個別式学習塾 「学舎KoKoRo」とは?
私の想い
日本には「勉強が嫌い」という児童が、悲しいことにたくさんいます。私も大学までそうでした。なんとなく詰め込み式の勉強に「嫌だ。やりたくない」と思いつつ、とりあえず何とか赤点は取らないように、という苦し紛れの戦法で挑み続け、なんとか大学までいきました。
当時は30年以上前ですから、今のようなしっかりとした発達に対する評価・訓練、世間の理解もなかったと思います。私自身、人生紆余曲折ありながらもその後医学の道に進み、今改めて振り返ってみると「自分はADHDだったな」と思うのです。ちゃんとした診断を受けたわけではないけれども、常に周りのことが気になり、ちょっとした音や光、人の気配などが気になっていました。40歳を超えた今でも、多くの事柄に気がそれながら仕事に向き合っています。だから非効率なこともたくさんあります。
私は医学を志す前は、正反対の道「自衛隊」で働いていました。ひょんな事から防衛大学校という自衛隊の幹部を育成する大学に合格を奇跡的に頂き進学しましたが、そこでの成績はダントツのお尻の方。高校生まではそれなりに「あの手この手」で勉強をクリアしたけれども、大学に進んでからは、全くついていけない授業に心が折れる毎日でした。それはもう脱走したくなるほどです。
しかし、そんな大学生活も最後の卒業論文に向かうと、それまで好きだった「宇宙」に関する研究ができることになりました。それはそれは、当時の私の学力からしたら全く理論も原理も分からないレベルのものでしたが「好き」「楽しい」という気持ちが、これまでの自分では考えられないくらい集中して勉強に挑ませてくれたのです。
というわけで「勉強は楽しくやるもの」、それを学ぶことができたのは21歳になった頃でした。
その後結婚し子供が3人できましたが、私のDNAを受け継いだ子供たちもすっかり個性的で、どちらかというと最初は内向的でした。
特に長男は私のコピーかと思うくらい似ていて、ADHDの特徴を持っています。2歳で川崎病と診断され入院加療し、その後5年もの経過観察を経て寛解。しかし3歳児健診では落ち着きがなく課題もこなせず「グレーゾーンかも?」と微妙な判定を言われ、その後特別なことをしたわけではないけれども(どうやって良いかも分からなかったというのが本音)、少しづつ発達が進み普通級で小学校をスタートしたのです。
それから長男とは何度も何度も勉強につまづきそうになり、その度に一緒に勉強してきました。それは長男が中学3年生になった今でも続いています。
「勉強が好きであること」「学ぶことは楽しいこと」それを知ってもらうことで、子供たちは少しづつではありますが変わっていったと思っています。
これら「自分」と「自分の子供たち」のエピソードを振り返り、未来への可能性が未知数である多くの「勉強が嫌い」という児童の皆さんに、「勉強すると楽しいんだね」と感じてもらいたく、この度 個別式学習塾「学舎KOKORO」を開校することにしました。