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無知は人を過激にし、自分への目を曇らせる(前編)

(※この記事は2020/07/27に公開されたものを再編集しています。)

ネガティヴ・ケイパビリティ

 しばらく「ネガティヴ・ケイパビリティ(否定的能力)」の話をしてきた。ネガティヴ・ケイパビリティとは、詩人のジョン・キーツが使った言葉で、「人が、事実や理由を性急に求めることなく、不確実性、神秘、疑いの中にいることができるときに見られる」能力を指している。

 もちろん、ネガティヴ・ケイパビリティは「わかった気になる」態度からは程遠い。だが、「わからないものはわからない」と割り切ることでも、わからない問題を捨て置いて目をそらすことでもない。そして、わかっているような誰かを殴るための言葉でもない。

無知なときほど過激になる

 私たちは「決めつけはよくない」とよく口にする。思い込みや確信が間違いうることを頭では知っている。だからといって、私たちが自分自身の誤りに進んで気づきたがっているわけではないことも確かだ。自分自身が思い込みに満ちているとは思いもしない。私たちは常に自分に甘い。そのことを「自信過剰」や「自己評価」という観点から見てみよう。

 『専門知はもういらないのか』(原題を直訳すれば『専門知の死』)という本で、国際政治が専門のトム・ニコルズは、ロシアのウクライナ侵攻が問題になったときに、ワシントンポスト紙が行った世論調査に言及している。その調査によると、ウクライナの地理的位置を知らない人ほど、強硬な「意見」を持つ傾向にあった。

 「……ウクライナについての知識の欠如と正比例するかたちで、同国への軍事介入を支持する割合が高くなった。言い換えれば、ウクライナが南アメリカやオーストラリアにあると思っている人々が、軍事力の行使にもっとも積極的だった」(p. 11)。つまり、人間は知らないことほど、慎重さを欠いた意見を持ちがちなのだ。

ビッグマウスは尊敬を勝ち取る

 ついでに言えば、知らないことをも知っていると言い張る自信過剰のある人ほど、社会的な信用を得ており、憧れの対象になってすらおり、グループでの意思決定でも意見が尊重される傾向にあるということもわかっている(注1)。しかもそのときどうやら、周囲の人物は、その人を「自信過剰」とは捉えず、単にすごい人だと思っているようなのだ。

 要するに、人間は、知識や能力を持たないことについては、ビッグマウスになりがちであり、また、自信に満ち溢れている強い発言の人を周囲は尊重しがちである。この二つの傾向が悪魔合体すると、何かやばいことになりそうだと想像がつくだろうが、実のところ、結構ありふれた事態である。

トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』みすず書房

「ネガティブなのが悪い訳じゃない:不確実な時代を生き抜く能力とは」

注1

“Why are people overconfident so often? It’s all about social status,” Haas Now News, UC Berkeley, August 13th, 2012,


後編に続く

2020/07/27

著者紹介

谷川 嘉浩
博士(人間・環境学)。1990年生まれ、京都市在住の哲学者。
京都大学大学院人文学連携研究員、京都市立芸術大学特任講師などを経て、現在、京都市立芸術大学デザイン科講師、近畿大学非常勤講師など。 著作に、『スマホ時代の哲学:失われた孤独をめぐる冒険』(Discover 21)、『鶴見俊輔の言葉と倫理:想像力、大衆文化、プラグマティズム』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学:ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房)、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)など多数。

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