古代エジプト文明
古代エジプトの期間は具体的にどこを指すか様々な説がありますが、だいたい紀元前3000年から紀元前600年あたりとされています。
ナイル川という川がエジプト文明ができる最大の要因だとされています。
ナイル川流域にはエジプト文明ができる前(紀元前5000年)から人々が住んでいて、様々な文化があった。
しかし、それを統一しようとする動きがあらわれ、エジプト王朝を中心とする国家が誕生し、エジプト文明が始まった。
ナイル川は毎年夏に氾濫が起こり、ナイル川流域の土地に栄養のある土が流れてきます。
その上で、農耕や牧畜が行われました。
これにちなんで、ギリシアの歴史学者・ヘロドトスは「エジプトはナイルのたわもの」という名言も残しました。
エジプトの人は川が氾濫する時がいつかという予想をして備えを始めました。
どう予想したかというと、太陽の次に明るい星にシリウスという星があるのですが、それを観察しました。
シリウスは冬の大三角形に構成する星の一つ。
つまり、夏に見れないのです。
それからシリウスが見えなくなる(日の出とともに東の空に見える)と洪水が起きる時期がくると予想したのです。
そして、この時期が365日ごとに繰り返すことがわかりました。
この発見は後に太陽暦の発見とつながっていきます。
ナイル川で氾濫が起きると農業ができません。
その時期に時の王は、ピラミッド建設の仕事を与え、衣食住の保障をしたと考えられています。
ヘロドトスの記録で「奴隷を使ってピラミッドを建設させていた」とありますが、近年の調査では違うのではないかとされています。
ピラミッドが作られた理由に関しても王が自らの権力を示すために作ったとされていましたが、そうではないとの考察もでてきています。
ただ明確にはわかっていません。
エジプト文明には象形文字という文字が使われており、文字図形は、神々や男女、動物、草木などの750個ほど使われていたそうだ。
ミイラとは腐敗の作用が止まった遺体のこと。
紀元前3700年ごろから亡くなった人を布に包み、砂に埋める風習があったとされ、ミイラを人工的に製造していたと考えられている。
古代エジプトの考え方は来世で復活するには肉体が必要とされていたため、亡くなった人を人工的にミイラにして肉体を残そうというものでした。
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