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俺のようになるな!ヤバイ志望校・併願校の決め方 ①


 「不合格体験記を読め」これは、とある駿台講師の言葉だ。人間は誰かの成功だけでなく失敗に学ぶことも多い。その意味で、自分の受験勉強に問題を感じ、このしくじり体験談に目を通そうと思った受験生は賢明だ。
 しかし本当にこの体験談を読んでほしいのはむしろ「自分は学力的にも順調で、受験までの計画も明確に立てている」と、立ち止まることなくがむしゃらに過去問や問題集を解いている受験生。高校3年生の私もその1人だった。そんな私がどんな大学受験を経験したか知って、受験生諸君にはぜひとも反面教師にしてもらいたい。

①目的と手段のギャップ 受験戦略のブレ


case1 特に理由のない第一志望(俺物語~志望校決定編~)


ⅰ)とりあえず東京大学を目指した高1・2年


 大学受験を意識し始めた中学3年生の頃から、漠然と頭のいい大学に行きたいと考えていた。日本で一番頭のいい大学といえば東京大学である。単純な私は東京大学を目標に勉強を開始した。付属の大学があり授業の進度が遅い高校に通う自分は、進学校に通う生徒に比べ不利であると考え、高校1年生の6月から駿台にも通い始めた。
 2年生のとき受講していた数学の講師が私のやる気を買ってくれ、毎週答案添削などをしてもらえた。その中で経済学部に行きたいのだと言うと、東京大学文科Ⅱ類を勧められた。これで背中を押され調子に乗った私は、東京大学を第一志望にすることに決めたのである。


ⅱ)志望校を下げた高3春 


ところが、模試の結果は良くてもC判定。徐々に自信がなくなっていった。もともとプライドが高く他人の目を気にする私は、高望みをして失敗するのが心底怖く絶対に嫌だった。ゆえに、東京大学の次に頭の良い東京の文系国立大学であり、A判定が出たというだけで一橋大学経済学部を第一志望に設定した。これが3年生の5月頃のこと。 
表立って「東京大学を目指す!」と周囲に宣言する勇気が無かっただけで、内心では東京大学への未練を捨てきれていなかったことは自覚していた。しかしながらその未練がこれから一橋大学合格を目指すにあたり障壁となるとは思い及ばなかったので、立ち止まって考え直そうとはしなかったし、誰にも相談しなかった。ただひたすらに問題集や一橋大学の過去問を解き進めていたのである。


case2 衝動にまかせた推薦入試の出願(俺物語~受験終了編~)


 戦略のブレが表面化し始めたのは3年生の夏。高校の担任教師から、私の1年上の先輩に慶應義塾大学法学部のFIT入試で合格を得た後、一橋大学を受験して合格した人がいると聞いた。その先輩が自分と同じ経済学部志望であるのか、学力はどの程度あったのか、それらの情報は一切わからなかったにもかかわらず、その先輩が自分のモデルケースになると考え、真似しようとFIT入試を出願した。
 ところが、FIT入試は数あるAO入試の中でも難関。推薦入試対策を一度もしてこなかった丸腰人間が突っ込んだところで玉砕することは目に見えている。出願から時間が経つにつれそれまでまだどこか他人事であった「不合格」の3文字が急に現実に感じられるようになった。 
 FIT入試の一次試験の結果がそろそろ出るかという9月、迫りくる不合格の恐怖に耐え切れなくなった私は、ついに行動に出る。指定校推薦だ。これは今自分で振り返ってみても記憶がないほど本当に衝動的な決断だった。帰宅部で特に委員長経験もない自分が、高校に1枠しかない早慶文系の校内選抜に受かるのは無理だとは思ったが、半ばやけくそな部分もあったのだと思う。
 結果は、FIT入試一次不合格。指定校推薦合格。ここで私の大学受験は終了した。
 
 以上が、「最初は東京大学文科Ⅱ類を目指していたはずだったのに、気づいたら慶應義塾大学法学部の指定校推薦を取っていた話」である。「気づいたら」の部分に、自分の決断に明確な動機や根拠の見当たらない「戦略のブレ」が表れている。
 すなわち「戦略のブレ」とは、自分の決断に明確な動機や根拠がなく、その場しのぎの選択をした結果、当初全く予想していなかった進路に進んでしまうことなのである。
 動機や根拠に関して立ち止まって考えることを意識的にしなかったために、このような結果が生まれたのだ。思い当たるところのある受験生には、ここからの話を読んで同じ失敗はしないでほしいと切に願う。

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