わからない幻想
長年生徒を教えていて、よく生徒から「この問題がわからない」とか「この問題の正解を出すことができない」という声を聞きます。
自分はそんなときに「わからなくてもいいから、答えを出すように」と言います。
社会人として働き始めると、職場で働くことになります。仕事の全体像がわからなくても、与えられた仕事をこなしていくとある日ふと、自分の仕事の全体像がわかるようになります。そしてまた後日にふと組織の仕事の全体像が見えます。そして後日にはもっと大きな仕事や世の中の流れが見えてきます。
ここでポイントは、仕事の全体像が見えてなくても、部分的な仕事は正しく行えます。
言い換えると、仕事がわからなくても、局所的な仕事で正しい処理を行えるということです。
そして、局所的な仕事できちんとこなしていると、仕事の全体像も見えてくるようになります。
勉強も同じだといえます。まずは正解を出すことが重要です。理解するということは具体的な事実や要素の把握と、抽象的総合的な事象の理解からなります。
しかし、そんなのは難しいです。大人でも難しい。
よって、まず生徒には目の前にある問題を正しくこなしていくことに専念させます。わからなくたって、解法の大まかな流れを把握すれば正しい答えは出せます。それでいいのです。「わからなくても正解できる」のです。
そして「わからなくても正解できる」精度をあげていくと、俯瞰して問題を見ることができます。
そうするとわからなかったことが、わかるようになります。
この考え方を持つことで「わからないから解けない」という呪縛から開放されます。
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