洞爺湖の歴史
<洞爺湖>
洞爺湖は、洞爺湖有珠山ジオパークとして『日本ジオパーク』、『世界ジオパーク』に登録されています。
*ジオパーク…科学的に見て貴重な地質遺産(地層・地形)を持ち、考古学や生態学、歴史文化的にも重要な価値がある一定の地域を保存する自然公園
「日本百景」、「新日本旅行地100選」、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選定されています。
<地理>
「洞爺カルデラ」内にできた湖で、湖の面積は日本で9番目。
*カルデラ…火山活動によって大きくできた凹地のこと
カルデラ湖としては、北海道弟子屈町にある屈斜路湖、北海道支笏湖に次いで日本で3番目の大きさ。
東西約11キロ、南北9キロのほぼ円形の湖。
中央に浮かぶ島が「中島」
<名前の名称>
アイヌ語の「トヤ(to-ya)」に由来します。
アイヌの人々は「ト(to)」(湖)と呼んでいたと考えられています。
<洞爺カルデラ>
約10,6-10,9万年前に噴火が起こり、「洞爺カルデラ」が形成されました。
中央にある中島は、約5万年前の火山噴火に伴って形成された溶岩ドーム(火山から粘度の高い水飴状の溶岩が押し出されてできたほぼドーム状の地形)と火砕丘(火山活動で噴火した火山砕屑物が火口の周囲に積り、丘を形成したもの)の集まりである。
湖底を含めると11の火山体が確認されている。
<変遷>(時間の経過に伴って移り変わること)
元々は極貧栄養湖で透明度が高かったが、閉山した鉱山廃水や洞爺湖温泉街をはじめとした排出の流入が増えていったため、透明度の低下が著しい。
近隣に鉱山があり、1939年から1973年の閉山まで流入河川(湖の中に流入してくる河川)により、pH2ほどの鉱山廃水が洞爺湖に流入し続けた。
湖の水は、pH5まで酸性化し続けた結果、多くの生物が死滅した。
これに伴い、1973年から鉱山廃水の中和事業が行われた。
また、1977年有珠山の噴火によって大量の火山灰が洞爺湖へ降り注いだことから、アルカリ性の火山灰によって酸性の湖水が中和され、1995年にはpH7前後まで回復した。
<中島のエゾシカ>
1957年から1966年にかけてオス1頭、メス2頭の計3頭のエゾシカが観光資源として人為的に島に導入された。
その後、エゾシカの個体数は急激な増加と減少を繰り返しており、ピーク時には、400頭を超え、その採食圧によって中島の植生に大きな影響を与えていることが指摘されている。
<北海道洞爺湖サミット>
2008年7月7日ー9日に「第34回主要国首脳会議」(北海道洞爺湖サミット)が『ザ・ウィンザーホテル洞爺湖リゾート&スパ』を会場に開催されました。
『ザ・ウィンザーホテル洞爺湖リゾート&スパ』を楽天トラベルで調べてみると、☆4,3の最高級宿で素晴らしい施設でした。
興味のある方は宿泊してみてはいかがでしょうか^^
洞爺湖が舞台(ロケ地)となった作品はたくさんあり、僕自身色々と調べてみましたが、2012年大泉洋さんが主演を務める『しあわせのパン』はとても面白そうでした。
参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/洞爺湖