道徳の本質とは?☀️
結論から言うと道徳とは実践することです🌈
言霊学では
これからの第三文明社会は利他的な道徳社会になっていくと言われています。
では、道徳とはなんでしょうか?
国語辞典で道徳は
「社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。」
と書いてあります。
確かにこれまで私たちは、道徳をこのように理解し、定義してきました。
これからは
この道徳の定義を見直して、
道徳の概念を本質に近づけて行く必要があります。
シュタイナーの本から抜粋した文章をヒントに道徳の本質について解説します。
以下文章です。
↓
シューペンハウァーは
「道徳を解くことはやさしい。道徳を築くことがむずかしいのだ」といっている。真にモラルを築くことなしには、けっしてモラルを自分のものにすることはできない。
〜中略〜
道徳を説く人は、ストーブに対して「きみには部屋を暖める義務がある」と語るだけでストーブに肝心の石炭を与えない人と同じである。
とあります。
(シュタイナーは百年前に生きた人なので、ストーブの燃料が石炭だったのでしょう。)
これまでは
前述のように道徳を説くことがほとんどでした。
この例からもわかるように
道徳を説くだけでは意味がないことがわかります。
ですからこれまでの道徳は
理想だけ語って実践が伴っていない理想主義的な意味合いに陥っていたように思います。
ですが、
この例を使って道徳を定義し直すと
道徳とは
ストーブに石炭を入れて、火をつけ、部屋を暖かくすること
または、もし石炭がないなら石炭を買いに(取りに)行ってストーブに石炭を入れて、火をつけること
となります。
つまり道徳社会とは実践ありきの社会ということです。
口(言葉・思考)で理想を語っても
行動が伴わなければ、それは道徳とは言わないということになります。
言霊の原理において
これからは
天津太祝詞音図の世界になっていくと表現します。
これはまさに
道徳・実践の時代を指しています。
そして、当然ながらこの世界は、決して自分ひとりでは成立しません。
世界を構成するひとりひとりがまずは自立し
自分の言葉と行為に責任をもち
調和的に事を成すこと
これが道徳社会であり
私たちが進む道なのだと思います。
道徳とは目の前のすべきことや学んだことを
実践することです。
さて
道徳を実践する前提として自立があります。
そして
最近教えていただきましたが、
自立の前に、まずは自分の幼さに気づくことだというのです。
自分の幼さに気づくことは
言霊の原理で言えば
自分のウの次元に気づくことと言えるかもしれません。
ウの次元とは欲望の次元です。
自分の幼さ(欲望)に気づき、それも自分の一部であると受け入れた
その先に自立があるようです。
自立し
いかに私は恵まれているか
生かされていることに感謝をして生きることで
調和的で道徳的な
和(ワ)の世界が創れるのだと思います☀️
写真の幾何学模様は、道徳社会を現していると私は思っています。ひとりひとりが釘の一本ように自立し、他者とつながり合うと、必然的にこのようは美しい模様が出来上がるのだと思っています🌈