量なんて、金額を聞いただけではわかりません。

もちろん両親は、反対でした。

そんな大金どこにあるの?!状態です笑

しかしわがままな私は、これ!と決めたら許可が出るまで諦めませんでした。

沢山話し合い、言い合いにもなりました。

そんな両親ですが、応援してくれていたのは分かります。

高校の資料を請求し、入学金や授業料、制服代などを計算してくれていました。

そして、言い合いの終わりには、この先どうなるかはわからないけど真剣に頑張れるなら。と必ず言ってくれていたからです。

しかし、私立に進学する事を一切反対しなかったのは祖母でした。

祖母は、私の第二の母と言えるくらい、赤ちゃんの頃から面倒を見てくれて、おんぶして子守唄を歌いながら寝かしつけてくれて、誰よりも可愛がってくれた人です。

こんなに歌が好きなのも祖母の影響だと思います笑

受験ギリギリまで言い合いになりながらも応援してもらって、講習会にもついて来てくれて。

歌のレッスンを受ける時、母は私よりもノートにメモを取って、先生に質問していました笑

中学3年生は、推薦で受験を受けるため遅刻や欠席をせず頑張り、度々講習会等で上京し、学校ではF先生に歌のレッスンをしていただき、ピアノ教室では受験曲をひたすら弾き込みました。

そして、F先生は最後の最後まで一緒に両親を説得する為に、空が暗くなるまで横で仕事を進めながら付きっきりで勉強を教えてくださり、私の背中を押し続けてくれました。

3年生はひたすら受験に向けて苦手な勉強をし、歌とピアノを練習して、音高なのでさらにソルフェージュが試験に加わるので訓練、訓練、訓練の日々を送っていました。

受験当日は、朝から母と受験校に向かい、受験を終えて結果が出るまでドキドキでした。

その日の夕方に結果が出て、残念ながら特待生には選ばれませんでしたが、合格でした。

なんとか進路も決まり安心して帰り、私の受験生生活が終わりました。

今になって気づきました。あのお願いは両親にとってとんでもないお願いだったのだと。

二十歳にもなればお金の大きさは分かります。

どれだけ両親を不安にさせたか。

私の実家は遠方なので、学校へ通うため引っ越しをし、家賃や光熱費もかかります。

そしてなにより、電車やバスの乗り方も知らない娘を1人で東京に出した事です。

こんなにたくさんの人に支えられて、応援してもらい、好きな事をやらせてもらっている。

私はどうしてこんなに幸せものなのだろうか。とよく思います。

もし、この両親のもとに生まれて来なかったら

もし、祖母が私に歌を歌ってくれなかったら

もし、F先生に出会っていなかったら

もし、、、

って考えるときりがありません笑

けど、この『もし』が積み重なって今の自分がいるのだとしたら。

私の中で、これまでの『もし』っていう瞬間は運命とか、奇跡と同じものです。

これからが、今の私、noteを始めるきっかけとなった事なのですが、まだまだ長いのでシリーズ化しますね笑笑

こんなに自分の過去のことを話す機会って中々ないので、是非たくさんの方に読んでいただきたいです!

次回は、高校生活編ですね!笑

高校3年間のまなぼーのお話、お楽しみにっ

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